短編 | ナノ



敗走を余儀なくされたこの戦い。部下として―――唯一出来ることをしなくては。

***

こちらの状況が不利と分かり、それでもこのまま強引に進軍し続けるほど愚かな指揮を彼は執ろうとはしない。少しでも多くの部下に生き延びてもらおうと、彼は早々に撤退命令を下した。

ここで重要なのは、彼を死なせないこと。どんな戦いでも指揮を執る人間が死んだとなると、その時点で永遠の敗北が決定となる。生きていれさえすれば次があるのだ。そこで配下である私達は、何があっても指揮を執る人間を守らねばならない。 ―――例え、この命と引き替えでも。

私は馬に跨り、無数の屍が横たわる戦場を無我夢中で駆ける。純白の鎧は真紅に染まり、返り血なのかそれとも自分の血なのか区別が出来ない。言葉を発せぬ屍は虚ろな目で私を見上げているが、同情している場合ではない。今は同情する時間すら惜しいのだから。

彼は大将だというのにいつも最前線で刀を振るっている。故に彼が無事なのか心配で堪らない。剣戟の音が一番激しい戦場に辿り着くと、私はようやく安堵の息を吐いた。そこに無傷の彼がいたからだ。彼は次々と迫り来る敵を六本の刀で斬りつけていた。

彼は私の姿を視界に捉えると、厳しかった表情を少しだけ和らげた。馬が完全に止まる前に私は馬から飛び下り彼に駆け寄る。彼も私に駆け寄って来ていたから、私達の距離はすぐに縮まった。 お互い無事なのを確認し安心したのもつかの間、私は成すべきことをするためにゆっくりと彼にこう告げる。

―――逃げて。

私がさっきまで跨っていた馬を示しながら、この馬で逃げろと告げる。すると滅多なことでは動揺しない彼の瞳が大きく揺れた。 そんな顔しないで。 私は貴方の部下として当然のことをしているだけだよ。貴方だって私と同じ立場なら、同じこと言うでしょう?

―――大丈夫、私も後から必ず追いつくから。だから先に行って待ってて?

自信に満ちた瞳でこう言うと、彼は「絶対だ」と言って馬に跨る。

駄目、もう少しだけもって。彼の姿が見えなくなるまで、この仮面を剥がしちゃ駄目なんだ。強がりという名の仮面を剥がしちゃ駄目……泣きそうな顔はしちゃ駄目なんだから……。

馬に跨り駆けていく彼の後ろ姿を見送ると、私は体中の力が抜けてその場にへたり込んだ。実は、もうフラフラだったんだよね……。血が足りないのか、正直意識を保つことが出来ない状態に近い。この鎧を汚す紅いものの大半は自分の血だってことは、自分が一番理解している。でも彼の前ではそんなこと言えるわけがない。そんなことを言ってしまえば、逆に彼は私を逃がすことだろう。それだけは避けなくちゃいけない。

私の命はもう長くはないだろう。だからこそ、最期に彼だけは逃がしたいと思ったんだ。どうせもう尽き果てるこの命、惜しくはない……。けど、まだ私は死ぬことを許されていない。部下として、最期にもう一つやらなくてはいけないことがある。

私は刀を地面に突き刺し、それを支えにしてよろよろと立ち上がり自分の背後に目をやる。私の背後には沢山の敵がそれぞれ武器を構えて押し寄せていた。地面に突き刺した刀を抜き、ゆっくりと構える。

貴方に敵を近づけさせてはいけない、近づかせてなるものか。例えこの身が引き裂かれ、私という存在が侵されてもここを抜かせはしない。

ごめんなさい。私は貴方に嘘をつきました。「必ず追いつく」と言ったけど、それは最初から不可能な約束でした。果たされることのない約束を私はしてしまったのです。

こんな私の嘘を、貴方は許してくれますか…………?

完