短編 | ナノ

哀媛戀慕

嗚呼、なんと恐ろしい殿方であらしゃりますか。

蒼天を彩るように、鴇色の花弁が舞い上がる。ふわりふわりと流れるように舞う様は、それだけで人の心を魅了して離さない。空色と鴇色の見事なまでの競演。青空に桜の花弁が舞う様子は、時代が幾つ移り変わろうと決して変わることない美しき光景だ。

満開の桜の木の下で、金色の扇がしなやかに煌く。扇を遣い舞を披露しているのは、艶やかな黒髪に相反するかのように白い肌をした、それはそれは美しい少女だった。その横では数人の女性が神楽鈴や琴を演奏している。彼女の舞には、観ている者が息をすることすら躊躇われるほど魅入ってしまう。まるで彼女が扇を煌かせると、桜の花弁が舞うかの如く。桜でさえも扇のように操っているかのような、そう思わせる幻想的な舞だ。

数枚の桜の花弁がひらひらと金色の扇の上に舞い落ちる。そのことを知ってか知らずか、少女は扇を、彼女を観ている者達に突きつけた。すると次の瞬間、ぶわっと突風が吹き荒れる。その突風のせいで桜の花弁が吹き荒れ、一瞬だけ少女の姿が桜の花弁の中に掻き消えた。

と同時に演奏が終了し、幻想の時間は終わりだと静かに告げる。桜の中に吸い込まれ、何処かへと消えた少女。最後の瞬間まで、幻想的な舞だった―――。この世のものとは思えない永遠のようで一瞬だった時間が終わっても、誰もが口を噤んだまま声を発しようとしなかった。否、できない。余韻に浸っているのか、あの幻想からまだ抜け出せないのだ。

「Wonderful!」

一人の青年の口から、聞き慣れない言葉が紡がれる。それを皮切りに、大きな拍手が周囲を震え上がらせた。皆が口々に「最高っス!」や「見惚れていました!」などと、野次にも似た声で褒め称える。それらが向けられている先には、先ほど素晴らしい舞を披露した少女が、少し困惑しながらもはにかみながら頭を下げていた。

「Hey 顔上げろ。オレはアンタの顔が見たいんだぜ、華那」
「……そんなっ! 私のようなものが政宗様のお顔を拝見することすら、本来なら許されないことですのに……」
「ンな堅苦しいこと誰が言ったんだ?」
「誰が、ということではありません」

振りかぶるように頭を上げた少女―――華那は、今にも泣きそうな表情で政宗を見上げる。しかし政宗は笑っていて、開いた口からは白い歯がちろりと窺えた。

華那は「政宗様は私の気を知らないのだ」と、心中で悪態をつく。一国の主である彼と、たかが国々を渡り歩く舞手でしかない華那。身分の差は子供でもわかるほど明らかで、本来ならこうしてお目にかかることすらありえない。

「しかし華那の舞は日に日に綺麗に、でもどこか哀しくなる舞だな……」
「………わかっては、いるんです」

出逢いは本当に、偶然だった。華那達は舞いを披露し見物料を頂く、所謂旅の「遊女」だった。西から北上し、この奥州の地へと辿り着いて数日。城下町の一角で、いつものように舞を披露していたときだった。彼女達が舞うすぐ傍で子供の泣き声が聞こえ、華那はおもわず踊ることすら忘れ立ち尽くしてしまう。周囲に目を凝らせば、三人の武士が小さな子供を取り囲んで鋭い眼差しを向けていた。華那は周囲の止める声も聞かず、子供のほうへと駆けた。子供は泣きながらずっと「ごめんなさい」と呟いていて、三人の武士はそんな子供を見下しながら下卑た笑みを浮かべている。華那は子供の前に立つなり、三人の武士へ牙を向けた。

「お侍様がこのような童に何事ですか?」
「あ? なんだテメェは」
「ああ、さっきからあそこで舞ってた女か」
「この童は俺達に怪我させたんだよ」
「ちがっ……ただぶつかっただけ……!」
「だからぶつかって怪我したって言ってんだよ!」

咄嗟に子供が反論しようとするが、三人のうち一人が荒い声でそれを抑制する。子供はビクッと肩を竦ませ、これ以上泣き顔を見せまいと俯いてしまった。小さな身体は言いようがない恐怖に支配されていて、ガクガクと足元を震わせている。本当は立っていることすらやっとだろう。それでも理不尽な言いがかりで悪者に仕立てられたことに腹を立て、もうこれ以上は弱みを見せまいと踏ん張っているのだ。華那はなんともいえぬ複雑な瞳で子供を見つめると、キッと厳しく射抜くような眼差しを三人の男に向ける。
男達もそんな目で見られるとは思ってもいなかったのか、少しだけ目を怯えという感情で揺らがせた。

が、それも僅かな間だった。男達は腰の刀に手をかけ、あろうことか抜刀したのである。刃の煌きを見せ付ければ、華那と子供が怯むと思ったのだろう。しかしそれは―――誤算だった。

「刀を見せれば私達が貴方方に跪いて命を乞うとでも?」
「なんだと!?」

華那の凍るような冷たい言葉に腹を立てた一人が、刀を振りかざしながら突進する。
子供はぎゅっと目を瞑り、それまで息を潜めて様子を窺っていた野次馬達は悲鳴を上げた。ちょっとした混乱に満ちる中、華那だけが目を鋭く見開いたまま微動だにしなかった。男が刀を華那目掛けて振り下ろした刹那、誰もが華那が血に染まる光景を想像していたに違いない。白い肌、艶やかな黒髪、美しい人形のような顔立ち。これからが無残に紅に染まるのだ。

が、現実にそれは起こらなかった。男が振り下ろした刃が華那を斬るよりも早く、彼女は目を見開く行動に出ていたからだ。華那は一歩後退すると男が振り上げた刀の鍔目掛けて、強烈な蹴りを繰り出したのである。それは見事鍔に当たり、男は蹴り上げられた衝撃で後ろへと仰け反ってしまう。その一瞬の隙を更に突き、華那は男の腹部に回し蹴りをいれたのだ。男は醜い濁音混じりの声を上げるとともに、手にしていた刀を落としてしまった。腹部を押さえながら身体を丸くさせて、強烈な痛みに耐え切れず咽ている。残る二人は華那に目を見開き、華那は腰が引けている二人に鋭い眼差しを突きつけた。

「……私はこの戦国の世を旅して回っています。自分の身を護る術を知らないとお思いですか?」

いつ戦に巻き込まれてもおかしくはない。それどころか女だけで旅すること自体危ないのだ。自分の身は自分で護る他ないというのに、この男達はその術を知らずに暢気に旅をしていたと思っていたのか。

「……く、くそっ!」

残る二人は地面に蹲る男を無視し、背中を向けては一目散に逃げた。決して振り返ることなく、蹲っている男など初めからいなかったといわんばかりに。所詮、その程度だったということだろう。

「……すげェな、アンタ」
「誰ですか?」

後ろから声をかけられ、華那は咄嗟に厳しい声で対応してしまったことに後悔を覚えた。だが後ろにいた人間からは気配が感じられなかったのだ。すなわち気配を殺せる人間、ということになる。そんなことができる人間はろくなものじゃないと華那は知っている。

華那が警戒心丸出しで背後を振り返ると、そこにいたのは長身の男だった。右目は眼帯で覆われており、顔立ちはどこか普通の人と違う印象を受ける。でもこの人、どこかで見たことがあるような気がする。どうして?

「ンな警戒心丸出しにするな、オレはさっきからアンタを見てたんだよ」
「……さっきから?」
「アンタが舞っている間から、な」

ああ、だからかと華那は納得する。自分はあの人混みの中で、彼の姿を見つけたのだ。だからどこかで見たことがあると思ったのだろう。舞っている最中、華那は自分を見てくれている人の顔を見る癖がある。穏やかな瞳で自分の舞を見ていてくれる、そう感じられるだけで彼女は幸せだった。もっと大勢の人に自分の舞を見て欲しい、この乱世で少しでも穏やかな気持ちになれるなら。思えばそれがきっかけで、こうして旅をするようになったのだと、そんなことを思い出した。

「アンタの舞から目を離せなかった、どうやらオレはアンタの舞に惚れちまったらしい。だから頼みがある。オレの城で、舞ってくれないか?」
「………え?」

これが後に知るこの奥州を治める若き竜、伊達政宗との出逢いだった。

***

それから華那は旅の遊女ではなく、伊達政宗専属の遊女となった。以後彼の城で、この城に住まう人のためだけに舞う。最初は戸惑ったが、今はとても幸せだ。なにより政宗の前で舞えることが嬉しい。彼の視線をその身に受け、華那はこれ以上ないほど美しい舞を踊るのだ。でもどうしてこれほど美しい舞が踊れるのか。

きっとそれは、私が抱いてはいけない想いを抱いているからだわ。

自覚していた。しているからこそどうしようもないくらい、辛い。

私は奥州王伊達政宗様の為に舞っているわけじゃない、私は。

できれば気づかないためが自分のためだったのかもしれない。そうすれば、ただの舞手でいられた。

私は―――ただ愛してしまった人の為に舞っている。

自覚してしまえば止まらない、でも自覚しなければ私はここで舞ってはいない。これほど素晴らしい舞を踊れない。

政宗様は先ほど「日に日に綺麗に、でも哀しい舞」だと仰った。それは当たっている。だって美しくなるのは政宗様を、愛した殿方を想って舞っているから。哀しくなるのは、それが決して届かぬ想いだと自覚しているから。日が経つにつれこの想いは大きくなり、比例するかのように哀しくもなる。

アンタの舞から目を離せなかった、どうやらオレはアンタの舞に惚れちまったらしい。だから頼みがある。オレの城で、舞ってくれないか?

まるで「好きだ」と言われたような気がした。舞ではない、華那自身が。華那が好きだと言われたような気分になってしまった。きっとそれで錯覚してしまったに違いない。その瞬間、華那の心は政宗に囚われた。もう一生、逃げられないくらいに。

でも貴方様は私を見てくださることはないでしょう。だって最初から貴方様は私を見てくださっていない。私の舞は見てくださっても、私を一人の女としては見てくださらない。貴方様の瞳には、出逢ったときから違う女性が映っていたんですもの。

「―――政宗様」

ああ、またそうやって甘い声で貴方様を呼ぶ。なんとも可愛らしい声。声だけでなく愛らしいその容姿。その声が嫌いで堪らないのです。貴方が現れると、政宗様は途端に私を見てくださらない。政宗様は貴方に名前を呼ばれることが嬉しいのでしょう。私の前では決して見せない笑顔を浮かべていらっしゃるから。名前を呼んだだけ、それだけなのに貴方は政宗様を喜ばすことができる。私には難しいことなのに、貴方は易々とできてしまう。

政宗様の注意を惹く術は、私には舞しかない。貴方と違い、存在が愛されているわけではないのですもの。政宗様が愛してくださったのは私の舞。だったら私は舞い続ける。どんなに愚かな舞だと罵られても。政宗様が見てくださらなくなるその日まで。

その日はきっと、私が死ぬ日と同じになることでしょう。

嗚呼、なんと悪い殿方であらしゃりますか。私をここまで狂わせ、陥れたのですから。

完