ホスト連載 | ナノ
特別の証だねおにいちゃん

人が持っている物が羨ましく思えることがある。人が食べている物が美味しそうに見えることがある。小さい子供じゃなくてもその現象が起こりうることがあると、最近になって痛感した。

「じゃーん!」

大学の学食で友人の一人が、これ見よがしに「あるモノ」を見せびらかせてきた。わたしはそれをじっくりと見ながら、ズルズルと音を立ててうどんを食べている。それを見ながら黙々とうどんを食べるわたしの反応が気に入らなかったのか、彼女は不服そうに頬を膨らませた。

「ちょっと、なにか反応してよ。うどんばっか食べてないでさ!」
「だって早く食べないと伸びちゃうもん。それに反応してって言われても……ただの鍵じゃない」

そう、彼女が見せ付けてきたのは、何の変哲のないただの「鍵」なのだ。どこから見てもよく見る鍵。鍵なんて見慣れているし、それほど嬉しそうに見せてくるものではないだろう。

「ただの鍵じゃないのよね、これが」
「金庫室の鍵とか?」
「馬鹿。そんなツマラナイものじゃないのよ」

金庫室の鍵をつまらないだと? 金庫室の鍵はすなわちお宝部屋へ続く布石だ。少なくともつまらないものじゃないと思う。それを「ツマラナイ」の一言で一蹴した彼女は、うっとりとした眼差しを鍵へと注いだ。

「これね、彼氏ンちの合鍵なの」
「……合鍵?」

ああ、だからそんなに嬉しそうだったのか。部屋の合鍵を渡されるってことは、少なくともその相手を信頼している証だと私は思う。だって自分の領域へ足を踏み入れることを許すってことでしょ? 部屋以上に自分という存在を強く表すものはないとさえ思う。その人の趣味がよくわかるからね。そこに他人をいれるのだ。よっぽどその相手を信用していないとできないことだと思うんだ。自分がいる間ならまだしも、鍵を渡せば自分がいないときでも訪れることができるのだから、結構勇気がいると思う……のよわたしは! 考えすぎかなァ……?

「この前ね、彼氏の部屋に泊まったときくれたんだ」

ああ、始まっちゃったよ……。口にはださないけどげんなりした。これから始まるのは彼氏の自慢話やそこに至る経緯だよ。多少オーバーに、ロマンチックに語りだすに決まっている。別にそういう話を聞くのは嫌いじゃない。あ、まぁ長いこと聞いているのは疲れるけど、ちょっとくらいなら普通に聞く。だけどいまは目の前のうどんのほうが大切なんだよわたしはね! 伸びきっちゃう前に完食したいのよ休み時間にも限りがあるしっ! 

けどこういう話の常識として、相手はこっちの話を聞かないというものもある。相手は別にこっちの同意など求めていないのだ。ただ聞いて欲しいだけ、それだけである。案の定彼女もそのクチで、わたしの気持ちなどお構いなしに話し始めたのであった。うう……貴重な休み時間がァァアアア!

***

白と黒でデザインされたシックなクッションを膝に抱えながら、わたしは暢気にケーキを食べているおにいちゃんをじっと見つめていた。普段おにいちゃんはケーキなんて食べないけど、今日はわたしがおにいちゃんちに遊びに来ているから、きっと予め用意してくれていたんだと思う。

遊びに行くと連絡すると、おにいちゃんはいつもお菓子を用意してくれているんだ。普段甘いものなんて食べないから買い置きなんてないはずなのにね。わたしのために買ってきてくれたと思うだけで、どうしようもないくらい嬉しい。愛されてるって実感しちゃうのよ!

「……いいなァ」
「―――そんなにコレがいいのか?」

どうやらおにいちゃんは自分が食べているケーキのことだと思ったらしい。おにいちゃんが食べているケーキはショートケーキ。ふわふわの白いクリームと、宝石のように輝く赤いイチゴが綺麗だな。

「そんなに欲しいなら食うか? 太るかもしれねえがな」

確かに。差し出されたケーキはとっても美味しそうだけど、既にわたしは自分の分を平らげてしまっていた。これ以上食べるとおにいちゃんの言うとおり本当に太ってしまう。ああでも美味しそう……。せめてあのイチゴだけでも食べたい。駄目だ、ここで甘い誘惑に負けたら本気で太る!

「………いらないっ! っていうか違う。わたしがいいなァって言ったのはケーキのことじゃない」
「違うのか? じゃあ何がいいんだ?」
「それは………」

合鍵を貰った友達が羨ましい……なんて、おにいちゃんがわかるはずがない。あの後散々聞かされて、ようやく解放されたと思えば、なんだか急に羨ましく思えてきてしまったのだ。本当に急だったんだよ。自分でもびっくりしちゃうくらい。合鍵があれば好きな人の部屋で好きな人の帰りを待つ事だってできるんだよ。特におにいちゃんみたいに不規則な仕事をしていると、会える時間も必然的に少なくなってしまうのだ。

そもそも生活リズムがわたしとは正反対なのである。会いたいと思っても眠っているおにいちゃんを起こすのは悪いし、なにより仕事で疲れているはずだからそっとしてあげたい。だから会えるのはおにいちゃんがお休みの日だけ。

以前バイトの帰りに同伴中と思われるおにいちゃんを見かけたことがあった。知らない女性と仲良さそうに歩いている姿を見たとき、正直腸が煮えくり返りそうになった。仕事とはわかっているけれど、それでも知らない女性の匂いがこびりつくようで嫌なんだ。ほーんと、彼氏がホストだと色々と大変だ。

「……そういや華那、なんか欲しいモンあるか?」
「はィ? どうしたのいきなり。別にないけど……?」

おにいちゃんちの合鍵が欲しいです。素直にそう言えたらいいのにな。でも何故いきなりそんなことを訊くのだ? もしかして日頃淋しい思いをさせているから、そのお詫び……じゃないでしょうね!? うっわ、自意識過剰。誰が淋しい思いをしているですって! 失礼ね。自惚れるのもいい加減にしろ! 別に淋しくなんてないもん!

***

「……欲しいもの? そうねえ、新しいブランドもののバックが欲しいわぁ」

さっきから手当たり次第に、オレを指名した客に「欲しいものはないか?」と訊き続けていた。大抵の女はbagやサイフ、靴や化粧品などお洒落に関するものをあげていく。そしてそれら全ての頭にはbrandという単語もついていた。

ま、こういう場所に来る客なんてモンはみんな似たようなモンか。

華那に何か欲しい物はないかと訊いてから数日が経過している。早ェこと決めちまいたいのに、当の本人が「特にない」と言ったので、オレはすっかり行き詰っていた。こういうとこにいる女みたいに、欲しい物があったらズバッと言ってくれたほうが助かるっつーのに。

欲しい物がないなんて人間、この世にいるわけがねえ。よっぽどの偽善者か、自分の欲に気づいてねえ愚かな奴くらいだろ。だから華那にも欲しい物はあるはずなんだ。だがオレに遠慮しているのか言おうとしねえ。昔っから華那は妙なところで遠慮しやがる……。

「珍しいね、竜の旦那が考え事?」
「Shit! 猿かよ……」

休憩中のオレに話しかけてきたのは、同じホストの猿……じゃねえ、佐助だった。オレには到底及ばないがこいつもホストとしてそれなりに人気があり、且つ実力もある。おそらく上位に入るホストだろう。

「で、一体何を考えているわけ?」
「別に……女へのpresentを考えていただけだ」
「それってお客の子? それとも本命の子?」
「本命だ」

猿は「そっかー、なら真剣に考えないとね」と、茶化すような口調で言った。しかし口ではそう言っていても、からかうつもりはないのか結構真剣そうな表情が窺える。やはりこういう仕事をしている身故、本命の女の重みっていうやつを理解しているのだろう。臭いセリフだがこういう仕事は客に偽りの愛を売ってナンボってモンだ。日頃から女をとっかえひっかえして、甘ったるい言葉を囁く。オレ達からすればそれが当たり前で、日常生活を送るような感覚なのだ。

だから本命の女の信頼を得るのもまた難しい。こういった男が近づいてくれば、女はまず自分が騙されていないか疑う。例え本気で惚れた女でも、こういう姿のオレを見ればどう思うか。同伴やアフター中に恋人と鉢合わせするなんて最悪だ、考えたくもない。真剣に悩むオレを見ながら、何を思ったのか猿は可笑しそうに笑い出した。

「凄いねその子、あの旦那をここまで真剣に悩ませるなんてさ。俺も一度顔を拝んでみたいよ」
「……誰がテメェなんかに見せてやるか」

そう言うと、猿は笑い声を一層大きくさせた。

「そうだな、じゃあ一つアドバイス。俺達みたいな仕事をしていると、女の子はやっぱり不安になっちゃうからさ。何か安心させてあげられるようなものをあげたらどう?」
「安心させてやるようなもの、だと?」
「そうそう、例えば……お店のお客さんにはあげないような特別な物っていうの? 服やバックだとお店の子も貰ったりすることあるから、私はお客さん達と同じなんだって思われちゃうかもしれないでしょ?」
「アイツはンな細かいこと気にするような奴じゃ……」
「ま、旦那が相手じゃ言いたいことも言えないだろうね」

オレの言葉を遮るように猿が言葉を続けやがった。猿の言うことを信じるのは癪に障る。だが猿の言うこともわかるような気がするのだ。オレだって客が欲しがるようなものを、あげたことがあるような物をあげたくはないと思っちまうからな。しかし華那の奴、なんでオレがこんなに必死になっているのか、その理由を知らないわけじゃねえだろうな……?

***

何故かいきなり、おにいちゃんから呼び出しを食らってしまった。この日はおにいちゃんの休みじゃないし、別にいつもと変わらない普通の日。なのに「仕事に行く前に会えないか?」と言われ、バイトがなかったわたしは大学が終わると同時におにいちゃんの家に行く羽目になった。ギリギリまで寝ていたかったのか、おにいちゃんはパジャマ姿でわたしを出迎えた。深い青色の大人っぽいパジャマである。どっちかっていうと紺色に近いのかな……。

「……あのさ、一体いきなり何が……?」
「これやるよ」

そう言っておにいちゃんは小さな箱をわたしに手渡した。突然のことに目を丸くさせることしかできないわたしを他所に、おにいちゃんはまだ眠たかったのか大きな欠伸をする。……まさかこれを渡すためにわたしを呼びつけたんじゃないわよね?

「あのね、何の理由もないのに物を貰うわけには……」
「オレはあげたいときにあげたい物をあげる主義なんだよ。それに華那の言う理由ならちゃんとあるぜ? ―――お前今日誕生日だろ?」
「―――――――あ」

ああ、そうか今日はわたしの誕生日だったかそうだったそうだった。また一つ年をとってしまったのね。忌まわしい……。わたしの反応が意外だったのか、おにいちゃんは呆れた目でわたしを見る。

「お前……まさか本当に忘れてたってわけじゃねえよな?」

おにいちゃんはわたしが惚けているだけと思っていたらしい。ほらよくやるじゃない。今日は自分の誕生日でも、誰かに言ってもらうまで誕生日だってことを言わないでおくの。それか今日が誕生日だってことを忘れているフリをするとかさ。おにいちゃんもわたしがそういうことをしていると思っていたようだ。

「………ごめん、本気で忘れてたわ」

ああ、だからこの間「欲しい物はないか?」って訊いてきたのね。誕生日プレゼントなら下調べくらいするよね普通。この小さな箱の中にプレゼントが入っているとわかると、ちょっとドキドキしてきた。あまりに気になったものだから、わたしはそっと箱を開けてみる。

「…………マジすか?」

中から姿を現した物は、赤いリボンが結ばれていること以外は普通の鍵だった。作りたてなのか銀色に輝いている。これってさ、もしかして……もしかしちゃう?

「一応聞くけど、これってどこの鍵?」
「決まってんだろ、ここの鍵だ」

やっぱりおにいちゃんちの合鍵だった。合鍵だって知るとただの鍵じゃなくて、何か特別な物のように見えてくる。神聖なもの、っていうのかな……? 存外に扱ったらいけないような気にさせる。合鍵の効果って凄い。

「でもなんで合鍵をあげる気になったの? これ貰ったら今まで以上に居座っちゃうよわたし」
「……こういう仕事していると会えない時間のほうが多いだろ? それがあったらいつでも会えるんじゃねえかと思ってな」
「政宗……!」

おにいちゃんの気持ちが嬉しすぎて何も言えなくなった。なんだかんだでわたしのこと考えてくれていたんだね。

「ねえ、これってお店に来る子も持ってる?」
「ンなわけねえだろ。合鍵を持ってンのは華那だけだぜ」

お店に来る子は持っていない、わたしだけの鍵。なんか特別だって言われているようで嬉しかった。

「それがあればいつでもうちに来ることができるだろ」
「うん……!」
「じゃあ掃除洗濯、それからメシも頼むな」
「…………うん?」

掃除、洗濯、メシ……とな?

「鍵をやったんだからよろしく頼むぜ、華那」

そんなことを、わたしが惚れちゃうような笑顔で言わないでよ。

「わ、わたしは家政婦じゃなーい!」

嬉しさと腹立たしさ。どっちが勝っているかといえば、当然嬉しさだ。だから口では憎まれ口を叩きながらも、わたしは満開の花の如く笑顔に満ち溢れていた。

完 BACK
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