短編 | ナノ

横顔に魅せられた

好きになった理由なんて特にない。ただの一目惚れだったのだ。駅で偶然見かけたのがそもそもの始まり。それまで「誰もが振り返る美形」なんてマンガの世界だけと思っていた。だけど現実にもそういう言葉に相応しい人がいたのだと、おもわず振り返させられて実感した。私が見えたのは彼の横顔だけ。それでも興味を誘うには十分なものだった。

この瞬間、たしかに私の世界は変わったのだ。

あの人からすればなんでもないことだろう。おそらくただ歩いていただけなのだから。普通に歩いていただけで、私のことなど知るはずもないし、気にも留めるはずないのだ。私のように彼の世界も変わってくれたらどれだけ嬉しいか。叶わぬ願いだとわかっている分、想像しただけで軽いダメージを受けた。

もっと彼を見たい。でも既に彼はそこにいなくて、辺りを見回してみたが彼の姿は見えなかった。ほんの一瞬すれ違っただけなのに、頭の中から彼の横顔が消えない。何度も何度も、彼の横顔が頭の中で形を作っている。彼の横顔が頭に焼き付いて、他のことが考えられないのだ。

これほど強い印象を、彼は私に残していったのか。名前も知らない、声も知らない。私は彼のことを何一つ知らない。知っているのは彼の横顔、それだけ。なのに―――私はその横顔に心を奪われた。

彼のことを知ろうにも手がかりなんてなかった。ただこの駅で見た、という情報しか私は持っていないのである。この駅で見かけたということは、この駅を利用する範囲内に住んでいるのかもしれない。もっとよく考えれば、何かの用事で偶々この駅に降りたのかもしれない。後者だったら捜すのは不可能だ。

それから数日後、神様は私を見捨てていなかったのだと実感した。手がかりを得ることもできず、あれから何度も駅に行ってみたけど彼の姿を見ることもなく、要はこれっぽっちも進展せず途方に暮れながら学校へ向かっていたときだ。校門付近で、私は再び彼と出会ったのである。彼は私と同じ制服を着ていて、少し気だるそうな表情で生活指導の先生と話していた。先生が何か怒鳴っている。あの人は何かやらかしたのだろうか……? 眠たそうに大きな欠伸までしている。するとまた先生の表情が怖くなった。私なら泣きそうになるくらいの先生の説教なのに、当の本人は面倒臭そうな表情を浮かべながら聞き流しているようだった。

まさかこんな形で再会できるなんて……思ってもいなかった。私と同じ制服を着ているということは、彼もこの学校の生徒である証拠だ。一度も見たことないってことは、少なくとも同じ学年ではない。おそらく先輩だろう。こんなに近くにいたなんて夢にも思わなかった。どうしよう嬉しすぎる! さすがに今は声をかけないほうがいいだろう。なに、同じ学校に通っているとわかったのだ。チャンスはまだある!

「―――それって多分、伊達先輩じゃない?」
「伊達先輩?」

……って誰だ……? 記憶を巡らせてもいまいちピンとこない。今朝の出来事を伝えると、目の前に座る友達は「伊達先輩じゃない?」と返してきたのだが、そう言われても私にはわからなかった。首を傾げていると、友達が呆れた視線を私に向けてきやがった。なんでそこまで冷たくされなきゃいけないのよ。

「アンタさァ……伊達先輩のこと知らないって言うんじゃないわよね?」
「知らないって言おうと思っていたのに釘を刺されちゃったね」
「うそ、本当に知らないの!? 学校で一番有名な人だよ!?」

なんだか馬鹿にされたような気分だ。一番有名と言われても、誰もが知っているというわけではないと諭してやりたい。

「生徒会長の伊達先輩だよ。新入生歓迎オリエンテーションで挨拶してたじゃない」
「………と、言われてもねえ」

そのオリエンテーションに不参加である私が知るはずないだろう。オリエンテーションなんて面倒なだけと思い、色々と理由をつけてさっさと退散したのだ。そうか、あの人が出ていたのならちゃんと参加しておけばよかったかも……。ちょっと残念。

「ね、じゃあさ。その伊達先輩ってどんな人?」

学校で一番有名な人なら、噂の数も一番有名に違いない。噂なんてものは興味の裏返しなのだから。

「とにかくモテる!」
「………だろうね」

あれだけの美形、女が放っておくはずないじゃん。

「でもね、告白してもみんな振られているらしいよ」
「うそっ?! 」
「本当だよ。どんなに美人でも、どんなに可愛らしくても、先輩は一度もOkしないんだって」
「なんだ、てことは彼女いるんじゃん」
「ううん、彼女はいないよ。これは断言できる」

どんな女も選り取り見取りだろうに、どうして誰とも付き合おうとしないんだ? 彼女もいないのなら、例に付き合ってみればいいのに。なーに、次々と女が寄ってくるんだ。振っても、例え振られても不自由はしないでしょ。

「それと嘘か本当か知らないけど、伊達先輩の家ってなんか危ない家業しているって噂だよ」
「危ない家業?」
「うん。てっとり早く言えばヤクザ」

……できれば聞き間違いであってほしいと思う。ヤクザ? うっそだー。だって私達普通の、ふっつーうの高校生だよ?

「だって先輩達がそう言ってたもん。実際に伊達先輩、ケンカかなり強いらしいし」

ケンカもするの!? ま、まぁ優等生か不良かって訊かれれば、不良っぽいと思うけどさ。ケンカも強そうだし、ケンカしているときなんて活き活きとさえしてそうだけどさ! だけど……いくらなんでもヤクザはないでしょ。

「なんか私、とんでもない人を好きになっちゃったかも?」
「ならさ、今から見に行かない?」
「―――え?」

こんなところであーだこーだ言い合っているより、生を見て喋って、真実を知るほうが有意義よ! という友達のわけのわからないノリにつき合わされ、私達は二年生の教室がある階の廊下にいた。学年が一つ違うだけ。年が一つ違うだけなのに、周りにいる先輩達が妙に大人っぽく見える。つい最近まで中学生だった私達と違い、高校の制服がやけに着慣れていて、より一層大人っぽく見えてしまう。私達の制服なんてまだ初々しさが取れなくて、制服を着ているというより着せられている感が拭えない。

「たしか伊達先輩はA組のはずよ。ほら、さっさと行こ!」
「う、うん」

私よりもアンタのほうが楽しそうにしていないか? これじゃあどっちのためかわからない。そんなことを思いながら廊下の角を曲がる。すると目の前をサッと黒い影が過ぎった。横にいた友達は短い悲鳴をあげ、私は悲鳴すらあげることができずに硬直してしまう。な、なんだ!?

「ご、ごめん! 大丈夫!?」
「あ、はい……」

黒い影の正体は人間だった。私達のような初々しさがないことから、この人は先輩なんだと直感的に悟る。先輩ってことは敬語を使わなくちゃいけないよね。中学からどうしてこんなに上下関係が厳しいんだろう。小学生の頃なんて敬語を使う必要なんてなかったのに。だってたった一つか二つの差なんだよ?

「ごめんね、ちょっとバカ宗から逃げてる最中で……」
「…………バカ宗?」

先輩はよっぽど急いでいるのか少し早口だった。バカ宗って誰かのあだ名だろうか。随分とふざけたあだ名である。こんなあだ名で呼ばれる奴はどんな奴なのかな?

「―――Hey 華那。ようやく見つけたぜ……?」
「ゲッ!」

少し離れたところから背筋がゾクゾクとするような声が聞こえた。華那と呼ばれた先輩はおもいっきり顔を顰めて、心底嫌そうな表情をしている。もしかして、例のバカ宗って人に見つかったのだろうか。先輩が見ているほうに目をやると、そこにはなんとも楽しそうな笑みを浮かべているあの人がいた。今度は私が顔を顰める番である。え、どうしてここに伊達先輩がいるの!? ていうかバカ宗って伊達先輩のことだったの!? 混乱しながら伊達先輩と華那先輩の顔を交互に見る。

「さっきはよくもこのオレにkickを食らわしてくれたなァ。この礼は高くつくぜ?」
「あれは偶然当たっただけで、事故みたいなものじゃない! 政宗を蹴るつもりなんてこれっぽっちもなかったんだよ!?」
「しっかしありゃなかなか良いkickだったぜ。さすが暴力女だけのことはあるな」
「誰が暴力女よ失礼ねッ!」

ゆっくりとにじり寄ってくる伊達先輩に怯えているのか、華那先輩の顔はすっかり強張っていた。それとは逆に伊達先輩の表情はどんどん緩んでいく。まるで華那先輩の怯える姿を楽しんでいるかのようだ。ただそれだけのやりとりで、私は伊達先輩の性格をちょっとだけ知ることができた。この人、きっとものすごくSだ。

「………隙あり!」
「甘ェよ―――」

ゆっくりと近づいてくる伊達先輩を逆手に取ったつもりだったのか、それまで一歩ずつ後退していた華那先輩が背中を向けて急に走り去ろうと試みた。が、その動きを読んでいたかのように、伊達先輩は一瞬で距離を詰めあっさりと華那先輩を捕まえた。右腕で華那先輩の首を挟みこむように掴み動きを封じ、空いた左手で華那先輩の頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。

その―――そのときの伊達先輩を見たら、私の中で膨らんでいた気持ちが一気に萎んでいった。ちょっと前までのあの高鳴りが嘘のよう。

「ね、行こう……?」
「え、どうしてよ。折角あの伊達先輩とお近づきになれるかもしれないチャンスなのに!」
「いいから」

伊達先輩の目には私なんか映っていないのだろう。映っているのは、きっと、華那先輩……だけ。

***

自分達の教室に戻るなり、一緒に伊達先輩を見に行っていた友達が噛み付いてきた。言葉という弾丸が容赦なく乱射される。どうして帰ってきちゃったの、全然喋れなかった、と、非難の言葉ばかり。

この子は伊達先輩の目に気づかなかったのだろうか。私はすぐさまピンときたのに、彼女は本当に気づかなかったのだろうか?

「だって……伊達先輩は私のことなんか気にも留めないってわかっちゃったからさ」
「そんなの話してみないとわからないじゃない」
「話さなくてもわかるよ。だって伊達先輩、私と同じ目をしていたもん」

私と同じ、恋をしている人の目。ううん、私なんかよりもっと深い、愛している人の目だった。私と同じ瞳を華那先輩に向けていた。だから私はわかっちゃったんだ。ああ、伊達先輩は彼女のことが好きなんだ、と。伊達先輩に彼女がいないのは、華那先輩のことが好きだから。彼女以外目に入らないから、いくら綺麗で可愛い女の子に告白されても心が動かないんだ。そうだよね、好きな人以外目に入らないのが当たり前だよね……。

「あーあ、折角の初恋だったのになァ……」

初恋は実らない。そんなわけないって、心のどこかで信じていたのに。この広い世界、きっとうまくいく初恋だってあると思う。ただ私には縁がなかったということだろう。

完