短編 | ナノ

譲れないプライド

デスクの上に置かれた書類が減っていくのを目の当たりにしていると気分が良い。着実に仕事をこなし、ゴールへ向かっていると確かめることができるからだ。積まれた書類を見ると最初はげんなりとするが、すぐさま気持ちを切り替えてテキパキと働き始める。それが私の日常だった。だって社長ったら放っておくと、すぐ仕事を溜めてしまうから。

締め切りがあと数時間という書類も多く、そのたびに私は仕事に追われていた。こんなんでよくうちの会社は倒産しないなと思う。きっと社長を支える人達が優秀なのね。無駄に広い静かな部屋に、カタカタとキーボートを叩く音だけが聞こえていた。マンションの最上階だけということもあり、ここから見える夜景は最高に綺麗なのだ。特に今のような朝日が差し込める時間はとても美しい。高層ビルに光が反射し、外の世界がキラキラと輝いて見えるのだ。

「……って外の景色に見惚れている場合じゃないわ。早くこの資料を完成させないと!」

本当ならこの資料はとっくにできているはずだった。昨日ちょっと残業さえすれば、こうやって朝早くからパソコンに向かい仕事に勤しむ必要など皆無なのである。じゃあ何故私は朝早くから仕事に追われているのか。今は出勤前だし、本当なら自宅でのんびりと過ごしているはずなのに……。

どうして社長の自宅で、わざわざパソコンを借りてまで仕事をしているのかというとだ。全ての原因はまだベッドの中で眠っている社長本人にある。今日中にこの資料を完成させたいと懇願したのに、社長は私の都合などお構いナシに自分の欲望に突っ走ったのだ。何が起きたか私の口からじゃとても言えない。恥ずかしすぎる。

私も私で、必死で抵抗するも結局負けてしまい、そのまま社長の自宅でそりゃもう熱い夜を過ごしたのだった。おかげでろくに眠れず、実は今とっても眠い。身体中からまだあの心地よい疲労感が抜けておらず、疲労プラス睡眠欲が私の身体を襲っていた。だがそこは気力で頑張るしかない。もう一度気合を入れなおし、改めてパソコンに向かったときである。静かだったこの部屋に私以外の「音」が生まれたのだ。

「Good morning honey」

社長の唇がそっと私の頬に触れた。チュッと名残惜しい音をたてる。なーにがグッモーニンよ、私はそれどころじゃないんだ見てわからないのかこの社長は。私の提出が遅れると文句を言うに決まっているのに、どうしてわざわざ提出が遅れるようなことを仕出かしてくれるのか……。私は顔色一つ変えずに「おはようございます社長」と端的に述べた。

「朝っぱらから仕事か? 精が出るな」
「本来でしたら昨夜に片付くはずの仕事でしたか、突然の私用でそうもいかなくなりまして。本日この資料が必要になられるということなので、出勤前に完成させてしまおうと思いまして……」
「突然の私用、ねえ……」

皮肉をたっぷりと込めて言ってやったのに、社長は喉の奥でクツクツと笑っただけだった。

「もし間に合わない事態が起きれば、完璧主義である社長が黙っていないでしょう?」
「そうだな。社長という立場では許すことはできねえが、伊達政宗個人とすりゃ別に遅れても構わねえぜ。その代わり罰としてたっぷりと啼かせてやるがな……勿論bedの上で、だが」
「朝早くからなに盛っていらっしゃるんですか。つまらない冗談を仰る暇がございましたら、さっさと朝食を食べて出勤の準備をしてくださいませ。朝食はテーブルの上に用意しておりますので」

そう言うと、何が気に入らなかったのか、社長はムッと眉を顰めてしまった。

「出勤前だっつーのにもう秘書としての顔になっちまってるぜ? ここは会社じゃねえ。オレの部屋だ。まだ秘書の顔になるのは早いんじゃねーか、華那?」
「ここがどこだろうか今のわたくしは仕事中です。ならば今のわたくしは社長の秘書でございます。この口調でおかしい点など一つもございませんが?」

社長は伊達政宗の恋人である、ただの音城至華那として接しろと言いたかったらしい。確かにここはオフィスではないので、普段の口調で、上司と部下ではなく恋人として振舞っても問題はないだろう。だが場所がどこであれ仕事をしているなら私は社長の秘書である。ならそれに相応しい態度で振舞う。これは私が自分で決めたことだった。例え社長でもこれだけは譲れない。

「わたくしは自分の仕事に、社長の秘書であることに誇りを持っております。だからこそ仕事とプライベートはきっちり分けたいのです。ですのでこの仕事が終われば、わたくしは社長の秘書ではなく、ただの音城至華那に戻りますわ。社長秘書ではなく、政宗の恋人である音城至華那に」
「…………あとどのくらいで終わりそうだ?」
「そうですね……。既に最終チェックの段階なので、あと十分ほどかと」
「十分だな。わーったよ。……ったく、昔っから変なところで頑固だよな、お前は」
「お褒め頂き光栄ですわ」

時計に目をやると、出勤まであと一時間半もあった。その間たっぷりと甘えさせていただきますからね、社長?

完