短編 | ナノ

恋人の心恋人知らず

色気よりも食い気。華の女子高生としてどうかと思うが、正直アイツと出会ったことでこの言葉がかわいらしく思えてしまった。アイツはこんな生易しいものじゃねえ。色気より食い気よりアイツは―――血の気だったのだ。

授業と授業の合間の僅かな休憩時間。誰もが気楽に自分達の時間を過ごす中それは始まった。少し離れた場所から聞こえてくる轟音。本当に轟音としか表現しようがない。まるで爆弾を爆発させたような音なのだ。無論学校でこのような音を聞くことなんて滅多にない。多少大げさな表現と思うかもしれないが、これはまぎれもない事実だった。

そんな大きな音を聞いたクラスの生徒達は色々な反応を示した。近くにいる生徒と顔を見合わせ苦笑する者、呆れが混じった溜息をつく者、中には我関せずといった強者もいる。

そんな中ただ一人、この大きな音を聞いてこめかみに青筋を浮かべている生徒がいた。
体をわなわなと震わせている。何も知らない者が見ると、先ほどの大きな音にビビっていると思うかもしれない。だがクラスの誰一人としてそのようには思えなかった。その生徒は恐怖で体を震わせているのではない。今にも噴火しそうな怒りを抑え込もうと必死になるあまり、体が震えているだけなのである。

その証拠にその生徒は必死になって椅子に座っている様子だった。椅子から立ち上がり、すぐさま大きな音の発生源に駆け込んでしまいたい。そして怒鳴り散らしたい。そんな湧き上がる欲求を抑え込もうと躍起になっているだけなのだ。その様子を見た長曾我部元親はその生徒に近づき声をかける。

「おーおー、まァたやってんな音城至のやつ。いいのかよ止めなくて。なあ政宗?」
「………もう知らねえよあんな女」
「とか言いつつ目茶苦茶気にしてんじゃねえか」

言葉と態度が噛み合っていないことを面白がる元親に、政宗と呼ばれた生徒は明後日の方向に顔を向けた。あくまで元親とは目を合わせないつもりらしい。政宗は口では知らないと言っているが、そう言う体は怒りで震えている。どんな理由であれ多少は気にしているということだ。本当に気にならないならあそこにいる涼しい顔をしている生徒を見習うことである。

「しっかし音城至のケンカっ早い性格は見ていて清々しいくらいだな。今日は誰にケンカを売られているんだ? 知ってんだろオメーなら」
「………大方昨日音城至にケンカを売って負けた三年だろうぜ。今時ザコですら言わないだろう見事な捨て台詞を言ってたからな」

二人の口から度々出ている音城至という名。彼女こそがあの轟音の元凶ともいえる諸悪の根源だった。隣のクラスの音城至華那という少女。彼女は学校でも有名だった。何故ならそのケンカの強さで。決して女らしくない不名誉な理由だが、華那は大して気にも留めず日々ケンカに明け暮れている。彼女は昔からケンカが好きだったのだ。

だが誤解がないように言うと、自分からケンカを売るような真似は決してしていない、という点だ。仲の良い友達が苛められている。だから苛めている奴をぶっ飛ばす。彼女の思考は非常に単純だった。華那のケンカは常に誰かのためにという前置きがついてくるのだ。

そんなことを小学生の頃から続けていたら、いつの間にやら男もびっくりするくらいケンカが強くなっていたのである。男顔負けなケンカの強さを誇る華那だが、中学二年生のときある転機が訪れた。今まで負けなしだった華那の無敗記録を止めた更なる強者が現れたのだ。そう、他ならぬ伊達政宗その人である。

「あのケンカっ早い性格さえなけりゃイイ女なんだがな……」
「おい、彼氏が言うセリフじゃねえだろ。そもそもオメーは音城至のそういう部分も含めて付き合っているんだろうが」
「あのときはオレもどうかしてたんだろうぜ」

政宗と華那が付き合い始めてもう少しでひと月になろうとしていた。中学生の頃から友達以上恋人未満だった二人だが、ひと月近く前に曖昧だった関係は白黒はっきりしたのだ。先に告白したのは華那のほうで、政宗も華那のことが好きだったので喜んでOKした、というわけである。

「音城至から呼び出されたときはビビったけどな。またケンカを売られるんじゃねえかって思ってよ。そしたら好きだから付き合ってだぜ? 拍子抜けにもほどがある」
「とか言いつつ内心嬉しかったんだろ? なァ?」

元親が突っつくと、政宗は露骨に面倒くさそうな表情を浮かべる。だが元親にはそれが単なる照れ隠しにしか見えなかった。

「おい、そろそろ休み時間も終わるんじゃねえか? いいのかよ音城至を止めなくて。暴走したあいつを止めるのはオメーの役目だろうが」
「冗談。なんでオレが」
「テメェの女だろうが」
「Shit! ったくしゃあねえな……」

政宗はいつもこの調子だ。なんだかんだ言いつつも、結局最後は暴走した華那を止めるため隣のクラスへと向かうのである。そして政宗を隣のクラスへ向かわすのは元親の役目となりつつあった。もっとも、そのことに気づいているのは、政宗以外のクラスメイト達だけだ。

***

隣のクラスは凄まじい惨状だった。教室の真ん中には華那と彼女にケンカを売った三年生が対峙している。隅っこには三年生の子分と思われる生徒達が倒れていた。おそらくとっくに気絶しているに違いない。

机や椅子は無造作に転がっていて、一体どれくらい暴れるとここまで派手に目茶苦茶にできるのか聞きたいくらいだ。政宗ですらここまで派手に暴れない。というのも彼の場合は華那と違い大抵一撃でキメるため、暴れるということをしないだけなのだが。教室を見まわすと辺りに誰もいない。きっとこのクラスの生徒達はいち早く避難したのだろう。やはり流石というべきか。慣れ、のせいで逃げ足がだんだん上手になってきているように思う。

「っ音城至テメェ! ちょこまか逃げるんじゃねえぞオラァ!」
「逃げるなって言ってほんとに逃げない奴がどこにいるんデスカー? 第一当たったら痛いってわかってて逃げない馬鹿はいないでしょうが!」

三年生が繰り出す攻撃を華那はちょこまか動くことで全部避けきった。だが華那の無駄が多い動きは見ていると何故か少しイラッとくる。人を小馬鹿にした動きだからだろうか?

「音城至のやつ、完全にあの三年の野郎を舐めきっているな」

華那に余裕があるからあのような人を小馬鹿にするような無駄な動きをしているのだろう。つくづく性格が悪い。

「アーハッハッ! あたしの動きをあんたが見切ることができるかしらねーっとー……!」

すると余裕の笑顔を浮かべていた華那の表情が一変し、目を大きく見開き体を強張らせた。おまけに少し震えている。かと思えば華那はその場にしゃがみこみ、右足を抑えて悶絶し始めた。おもわず政宗が華那に駆け寄ろうと動くが、それよりも先に華那が口を開いた。

「あ、足の小指……机の角にぶつけたぁ……!」
「Ah?」

あまりにくだらない理由に政宗はピタリと足を止めた。今の今まで華那とケンカしていた三年生も呆然と立ち尽くしている。

「って今がチャンスじゃねーか!」

三年生はこのチャンスを逃さんと華那に向って拳を突き出した。下を向いて蹲っていた華那の反応は僅かに遅れ、避けきれないと判断した彼女は咄嗟に目を閉じてしまう。

「何がchanceだ。人の女に堂々と手ェ出してんじゃねえよ!」
「ゴルベファァァ!?」

三年生の拳が華那に当たるよりも早く、政宗が繰り出した蹴りが三年生の顔面にヒットした。体重を乗せた手加減なしの威力は凶悪だ。三年生の顔は醜くへこんで、床に倒れたまま起き上がることはなかった。

「あ、あら伊達じゃないの。何やってんのこんなとこで?」
「何やってんのじゃねえだろ! 音城至こそ毎度毎度面倒起こすんじゃねえよ!」

足の小指の痛みはすっかり治まったのか、華那は目を丸くさせて政宗を見上げている。そんな華那を見ていたら無性に腹が立ってきた政宗は、ついに我慢できず怒鳴り声をあげてしまう。いきなり怒鳴られると思っていなかった華那はムッと頬を膨らました。

「なんでいきなり怒鳴られなきゃいけないのよ!」
「音城至がケンカばっかりしているからだろうが! ちったァ女らしくしやがれ!」
「あたしに女らしさを求めるほうが間違っているのよ!」
「自分から女を捨ててるみてぇなこと言うなよ……。とにかく、そろそろ落ち着けって言ってんだ!」
「だからなんでよ。そんなこと伊達に関係ないじゃない!」
「惚れた女がいつも危ないことをしていてもか!? ちったァオレの気持ちも考えやがれ!」

政宗の言葉に華那はハッと息をのんだ。政宗もポカンと華那を見つめていたが、先ほど自分が何を口走ったか理解し、「しまった……」という拙そうな表情を浮かべた。慌てて口元を覆ったがもはや何の意味もない。

「Hey もうすぐ授業始まるからオレは自分のclassに戻るぞ」
「う、うん……。一応、ありがとう……助けてくれて。そ、それでね伊達、今日の放課後久しぶりに……デートしよっか?」
「Yes」

それ以降華那はケンカをする回数を大幅に減らしたらしいが、彼女の心境の変化に何があったのか知る者は少ないという。

完