短編 | ナノ

SとS

独眼竜、奥州筆頭、六爪流、奥州王……。これらは全て一人の人間を示す言葉である。伊達政宗―――日の本の北部、奥州を治める若き竜。もはや怖いものなしと思われがちな彼にも、人並みに怖いものだってあったりする。腹心中の腹心であり、竜の右目と称される片倉小十郎。そして―――もう一人の腹心の部下でもある一人の少女。

篭城戦にしては二ヶ月という比較的短期間で伊達軍の勝利という形で終わらせた政宗達は、長き道のりの果てようやく自身の居城に足を踏み入れる。門を潜ると自分達の帰りを心待ちにしていた沢山の家臣や女中がずらりと並んでおり、皆が満面の笑みで政宗達の帰還を祝福した。

だが。肝心の政宗だけが、何故か表情を強張らせている。戦に行っていた兵達の誰もが喜びの表情を浮かべているのに、主たる政宗だけが面白くなさそうに眉を顰めているのだ。主の不機嫌な様子に、出迎えた者達は笑顔を貼り付けたまま凍りついた。ただ一人、事情を知る小十郎だけが苦笑していたが……。

「政宗、おっ帰りぃ!」

この場の空気が静かに冷えていく中、そんな冷たい空気を少しでも暖めんとするような明るい声が政宗達の耳に届く。少し離れたところから満面の笑みを浮かべて、一人の少女が政宗の元に駆け寄ってきていた。彼女が一歩足を前に踏み出せば、着物の帯に付けられた鈴が愛らしい音を鳴らす。

「あ、華那じゃん!」

政宗の後ろでは馬から下りようとしていた成実が少女の姿を捉え、笑顔を浮かべている。兵達も「姐御!」と呼びながら次々に華那の姿を確認していった。誰もが笑顔だというのに、何故か政宗だけはより一層表情を曇らせた。兵達は気付いていないが、彼の背中辺りには冷たい汗が流れている。

華那。それがこの少女の名前であり、政宗が小十郎以外で恐れるただ一人の人間だった。政宗がまだ梵天丸と呼ばれていた頃からの付き合いで、所謂「幼馴染」という間柄に当たる。彼と小さい頃からずっと一緒に育った華那は政宗と共に剣術まで覚え、今では彼の背中を預るまでの信用と腕を得ていた。

女だから。そんなくだらない理由でこの伊達軍は実力の差別をしない。腕が立つのであれば女であろうと関係ない。着物ではなく鎧を纏い戦場に馳せ参じる。頭が切れるのであれば女であろうと関係ない。歌を嗜むのではなく、兵法を学び戦を優位に運ぶことに務める。

華那は前者で、武術に精通していることから戦に参加し伊達軍の繁栄に一役買っていた。そこらの男よりも強く舞うように戦うことから、華那の強さはちょっとした有名なのである。

「お帰りー、政宗」
「あ、ああ。I'm home……」

語尾にハートマークがつきそうな声色に、政宗はさらに表情を硬くする。対する華那は至極ご満悦で、全身から嬉しいという感情をこれでもかというほど発していた。それがあまりにも滑稽で。事情を知らない者でさえこみ上げる笑いを必死に堪えていた。

「……ねぇ政宗、あんたが戦に行ったのって何ヶ月前だっけ?」
「………It is before two months」

二ヶ月前。政宗がそう言った途端、華那はさらに笑みを深くした。それは笑みと呼べる範囲を超え、どちらかと言うとニヤニヤとした気持ち悪いものへと変化している。逆に政宗は忌々しげに「二ヶ月前」と吐き捨てており、悔しそうに奥歯をギリッと噛み締めていた。

「二ヶ月……そう、二ヶ月も経っているのよね!?」

勿体ぶるように焦らす華那に、焦らすことは好きでも焦らされることは嫌う政宗は、ついに我慢の限界に達した。

「Stop it! 言いたいことがあるならはっきりと言いやがれ!」
「あんたは私との賭けに負けた―――Ok?」
「………賭け? なんだ賭けって? 梵、華那と何賭けてたんだよ」

今まで二人のやりとりを聞いていた成実がついに口を挟んだ。政宗は答えたくないのか黙り込み、成実の質問には聞いてほしいと目で訴えている華那が答えることになる。

「大したことじゃないんだけど、戦がどれだけの期間で終わるか賭けをしたの。政宗は一ヶ月半で戦を終わらすって断言してたけど、結局は二ヶ月かかったんで政宗の負けー」
「………なんだよそれ」

くだらないにも程がある。それが政宗と華那以外の誰もが思った意見だった。

「あー……だから梵のやつ、やたらと張り切ってたんだな。先陣切るのはいつのもこととは言え、今回に限ってやたらと酷いし無茶ばっかするしよー」
「全く……我々の身にもなっていただきたいですね」

華那に負けたくない一心で、政宗はかなりの無茶をしたらしい。今回は城の留守を任され戦には参加していなかった華那にも、成実と小十郎の口ぶりからして瞬時に理解できた。

「ったく、なんでそんなくだらない賭け事なんかしたんだよ、梵?」
「……一度でいいから華那の鼻をへし折ってやりたかったんだよ!」
「ざーんねん。その一度ですら叶わなかったねぇ」

政宗に負けないほどニヤリとした底意地の悪い笑みが似合う華那。しかしどこか「綺麗」と思えてしまうのは何故だろう。普通なら憎らしいと思えてしまう不敵な笑み。主に対しての態度ではない、あの偉そうな態度。当たり前だが厳罰どころでは済まされない問題である。

何より彼女は―――性格が悪い。否、黒く歪んでいた。人の嫌がることを心の底からほくそ笑み、誰かの不幸(主に政宗と成実)を最高に甘い蜜と称する。もうどれほどの歳月を、華那に泣かされてきたことか(泣いてないけど)。はっきりと言えることは、華那の趣味。彼女の趣味は―――政宗で遊んで弄り倒すことだったのだ。

「大体テメェはsadism過ぎるんだよ!」
「政宗だって十分sadismじゃない。人のこと言えた義理?それとも実は隠れmasochism……!?」
「オレはmasochismじゃねぇ!!」
「……なぁ、さっきから二人が言ってる「さど」とか「まぞ」ってどういう意味?」
「俺が知るわけないだろう。異国語に精通しているのは政宗様と蓮くらいだぞ」

訳のわからない異国語が飛び交い、成実は首を傾げる。小さい頃から政宗と一緒に育ってきた華那には、異国語を操ることなど造作も無いことだった。口では勝てた例がないと分かっていても、未だ華那と口喧嘩を繰り広げている中……いつの頃だったかと、政宗は自問する。きっと一生勝てないだろう、と。それでも構わない、と。―――どうしてそう思うようになってしまったのか。

「惚れた弱みってやつじゃねーの?」
「な!?」

政宗の背後から顔だけをにょきっと覗かせた成実がぼそりと呟く。華那には聞こえないくらいの小さな声だったが、政宗には聞き取ることができ思わず声を荒げる。

「よくわかんねーけど、「さど」同士、相性いいんじゃねーの?」
「ンなわけあるか! sadismとsadismが相性いいわけないだろ! sadismと相性がいいのはmasochismって決まってんだ!」
「だから、異国語で言われてもわかんないんだっつーの!」
「……さっきから二人で何話してるのよ。それよりも政宗、賭けに負けた者がどんな末路を辿るか……分かっているでしょうね?」
「Shit……!」

政宗は苦虫を百個ほど噛み潰したよう渋面を浮かべ、あからさまに舌打ちをする。かなり悔しいようで、この表情が華那の心を一際ざわつかせる。これを恍惚感と言わずして何と言うのだろうか。

「華那……もしかしなくとも梵以上に人を苛めるのが好きなわけ?」
「あら、人を苛めるのじゃなくて、政宗を苛めるのが好きなの」
「………あ、姐御?」

約半刻の間、政宗と華那の壮絶なる言い争いは続いたと言う。それから数日後の話。華那と縁側でのんびりとお茶を飲んでいた政宗は、長年抱いていた疑問をついに口にした。

「なぁ……お前は昔っからオレをからかって楽しいか?」
「そりゃ楽しいよ」
「……Why?」
「だって―――」

……好きな人ほど苛めたいって言うでしょう?

完