短編 | ナノ

あの言葉をいつか君に伝えよう

ずっと見つめていてほしいなんて我侭は願いません。だからせめて今だけは。この瞬間だけは私を見つめていてください―――。

私に何ができるのか。改めて考えてみたけれど、何もないという事実しか浮かばなかった。でもそれほど哀しくはない。何度も考えてみるんだけどいつも同じ答えしかでてこないから、今回もやっぱりまたかというくらいの気持ちだ。なら考え直してみよう。何ができるのかではなく、私にできることといえば何か。

「うわぁ、こっちに来るなぁぁあああ!」

本当は暢気にこんなことを考えている場合ではないのに、こういうときに限って考えてしまうのは私の悪い癖の一つかもしれない。ふっと現実に意識を戻せば、沢山の音と臭いが私の感覚を刺激した。

聴覚が捉えたのは刀と刀が激しくぶつかる甲高い音と人々の悲鳴や断末魔。視覚が捉えたのは辺り一面に広がる血の海と、そこに倒れている沢山の人だったモノ。嗅覚が捉えたのは火薬の匂いと鉄の臭い、あと人だったモノの脂の臭いだった。

そうだった、今は戦の真っ最中。どうしてそんな大事なことを忘れてしまっていたのかしら。私の目の前には背中を向けて逃げ出す足軽達。彼らを冷めた瞳で見ながら、私は躊躇うことなくその背中目掛けて刀を振り下ろす。彼らは小さな声を発し、そのままぐったりと倒れてしまった。

辺りに広がる血の海がまた一段と濃くなった。辺りを見回してみると、私と目が合った人達は皆、手にしていた刀を捨てて一目散に逃げ出し始める。

私にできることなんて、これだけだろう。人の血と脂に染まりきった刀を見ながら、そんなことをまるで他人事のように考える。駄目ね……考え方を変えてみても、やっぱり一つしか思いつかなかった。私にできることなんて、人を斬ることだけなのだ。

ヒュッと刀を小さく振ると、辺りに新たな血の染みができる。しかし新たな染みは血の海に溶け込み、すぐさま見分けがつかなくなってしまった。こうすることで刀についた血はある程度取れるが、さすがに脂までは振り落とすことができない。

やだな、この刀は政宗様から頂いた刀なのに……。政宗様から頂いた刀を、汚らわしい血と脂で汚したくなかったな。そんなことを言ったら政宗様に怒られそうだから言わないけれど。

少し離れたところでは何度も稲妻が轟いている。きっと稲妻が降り注ぐ近くに政宗様と小十郎様、そして敵の大将がいるはずだ。政宗様ったら、相変わらず派手にやっているな。大将なのに一番突出するんですもの。小さい頃からそういうところは変わっていらっしゃらない。小十郎様も大変だろうに。

ううん、案外一番大変なのは成実様かもしれないわね。縁の下の力持ちというか、見えないところで伊達軍を支えているもの。戦中の小十郎様は暴走しがちな政宗様を見るのに必死だから、結局成実様が他の兵士達を見なくちゃいけないことが多いのだ。

「もうそろそろ決着がつく頃合かしら……?」

そう思った矢先、今まで一番激しい稲妻が蒼い光を放ちながら落ちた。あまりの轟音におもわず耳を塞ぎたくなる。だって五月蝿いじゃない。きっとあの激しい稲妻は終わりの合図でしょうね。政宗様が敵の大将首を獲った―――勝利の証だ。

ほら、どこからか勝ち鬨が聞こえてきた。それは見る見るうちに広がり、気がつけばこの場にいる伊達軍全員が勝ち鬨をあげている。よかった、きっと今日のお酒はいつもより美味しく思えることだろう。

***

桜がとても綺麗という理由だけで、城ではなく野営地で勝利の宴をすることになった。きっとお城に帰る時間すらもじれったいのであろう。野営地はもう飲んで騒いで収集がつかない事態だ。ただでさえ賑やかな人達が多い伊達軍は、お酒と勝ち戦という効果も合わさって馬鹿騒ぎ状態である。

そんな中私はこっそりと抜け出して近くの川に訪れていた。手には政宗様から頂いた愛刀がある。一刻も早くこの刀にこびりついた血と脂を洗いたかったからだ。刀なのだから血と脂がこびりつくのは当たり前のこと。むしろ一つの穢れすらないほうが、刀としては哀しいのかもしれない。でもやっぱり刀に血と脂がつくことだけは、何度も戦を経験しているにも関わらず慣れずにいた。

水面に映る自分の顔をじっと覗き込む。御座なり程度に洗い落としたつもりだったが、よく見ればところどころに赤黒い染みがこびりついていた。これが誰の返り血で、何人のものなのかわからない。わからないほど殺したし、根本的にわかろうという考えがなかった。ボーっとしながらじっと水面を覗き込んでいたら、背後から私以外の顔が映し出され、その見覚えのある顔に私はハッとなり慌てて顔をあげた。

「―――何やってんだ、華那?」
「………政宗様。政宗様こそこんなところで何をなさっているのですか?」

宴の主役が抜け出しては拙いだろう。だが政宗様は気にしていない様子で、「あの盛り上がりようじゃ、オレが抜け出してもわかんねえだろうよ」と笑って言ってのけた。

「オレは華那がこっちに行くのが見えたから後をつけただけだぜ。で、何やってんだ?」
「刀に付着した汚れを洗い落とそうと思いまして。一刻も早く洗いたかったんです。近くに川があるって成実様から聞いて……」
「………やっぱり、まだ慣れないか?」

政宗様の言葉に私はコクンと頷いた。どうしても慣れない。刀に血と脂が染み付くことが、何度戦を経験しても慣れないのだ。赤の他人の血と脂を吸った刀を見ていると、まるで自分が修羅にでもなったような気分になる。人の命を奪って生きていることが、とんでもなく悪いことだと責められているような錯覚を覚えてしまう。この刀から今まで私が殺めた人達の怨念が噴き出るのではないか、その怨念が私を殺すのではないかと、最近はそんなことまで考えてしまう。

「そんなに辛いのなら、華那は戦に出なくていいって何度も言って……」
「でも私にはこれしかないんです」

私にできることはこれだけ。だからやるしかない。政宗様のお傍にいるには、戦に参加するしか方法がない。小さい頃親に捨てられた私を拾ってくださり、小姓としてお傍に置いてくださったご恩のためにも。ずっと見てほしいなんて願わない。でもせめて戦の間だけは。戦の間だけは私を見てほしいと願ってしまう。

少しの間だけでもいいから私を見て! 私を覚えてほしい! 私という存在を刻んでほしい! 

とうの昔に捨てたはずの女としての感情が噴出しそうで、時々自分自身が恐ろしくなる。

「私には刀を握る以外、政宗様のお傍にいる理由がありません。綱元様のように頭も良くない。成実様のように血の繋がりもない。小十郎様のように政宗様を支えることもできない。ましてや女中の仕事もできない私には、もうこれしかありません」

わかっていたとはいえ、何もないと改めて自覚すると複雑な気持ちになる。でも、それでも。贅沢だが私は繋がりがほしい。どんな形でも、どんなに細い繋がりでもいいから欲してしまう。政宗様との繋がりを願ってしまう自分が情けなく、そして見苦しい。もう誰かに捨てられたくない。いらない子なんて言われたくないの……。

「……欲しいか? 繋がりが」
「どういうことでしょうか……?」

政宗様の言おうとすることがわからず、私は政宗様の瞳をじっと見つめた。すると政宗様は少し顔を赤らめ、あからさまにそっぽ向き頭をガシガシと乱暴に掻き始めた。「こういうことは柄じゃねえんだがな……」と言われても、何が言いたいのかわかりません。

「その、だな。華那がオレの嫁になるっつー……」
「あーっと! 悪ィ、手が滑ったー!」

少し離れた場所から緊張感のない声が聞こえたと思ったら、ヒュッと耳元で何かが掠った……ような気がした。しかしそれは気のせいではないと、数秒経った今はっきりと理解する。何故なら先ほどまで政宗様がいらっしゃった場所に、一本の苦無が突き刺さっていたのだ。耳元を掠ったのはきっとこの苦無だろう。政宗様は間一髪のところで避けたらしく、怪我はないが湧き上がる怒りで全身が震えていらっしゃった。もし避けるのが少し遅かったら、この苦無は政宗様の身体に怪我を負わせていただろう。でも誰が? 残存兵か!?

「ごめんごめん。つい手が滑っちまってよー。怪我はない? 梵」
「し、成実様?! 何をやって……」
「成実……安心しろ、怪我はねえよ」
「そっか、残念」
「残念つったなオイ。はっきりと残念つったな今!」

ということはこの苦無は成実様の仕業で、わざと政宗様を狙ったということになる。でもどうして? 成実に至っては謀反を起こすなんて考えられない。

「あ、華那。みんな捜してたよ。早く宴に戻ってくれない? 伊達軍の紅一点がどこいったーってね」
「え……あ、はい。では政宗様、失礼いたします」

二人に頭を下げると、私は賑やかな宴の場へと戻るため急ぎ足でその場をあとにした。結局政宗様が言おうとしたことが何かわからなかったけれど、何を言いたかったのかしら?

***

「成実、今のわざとだろう……?」
「当たり前。一人だけ抜け駆けしようとなんて許さないよ。なんだっけ……えーと、ぷろぽーずだっけ? 梵が華那にぷろぽーずしようとするたびに邪魔してやる」
「Ha! ……上等だ」

何度成実に邪魔されても関係ねえ。華那がちゃんと誰かに必要とされていると、一人ではないと自覚する日がくるときまで、オレは何度だって伝え続けるだろう。

その言葉は……。

完