短編 | ナノ

穢れた君、穢した僕

子供の頃はよく身体中を土塗れにして遊んでいた。まだ世界を知らず、眼前に広がる光景が世界の全てと思っていた頃の話である。まだ人を殺めるという意味を深く理解せず、ひたすら稽古をつけてもらっていた日々。色々あったが、それでもオレは幸せだったと思う。

周りがオレを穢れた者のように虐げる中、小十郎や成実、そしてアイツだけはオレを真正面から見ていてくれた。皆は真正面からオレを見ようとはしなかった。目を合わせるなと示し合わせているのかと思うほど、誰もオレを、オレという存在を見ようとしなかった。認めようとしなかった。

それでもアイツらがいてくれたから、今のオレがある。道を違えることなく進めたことには感謝しているんだ。恩返しなんて聞こえの良いものじゃない。でもアイツらが胸を張っていられるようなオレでいたいと思う。心から、そう思う。強くならなくては、もっと強くならなくては―――。

***

「―――なに考え込んでるの、政宗?」
「Ah……?」

透き通るような軽やかな声が耳に届いた。流水のように流れる透明感ある声が心地良い。声の主はオレを覗き込みながら首を傾げていた。その仕草がまた愛らしい。そんなこと、口が裂けても言えないが。

「……なんでもねえよ」
「うそ」

間髪入れずに否定された。全てを見透かすような瞳でオレを見上げる。こいつのこの目に、オレは頗る弱い。心のどこかに疚しいことがあるのか、それとも――……。オレは軽く肩を竦めながら目を伏せる。この瞳に睨まれたら、オレは全てを白状してしまうのだ。

「昔のことを思い出してた」
「昔のこと?」
「Yes 昔はよく土塗れになるほど遊んだなって思ってよ」
「こんなときにそんなことを思い出してたの?」

こんなとき―――。確かにこいつの言うとおり、こんなときに、だ。辺りは漆黒の闇に包まれ、ぽつりぽつりとある、紅華那の篝火だけが世界を照らし出している。恐ろしいほど静かで、さっきから篝火が空気と触れ合う音しか耳に入らない。しかし誰もが異常なくらい神経を研ぎ澄ませているとわかるほどの、張り詰めた空気に包まれていた。獲物であるオレ達を狙っている獣達ですら、この空気の震えに怯えて姿を見せていないくらいだ。

「明日で敵の領地に入るというのに、そんなことを考えるなんて随分と余裕ね。うちの殿様は」
「Ha! このオレがあんな奴らに負けるわけねえだろ?」
「加えて自信過剰ときた……」

軽く頭上を仰ぎ、盛大な溜息をつく。こいつのその態度にオレは少しばかり腹を立てた。

「主君に対して随分な態度じゃねえか、華那」

勿論本気で咎めているわけではない。華那とは小さい頃からオレに仕えている家臣だ。おまけに腕も立つ。こうして戦に赴くときも、オレの護衛として刀を振るうほどだ。華那はガキの頃の癖か、未だに敬語なんてものを使う習慣がない。こいつはいつも素の心でオレと話している。変に謙ったりしない分、オレとしてはむしろ有難いくらいだ。

「でもどうしていきなり昔のことを思い出していたの?」
「さあな。なんか急に思い出したんだよ」

本当に急にだった。急に昔のことを思い出した。それも、華那と出会ってからの思い出を。華那と出会ってから今までを振り返るように。どうしてこんなことを思い出したのだろう。こんなこと一度もなかったのに。

「土塗れと言えば。私が顔中土塗れになったとき、政宗が手ぬぐいで拭いてくれたこと覚えてる?」

ああ、よく覚えている。あれはいつの頃だったか、オレが庭で一番高い木に登って、その姿を華那が下から見上げていて。オレの反対を押し切って登ろうとする華那を、オレは不安そうに眺めていた。何を言ったかまでは覚えていないが、大方オレがここまで登ってみろと挑発したんだろう。しかし華那は木から落ちてしまい、怪我はたいしたことなかったが顔中土塗れになった。

「あのとき政宗が乱暴に拭くものだから、すっごく痛かった」
「だから悪かったって散々謝ったじゃねえか」
「それ以来かな。私、木登りはしないと決心したの。だって土塗れの顔になりたくないもの」
「するなよそんな決心……」

ああ、だからあの日以来華那は、オレがいくら木に登っても登ろうとしなかったのか。幼い日の疑問が今になってようやく解決した。でも―――口が裂けても言えないことがある。顔中土塗れになり恥ずかしそうに俯いた華那が、とても可愛く見えていた……なんてな。周りの大人達は女子なのにはしたないと呟いていたが、オレからしてみればそんなことなかった。顔中を土塗れにしながらも、太陽の下で見たあの笑顔は誰よりも輝いていて目を逸らせなかったんだ。

いつの頃からなのかわからないほど、オレは昔から華那のことを好いていた。だがその想いを伝えたことはない。まだ伝える時期ではないと思っていたからだ。全てが終わったら、この日ノ本を統一したそのときには――オレの想いを伝えようと思う。

そしてその願いがもうじき叶おうとしていた。明日の戦に勝てばオレの願いは叶うのだ。だからこの戦、なんとしても……勝つ。

***

「土塗れと言えば。私が顔中土塗れになったとき、政宗が手ぬぐいで拭いてくれたこと覚えてる?」
「あのとき政宗が乱暴に拭くものだから、すっごく痛かった」
「それ以来かな。私、木登りはしないと決心したの。だって土塗れの顔になりたくないもの」

悪ィ。そう言っていたお前に、オレはいま土をかけている。土塗れになりたくないと言っていた君に、オレはただ静かに土をかけていた。あれほどお喋りだった君は、ただ静かに眠るだけ。今ならどんな話でもずっと聞くのに、でも君はもう二度と喋らない。鈴のような軽やかな声は聞けないのだ。オレが好きだった笑顔を見ることはもう二度できない。

オレは羽織っていた陣羽織で華那の身体を包み込む。そうすれば華那と一緒にいられるような気がしたから。ずっと華那と一緒にいられるような気がしたんだ。どこにいても、ずっと。なにがあっても、ずっと。好きな女の墓を掘りながら、オレはそんなことを思っていた。

戦は終わった。でもオレの願いは一生叶わない。

完