短編 | ナノ

POISON NOIR

あの人の本心が知りたい。あの人は何も言ってくれない。言葉でも、態度でも。ただ、そこにいるだけ。傍にいるだけじゃ足りないの。私がいくら態度で示しても貴方は何一つ返してくれない。私がどれだけ愛の言葉を囁いても、どれだけ身体で愛を伝えても、貴方はただ受け止めてくれるだけ……。

最初の頃はそれでもいいって思っていた。だって本当に嫌なら貴方はまず拒絶するはず。拒絶せず受け止めてくれたということは、少なくとも私のことは嫌いではないのでしょう? 

でも駄目。それだけじゃ足りないの。自分でも醜いと思う。受け止めてくれるだけじゃ私は満足できなくなってしまった。貴方の愛が欲しい。与えるだけじゃなく、与えてほしいと思うようになってしまった。欲張りだと自覚している。でも、それでも! ………私は、貴方の愛が欲しいの。

「………水でいいか?」
「水? 水より強いお酒を頂戴。水割りなんて温いこと言わず、ストレートがいいわ」

冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出そうとした政宗の手が思わず止まる。政宗は後ろを振り返り、ソファに座っている華那を見た。彼女は政宗に背中を向けたまま、こちらを見ようともしていない。身体が左右に揺れている状態を見ると、彼女は既に相当酔っていることがわかる。

普段酔うほど飲まない彼女だからこそ、今日の飲み方は凄まじかった。いつもの華那なら電車で自宅に帰ることを考慮し、それほどお酒を飲まない傾向がある。酔っ払った状態で家に無事帰ることができるかわからない、というのが彼女の持論だ。いくら送っていくから大丈夫と言っても、酔っ払った姿を見られるのが恥ずかしいのか、自宅で飲む以外は加減して飲んでいるのに。

そんな彼女が今日は随分荒れた飲み方をしている。政宗の自宅を訪れる前、バーでも相当飲んでいた。それもいつもより早いペースで。その飲みっぷりに思わず政宗ですら圧倒されたほどだった。バーで散々飲んだはずなのに華那は飲み足りないと言い、こうして政宗の自宅に押し掛けていた。

お酒を飲みたいという華那の要望を無視して、政宗は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、ソファでボーっとしていた華那に差し出した。お酒ではなく水だったせいで、華那はムッとした表情を浮かべる。

「お酒を頂戴って言ったはずよね?」
「さっき散々飲んだだろうが。今日はもう飲まねえほうがいい」

嫌々と首を横に振る華那に無理やりミネラルウォーターを渡すと、政宗はドサッと彼女の横に腰かけた。ソファがギシッと音を立てる。政宗は天井を仰ぎ、短い溜息をつく。

壁にかけている時計に目をやると、時刻は既に真夜中と呼べる時間を指していた。華那を帰そうにもこの時間だと終電もない。政宗も酒を飲んでいるので車の運転ができない。仕方がない、今晩は泊めるしかないだろう。幸い翌日(という表現はおかしいが)は休みなので、華那が泊っても問題はない。

「それ飲んでさっさと寝ろ。Bedなら好きに使え」
「……政宗は?」
「オレはsofaで寝るから心配ねえよ」
「………一緒に寝てくれないんだ?」

不満を隠そうとしないあからさまに不機嫌な華那の声。仮にも恋人同士なのだから一緒のベッドで寝ても何も問題はない。同じベッドで寝たことも何回もあるのだから、今更恥ずかしいという気持ちはないはずだ。

子供じゃあるまいし、ソファで寝るという遠慮はしなくてもいいと思っている。現にここは政宗の家だ。自分の家で遠慮なんてまずしない。自分の家じゃなくても遠慮という言葉とは程遠い彼の言動を知っている華那だからこそ、自分はソファで寝ると言われたことに少なからずショックを覚えていた。拒絶された。そんなふうに思えてしまうほどに。

「……ねえ政宗。政宗は本当に私のことを愛しているの?」
「………いきなりなんだ?」
「だってそうじゃない。普段私がどれだけ愛していると言っても、貴方は一度も愛しているって言ってくれない。何一つ形に示してくれないもの。職場でも他人のフリ……友達は楽しそうに彼氏の自慢話をしているのに、私は何も言うことができない……」
「Hey お前何を言って……」

友達同士が集まると、決まってする話が彼氏の自慢話だった。この前どこに行った。これをプレゼントしてくれた。果てはプロポーズしてくれたなど、彼氏自慢の話は尽きることがない。そんな中、華那だけはいつも聞き役に徹していた。自分だってみんなのように話せるものなら話したい。でも自分には何もない。誰かに何かを話せるほどのことが自分にはないのだ。羨ましくないと言えば嘘になる。

同時に、政宗にとって自分は何なのかとさえ疑ってしまうほどだった。少なくとも恋人らしいことは何一つない。たまに仕事帰りに飲みに行くか、一緒に寝るか、それくらいだ。デートだって一度もしたことがない。

「わかってる……わかってるつもりよ? 貴方との関係は秘密だから、みんなのように堂々と恋人らしいことができないことは理解しているわ。でも二人きりのときくらい……!」

恋人らしいことをしてくれたっていいじゃない。

「……どうやら相当酔っているらしいな」

口調ははっきりしていても、普段の彼女なら絶対に言わないようなことを口にしている。私を愛して。もっと愛して。普段の華那から想像もできない言葉に政宗は鬱陶しげに目を細めた。煩わしい。そう思ったことが態度に表れてしまったのか、華那は愕然とした表情を浮かべた。その瞳にははっきりと涙が滲んでいる。華那は泣くまいと唇を噛み締めた。ここで泣いたら余計惨めになるだけだ。

「……オレは先にshowerを浴びてくる。お前もそれ飲んで少し落ち着け」

溜息混じりにそう呟くと政宗はリビングを後にし、バスルームへ向かった。

華那のことは心の底から愛している。その気持ちに嘘はない。ただ、その気持ちをはっきりと示すことが、今の政宗にはできずにいた。職場での関係は上司と部下。それ以上でも、それ以下でも駄目なのだ。政宗が小さい頃から胸に秘めていた野望を達成するまでは、自分の弱点となるものは大っぴらにすることができない。あともう少しなんだ。あともう少しでtopに手が届くところまできているんだ。ここで負けるわけにはいけねえ……!

小さい頃病気を患い、お前では一族の頂点に立つことができないとはっきりと言われた。それだけではない。一族から露骨に邪見に扱われ続け、いつの間にか一族の汚点と呼ばれるようになっていた。一族の恥知らずだと面と向かって言われたことさえある。大人達は子供だからと意味まではわからないと思って言ったのだろう。しかし子供とはいっても、言葉の悪意は大人以上に敏感だ。

いつか一族の頂点に立ち、あいつらを見返してやる―――!

政宗の一族は由緒正しき家系で、いくつもの会社を経営している日本屈指の企業家でもある。一族の頂点に立つということは、経営している会社全ての頂点に立つと同意義。言い換えれば一族の資産全てを握るということにもなる。故に一族の誰もが次の頂点を目指して競争し合っていた。現一族トップである政宗の父親は年齢を理由に引退を考え始めている。世代交代はもうまもなく行われるだろうというのが一族全員の意見だ。

政宗はこれまでも幾つもの会社を経営し、業績は全て右肩上がりという上々の成果を上げている。会社の規模は小さいとはいえ、その経営手腕は彼を邪見に扱っていた一族すら一目置くほどだ。もう少し。もう少しで全てにカタがつく。だからそれまでは……。

待っていてほしい。

華那にそう伝えられたらどんなにラクか。政宗は何一つ彼女に話していない。一族のことも野望のことも、何一つ彼女に話していないし、話そうともしていなかった。一族がどんな手段を使って政宗を潰しにかかるかわからないからだ。華那が政宗の弱点とわかれば、きっと何か手を下すに違いない。彼女のことを想えば、何も言わない状況がベストと思えたのだ。

彼女が不安がっていることは前々から知っている。いつかこんな日が来るのではないかと予想していた。恋人として、自分は失格だろう。彼女のことを想うのならこんな男とはさっさと縁を切って、もっと彼女のことを深く愛してくれる男に乗り換えるべきなのだろう。

しかし政宗の心はそれを良しとしなかった。どんなに冷たい、酷い男だと思われても華那を手放したくない。傍に置いておきたいと思ってしまうのだ。華那と違って態度に表さないだけで、政宗も彼女同様、自分の恋人を愛しているのだから……。

濡れた髪をタオルで拭きながらリビングに戻ると、ソファに座ったまま華那はスースーと寝息を立てていた。政宗のいないところで泣いていたのか、頬には薄ら涙の筋が見える。少し肩を揺さぶってみるが起きる気配がない。政宗は眠っている華那の額にそっと口付けを落とす。そのまま彼女を抱きかかえ、寝室へと向かった。

「………愛してる」

起きている彼女に言えたらどんなに幸せだろう。今はまだ、眠っているときにしか愛の言葉を囁けない。今はまだ……。

完