Le matin 日曜日の朝、いつもなら遅くまで寝ているところなんだけど、今日はなんだかやけに早く目が覚めた。ここで起きるのは悔しくて二度寝してやろうと不貞腐れるが、既に覚醒してしまった意識は再び沈もうとしてくれない。しばらくの間ベッドに横になっていたが、最終的に白旗を揚げたのは私だった。諦めたように溜息をつきながらベッドから起き上がる。ベッドの横にある時計に目をやると、時間はまだ八時過ぎを差していた。 ……まだあと二時間は寝れるじゃない。 後悔しても後の祭り。わかっていてもやっぱり悔しかった。休みなので目覚ましは予め切ってあったし、いつもより寝る気満々だったのである。これではいつもとさして変わらない。いや、いつもなら既に遅刻確定か。 服を着替えて部屋から出ると、いまにも出かけようとしているお母さんの姿が目に入る。化粧もバッチリで、洋服もいつもより気合が入っているように見えた。どこかに行くのだろうか? 「お母さん、どっか行くの?」 「ええ、お友達と出かけてくるわ。朝ごはんは適当に食べちゃって」 「はいはい、行ってらっしゃい」 お父さんも朝早く出かけているので、休日だというのに家には一人きり。お母さんが言ったとおり適当に朝ごはんを食べてもよかったのだけど、何を思ったのか私は外に食べに行くことに決めた。朝早くからやっているお店があるのだが、そこがまた美味しいとバイト仲間の間で評判だったこともあり、前から一度でいいから行ってみたいと思っていたのである。学校に行っている間は時間がないから無理だし、かといって休日は遅くまで寝ているときが多々あるので、今までなかなか行けなかったんだよね。私は手短に支度を済ませると、少し浮かれた気分で家を後にした。 *** お店に入るとパンの香ばしい匂いと、コーヒーのちょっと苦味のある匂いが鼻腔を擽った。やっぱり評判なだけに、休日の朝だというのにお客さんは多い。沢山あるメニューとしばらく睨めっこして、私はカフェオレと海老アボカドサンドイッチを注文した。 出来上がるのを待っている間何気なく店内を見回していると、目を見開いてしまう驚愕の現実がそこにあった。隅の席に座っているお客さんが、やたらと見覚えのある人だったからだ。見間違いと思いもう一度よく見入る。上質な黒いスーツを着て、なにやら真剣に読書に耽る一人の青年。普段かけていない眼鏡をかけていたから、見間違いかなと淡い期待を抱いた。が、やたらと整った外見が、見間違いではないと裏付ける。 そうこうしている間に注文していたものが出来上がり、私はそれを受け取るとちょっと迷った挙句、「彼」が座る席へと歩み寄った。 「朝からそんな格好で読書なんて、なんか意外」 「………なんでここにいやがる」 「彼」は静かに顔を上げると、意外そうに目を丸くさせる。が、それも僅かな間で瞬く間に不機嫌そうな、どこかげんなりとした表情に変わった。読んでいた本を閉じ、慣れた手つきで眼鏡を外す。 「眼鏡してたんだ、知らなかった」 「普段はしてねえよ。こうやって本を読んだりするときはかけるようにしてるだけだ。で、なんでここにいやがる、華那?」 「それはこっちのセリフでもあるんだけどな、政宗クン?」 ラフな格好をしている私とは違って、政宗はスーツ姿。政宗の仕事を知っているぶん、今から仕事なのかそれとも仕事帰りなのか想像がつかない。おそらく後者のほうだと思うのだけど。 「休みだっていうのに早起きしちゃってさ。両親もどこかに行くっていうんで、前からきたかったこのお店に朝ごはんを食べに来たの。バイト仲間の間で評判なんだよ、ここ」 「オレはafterの帰りだ。ここにはよくafter帰りに寄るんだよな、美味いし」 「政宗が言うならやっぱり美味しいんだ、ここ。きてよかった!」 外見に似合わず料理が趣味なだけに、政宗が「美味しい」と言うのなら本当に美味しいのだろう。味に煩い分こういう部分は信用できる。政宗の向かい側に腰を下ろすと、サンドイッチを一口食べてみる。プリップリの海老とアボカドソースがやたらと美味しかった。まずい、これはハマりそうな予感がする。 しかしアフター帰りということは、やはり仕事帰りの途中だったのか。私はホストクラブなんて行ったことないし、どういう仕事をしているのか漠然としか知らない。何度か行きたいと言ったのだが、未成年にはまだ早いと言われ行けた例がない。 「……ふーん、アフター帰りねぇ」 つまらなそうに口を尖らせる私を見て、政宗は怪訝そうに眉を顰める。漠然と知らなくてもアフターの意味くらいは知っている。だからこそ面白くない。ホストを仕事にしているのだから、それは仕方がないことだ。しかし感情とは面白いもので、いくら頭では納得しているつもりでも実際はそうでもないらしい。アフター帰りってことは、今まで女の人と二人っきりだったんだよね? こう言いたくても言えないのが非常に悔しい。その悔しいという気持ちを、私は目の前のサンドイッチにぶつけた。パンを食いちぎり、いつも以上に海老をよく噛む。傍から見れば自棄食いとしか見えないだろう。が、感情の変化に敏感な政宗は騙されなかった。 「なんだ、jealousyか?」 面白そうなものを見るような目つきで私を見ていやがる。私の気持ちなんて政宗にはお見通しだったらしい。否定したら負けたような気がして、私はつまらなそうな声で「そうだよ、悪い?」と肯定してやった。誰だって知らない女の人の香水の匂いがすれば、つまらないし不機嫌になるってもんだ。しかしアフター帰りという言葉に、私はもう一つ別の意味を見出してしまった。 「ん? じゃあ政宗はこれから寝るってこと?」 「当たり前だろ。オレを寝かさない気か、華那は。まァ、それはそれでいいけどな」 「なに朝っぱらからエロいことを……」 妖艶に薄っすらと笑う政宗を直視できず、私は窓の外に視線を移す。政宗と違って私からすれば今は清々しい朝だ。そんな清々しい朝を台無しにしないでほしい。 「でもいいなー……。今から寝るんだ」 「なにがいいんだ?」 私なんてもっと寝ようと思っていたのに、結局眠れずに起きてしまったわけだし。おかげでこうして政宗に会えたけど、やっぱり折角の休日だからもうちょっと寝ていたい。今朝のことを政宗に説明すると、彼は「なら今から一緒に寝るか?」と言い出す始末。彼的には「は? 何言ってんの!?」という私の反応を期待しているようだが、なんでもかんでも政宗の思い通りにさせたくない。今回ばかりは彼を裏切ってみようと思う。 「本当!? じゃあ一緒に寝る!」 笑顔でこう言うと、政宗は絶句してしまった。さすがにこればかりは予想できなかったらしい。なんともいえない微妙な沈黙。予定では私が口を開いて茶化すつもりだったが、私も予想していなかったことが起きた。 政宗がバッと視線を逸らしたと思うと、彼は口元を手で覆いなんともいえない複雑な表情をしだしたのだ。赤くなった頬を隠したいのだろうけど、隠しきれていない部分が丸見えで意味が無い。複雑な表情が「照れ」だとわかると、私も引くに引けなくなってしまっていた。 「………お前なあ!」 やがて困り果てたような声が私の耳に届いた。政宗は頭を掻きながら盛大な溜息をつく。何か言ったようだけど、政宗は私には聞こえていないと思ったらしい。しかし私の耳は政宗の呟きを聞き逃さなかった。 「……ったく、ガキに振り回されてどうすんだよ」 「私だって普段政宗に振り回されているんだから、これくらい可愛いものでしょ?」 政宗はぎょっとした表情で私を見る。私は勝ち誇った笑みを浮かべながら、「ね?」と首を傾げてみせた。政宗は根負けしたようで、苦笑混じりに「……敵わねえな、華那には」と呟く。そんな政宗が可笑しくて、私はしばらくの間笑いが止まらなかった。 折角の休日だから、ずっと貴方の顔を見ていたいと思う。貴方の顔を見ながら眠れるなんて、これ以上安心する瞬間はないのだから。貴方の腕に抱かれて眠れるのなら、きっと幸せな夢を見るに違いない。 完 ← |