短編 | ナノ

メイド様の華麗なるお仕事

メイドの仕事とは主の身の周りのお世話をすること。仕える主のためにその身を捧げ、主の身の周りを常に綺麗な状態で保つ。塵一つ残すことなく、徹底的にお掃除をするのが私の務めだ。

メイドの朝は早い。少なくとも主が起床する時間より二時間は早く起きている。主が起きる前にやっておかなくてはいけない仕事があるためだ。食事の用意は屋敷の専属シェフがやるとしても、屋敷の掃除や今日着る主の服の用意などその仕事は様々である。掃除は主を起こさないようにやるのが鉄則だ。そのため主が眠っている部屋より遠いところから優先的に掃除を開始する。この広い屋敷を掃除するには、早朝から始めないことには終わらないのだ。

そのため今日も私はモップを持って屋敷中を駆け巡っている。これだけ広い屋敷だと見えないところにゴミが溜まることが多い。毎日綺麗にしても一日を経たずにゴミが現れるのだから不思議だ。掃除をしていてもキリがない。私は短い溜息をつくと表情を引き締め、キュッとモップを握りなおす。

「―――さぁ、今日もお掃除開始ですわ」

***

「おはようございます政宗様。本日も大変良いお天気ですよ」

カーテンを開けると柔らかな光が真っ暗な部屋に注ぎ込まれる。暗闇に慣れていた瞳に太陽の光はきつかったのか、政宗様は眩しそうに目を細めた。まだ眠っていたいのか、ベッドの中で数回寝返りを打つ。何か呟いているようだが、寝起きの声は聞き取りにくい。声を聞き取ろうと眠っている政宗様に顔を近づける。が、一瞬の隙をついて政宗様の手が私の腕を掴み、バランスを崩した私はそのまま彼のベッドの上に倒れこんでしまった。

あとはもう彼の独壇場である。私の視界はくるりと反転し、おもわず感嘆してしまうほど鮮やかな動きで、政宗様に押し倒されたメイドという構図が完成してしまった。見上げた政宗様の表情は、寝起きというには些かはっきりしていると思う。だって寝ぼけている様子が感じられないのだ。となるとこれは。

「政宗様、また眠っているフリをしましたね?」
「……騙されたのはこれで何度目だ華那? いつも簡単に押し倒されるよな、お前」
「……さすがに、主に手を挙げるわけにはいきませんので」
「だから大人しくされるがまま、ってわけか……?」

拳で訴えてもいいなら脱出することは簡単だった。しかし主に手をあげるなんて、メイドとしては失格である。だから政宗様の言うとおり、毎回大人しくされるがままなのだ。

「いい加減、どいてくださいませんか?」
「No 丁度良い、この前の返事もまだ聞いてねえしな」

この前の返事……改めて政宗様に言われると胸がズキリと痛む。政宗様にお仕えして半年。まさか主から「好きだ」と言われるなんて思ってもいなかった。てっきり恋愛ではない好きだと思ったりもしたのだが、その可能性はすぐさま政宗様に釘を刺され、はっきりと違うと言われてしまう。つまり愛していると同じ意味の好きだということだ。でも私はどう足掻いてもメイドであり、政宗様は私がお仕えするべき主人なのである。仕事に私情を持ち込まない、それは私が決めている絶対的なことだった。

「……ですから私は政宗様のメイドであります。そのような感情を主に持つことは許されません」

そう、こればっかりは譲ってはいけない。自分の気持ちにウソをついてでも、頑なに護り通さなければいけないことなのだ。私がいくら政宗様を好きでいても、相手は私が仕えるべき主。そういった邪な感情は心の奥底に鍵をかけて押さえ込まなくてはいけないのだ。いつか彼に相応しい地位を持つ相手が現れるときが来るだろう。私のような者が彼の将来を台無しにするわけにはいかないのだ。

本当ハ誰ノモノニモシタクナイノ。何処ニモ行カナイデ欲シイノニ。

女としての私は不要なのだ。ただの女に成り下がるわけにはいかなかった。ただの女に成り下がれば、私は政宗様のお傍にいられなくなってしまう。存在理由がなくなってしまう。私と政宗様を結ぶ唯一の糸が切れてしまうようなことだけは避けたかった。

「……その顔がanswerってことか。悪かったな、華那を困らせるつもりはなかったんだ」
「私はいまどのような顔をしていますか……?」
「今にも泣き出しそうな顔をしてるぜ」

……政宗様に謝ってほしいわけでも、困らせるつもりでもなかったのに。自分の感情が表にでるなんて、私もまだまだね。

「でもおかげで華那の本心を知ることができた。今はそれで十分だ」
「申し訳ございません。ところでそろそろどいてくださいませんか?」

ようやく政宗様から解放された私はベッドを下り、スカートの乱れを直した。ついでに押し倒された拍子に落としてしまった愛用のモップを拾う。このモップだけは片時も手放すことはできない。このモップは私の相棒だ。

「そういや今朝も「掃除」をしていたのか?」
「当たり前です。政宗様の周りを常に綺麗な状態で保つのが私の務め。塵一つ見逃すわけにはいきません!」

グッと拳を握り締めて語っていたせいか、政宗様は喉を鳴らして笑い始めた。そうやって笑われると急に恥ずかしくなってくるから、今すぐその笑いを抑えてほしいと思わずにはいられない。

「で、今日のゴミはどうだった?」
「今朝のゴミは三つです。残念ながら骨のあるゴミは一つもありませんでした。三つともただの「雇われたプロの殺し屋」で、政宗様に直接関わりのある人物ではありませんでしたわ」
「となるとそいつらも母親に雇われただけってことか……」
「それもこれもあと数日の辛抱ですわ。もう少ししたら伊達家当主の就任披露パーティがございます。そのお披露目が済んでしまえば、こうしてお命を狙われる心配はありません」
「そう上手くいくと思うか? Partyが終わってもオレの命を狙い続けると思うがな。オレが死んだら弟が当主の座に就ける。母親はオレじゃなく、弟に当主の座に就いてほしがってるからな」
「では、ずっと私がお守りいたしますわ」
「さすが親父が用意したbodyguardだな。頼もしいぜ」
「ボディーガードではありません。メイドですってば」

ボディーガードっていう言葉より、メイドのほうが可愛らしいじゃありませんか。そう言ったら政宗様にまた笑われてしまった。そこ、笑うところでしょうか?

今から一年ほど前、プロの殺し屋であった私は、政宗様のお父様である輝宗様に依頼され、政宗様のボディガートとなった。輝宗様は隠居して、政宗様に当主の座を譲り渡そうとお考えしていたらしく、その際に「当主の座を奪わんと色んなところから命を狙われるかもしれないから、悪いけど政宗を守ってやってね、華那ちゃん」と、うっかり語尾にハートマークが付いちゃいそうな軽いノリで依頼されたのだ。そこで私は政宗様のメイドという形でお傍にお仕えするようになったんだけど、身内からの刺客がこれほど多いなんて思ってもいなかった。一日に何回狙われたら気が済むのよ。相手を蹴落として自分が、または自分の家の誰かが当主になる。そのためには身内すら手にかける……か。お金持ちって醜いのね。

ほら、現にまた一つゴミが現れた。

「……政宗様、どうやらまだ一つゴミが残っていたようです。申し訳ございませんが、お掃除しちゃってもいいですか?」

さっきから痛いくらいの殺気が背中に突き刺さり、気になって仕方がなかった。政宗様も気づいていたらしく、ニヤリと笑って「徹底的に綺麗にして来いよ」と言う始末。私はモップを握り締め、「了解しました」とだけ言うと政宗様の自室を後にした。

***

「そんなところに隠れていないで出ていらっしゃったらどうですか? いくら隠れていても殺気を隠せないようでは、プロの殺し屋としては失格ですわよ」

屋敷の中でもこの辺りはまだ人気が少ない。これだけ広い屋敷でも住んでいるのは数人だから、あとは部屋が無駄にあるだけなのだ。知らない人間が忍び込んでも、隠れる場所はいくらでもあるということ。身内が殺し屋を侵入させるなんて朝飯前だろう。階段の踊り場の真ん中で、見えない相手に向かって声を上げた。殺気で大方の場所は特定できているので、あとは相手の出方を窺うだけである。

相手は暗殺を狙っているだろうから、おそらく武器は銃だろう。これまで相手にしてきたやつのほとんどが銃だったし。となると私が得意とする接近戦にどうやって持ち込むか、ね……。

私は何もせず、じっとその場で立ち続けた。相手が銃を持っていたら、迂闊にこちらからは手が出せない。こういった忍耐力なら自身があるのよ。こちとら一年もあの政宗様のメイドとして働いているんだから。

「―――くっそぉぉおおお!」

この重い沈黙に耐え切れなくなって、先に音を上げたのはやはり相手のほうだった。壁から飛び出すと同時に、私に向かって銃口を向け引き金を引く。つかさず私は持っていたモップを目の前でクルクルと回転させ、放たれた銃弾全てを弾いた。モップに銃弾が当たるたび、甲高い音が踊り場に木霊する。

まさかモップで弾かれると思っていなかったのか、男は口をあんぐりとさせたまま固まっている。確かに普通のモップじゃ銃弾なんか弾けない。これは一見するとただのモップだけど、その正体はもっと別の物なのだ。

てっきり敵は一人だと思っていたが、どうやら仲間もいたらしい。背後からもう一人現れ、何かを叫びながら私に銃口を向ける。この至近距離で当たってしまったら、打ち所が悪くなくても死んじゃうだろうな。

そんなことを考えながら、私はその場でスッと屈むと、下から勢いよくモップを相手の顎に突き刺した。骨が砕けたような鈍い音が耳に届く。後ろに倒れた男のお腹を足で踏みつけ、私はモップの棒部分に手をかけた。外側に向かってゆっくりと棒を引くと、中から銀色に鋭く輝く刃が覗く。

「まさか………か、刀だと!?」
「言うところの仕込み刀というやつですわ」

刀なら銃弾を弾き返すことだってできる。銃弾を全て刀の刃に当てることで、銃弾を弾くことができただけのこと。ただのプラスチックや木じゃ、銃弾を弾くなんてことは不可能だ。

「さぁ―――二度と変な気を起こさないよう、徹底的にお掃除してさしあげますわ」

政宗様の身の周りを綺麗にするのが、メイドとしての私の務めですもの。主の障害となる者ならば、塵一つ残すことなく綺麗に始末するのが私の務めですわ―――。

完