夕暮れ時、大きな少女と小さな少女のいつものはなし わたしがおねえちゃんに会うのは、決まってこの公園だった。 この公園を抜けると近道になるからという理由で、わたしは毎日この公園を横切って学校から帰っている。本当は朝もそうしたいところだけど、朝は集団登校となっているためそれができない。近道する分、もう少し長くお布団の中にいられると思うと、悔しくてならなかった。わたしが班長になったら、絶対にこの公園で近道してやると心に誓う。みんなだって少しでも長くお布団の中にいたいはずだもん。そう勝手に決めつけて。 夕日に照らされる公園を横切って今日も家を目指す。日も傾き始めているというのに、公園の中はサッカーをする子供達で騒がしい。そんなある日のことだった。わたしは公園のベンチに座るおねえちゃんを見かけるようになった。 おねえちゃんは時々公園に現れては、いつも決まってベンチに座ってお空をボーっと眺めている。何度か見かけるようになって、わたしは少し遠くからおねえちゃんを観察するようになった。子供しかいない公園に、大人のおねえちゃんがいるってだけで興味が湧いたのだ。 だって本当に何もしないんだもん。ただお空を眺めているだけ。時々深い溜息をついたり、泣きそうな顔をしていることもあった。何か悲しいことでもあったのかな。おねえちゃんが誰なのかは知らないけど、おねえちゃんの着ている服はよく知っている。この辺りでよく見かける、近所にある高校の制服だと前にお母さんに教えてもらった。その制服を着ているということは、おねえちゃんは高校生ということになる。高校生という大の大人が、公園で何をしているんだろう。もしかして高校生っていうのは、小学生より暇なのかな。 そのおねえちゃんはかれこれ半年以上、時々この公園に現れてはベンチに座り、ずっとお空を眺めている。今日もいるのかな、なんて思いながら公園の中を横切っていくと、やっぱりおねえちゃんは今日もそこにいた。ただいつもと違ったのは、おねえちゃんは静かに涙を流していたということだけ。あまりに気になったから、ついにわたしは、ありったけの勇気を振り絞って、おねえちゃんに声をかけてみた。 「どこか痛いの? だいじょうぶ?」 ポケットから取り出したハンカチをおねえちゃんに差し出すと、おねえちゃんは意外そうに目を丸くしていた。半年以上おねえちゃんを見ていたけど、こんな表情は初めて見る。差し出した手前このハンカチを受け取ってもらえないと、わたしのほうこそ恥ずかしくて泣きたくなるんだけど。いい加減腕も疲れてきたし、受け取ってもらえないかな。 「……ありがとう」 おねえちゃんはようやくわたしから視線を逸らし、差し出したままのハンカチに目を落としてくれた。やっとハンカチの存在に気づいてくれたみたい。柔らかい笑顔でハンカチを受け取ったおねえちゃんは、目元にハンカチを抑えて涙を拭う。わたしはランドセルを前に抱き抱えると、おねえちゃんの隣に腰かけた。クラスでもチビなほうであるわたしが座ると、微妙に足が地面に届かない。特にやることもないので、意味もなく足をブラブラと させてみる。 「ハンカチ汚しちゃったね。今度洗って返すね」 「いいよ、別に。それよりいつもここで何してるの?」 「何って……特に何も。ただ空を見てるだけ?」 「じゃあなんで泣いてたの?」 ただ空を見ているだけなんて嘘に決まっている。だって空を見たいだけなら、別にここじゃなくてもいいんだ。それこそこの地球にいる限りどこでだって見られる。 「わたしね、この公園の中を突っ切っていつも家に帰ってるの。そのほうが近道だから。だからおねえちゃんのこともいつも見てたの。わたしがおねえちゃんを見かけるようになって、もう半年以上になるよ?」 「私もあなたのこと知ってるよ。いつも決まった時間にこの公園に現れる女の子。背中のランドセルを元気いっぱいに揺らしている姿がとっても眩しかった」 わたしがおねえちゃんを見ていたように、おねえちゃんもわたしのことを見ていたらしい。なんだか照れくさい。おねえちゃんはベンチから立ち上がると、公園の外になる自販機を指差して、 「ねえ、喉渇いてない? もしよかったらジュースでも飲みながら、私とお話しない?」 わたしもおねえちゃんとお話してみたかったから、断る理由はない。でもお金を持っていないからジュースが買えないというと、おねえちゃんは大きく笑いながら、 「子供にお金を使わせるわけないでしょ。ハンカチのお礼もあるし、ここはおねえちゃんに奢らせて」 何が飲みたい? と訊かれ、わたしはオレンジジュースと答えた。おねえちゃんは缶コーヒー。コーヒーは大人しか飲んじゃ駄目とお母さんに言われているので、缶コーヒーを飲めるおねえちゃんはやっぱり大人なんだと勝手に納得する。わたしの手に握られているオレンジジュースがやけに子供っぽく見えて、なんだかちょっとだけ恥ずかしい。だっていかにもわたしは子供ですって言っているようなものだもん。わたしもコーヒーって言えばよかった。お母さんにバレたら怒られるかもしれないけど、幸いここにお母さんはいないんだし。ベンチに座りなおしてジュースを飲みながら、そんなことを思った。 「私ね、今年大学受験なの。でもあんまり成績がよくないから、今日学校の先生に志望校のランクを一つ落とせって言われちゃったの。このままじゃ絶対に無理だって」 「じゃあ先生の言うとおりランクを落とせばいいんじゃないの?」 「それじゃあ駄目だよ。私は理由があってその大学に行きたいの。それ以外の大学じゃ意味がないわ」 わたしにはおねえちゃんの言っている言葉の意味はよくわからないけど、おねえちゃんがどうしてもその大学に行きたいという気持ちだけは伝わった。それくらい、おねえちゃんの言葉には強さが感じられた。 「ねえ、どうしてその大学に行きたいの?」 わたしは勉強なんて大嫌い。大学は行っても行かなくてもどっちでもいいってお母さんが言っていた。わたしは勉強したくないから行きたくない。大学に行って、それほどまでにしたい勉強がおねえちゃんにはあるのかな。わたしには想像ができない。 「……笑わないで聞いてくれる? その大学には、私の大好きな人がいるの。その人と同じ大学へ行きたいから、頑張って勉強してるんだ」 そう言って照れくさそうに笑うおねえちゃんがすごく可愛らしくて、なんだかわたしまで顔が赤くなったような気がした。好きな人と一緒にいたいからその大学に行きたいって、実はすごいことなんじゃないかなって思う。クラスの女の子達も誰が好きかって話をよくしているけど、わたしはまだそのあたりのことがまだよくわからない。かっこいいなって思う男の子はいても、好きかどうかはわからない。 「あの人だって忙しいのに、私の勉強をみてくれるの。でも私の成績は相変わらずだし、情けないやら申し訳ないやらで、ちょっと落ち込んじゃった」 おねえちゃんは落ち込んでいるとき、決まってこの公園を訪れる。聞けばテストで良い成績じゃなかったときや、先生に進路のことを相談されたときなど。だからわたしが知っているおねえちゃんの顔はいつも浮かないものだったのだ。そうだよね、わたしだってテストで悪い点を取ったら、怒られるってわかっているだけに、家に帰りたくないもん。 「今まではなんとかなるって思ってたの。でも今日みたいに、無理だってはっきり言われちゃうと、やっぱり私には無理なのかなって、思っちゃうんだ……」 「おねえちゃんの好きな人と一緒の大学に行きたいって思う気持ちはその程度なの? お母さんがよく言ってるよ。本気でそう思うなら諦めるなって!」 やる前から諦めちゃ駄目よ。お母さんはよくわたしにこう言う。どうせ無理だと言うならやってから無理だと言え。そのおかげでわたしはどんなことでもまずやってみる。だってやってみなくちゃ、無理かどうかすらわからないよ。そう言うと、おねえちゃんは大きな声で笑った。何がおかしいかわからないわたしは、おねえちゃんが笑い終えるのをおろおろしながら待つしかできない。 「話を聞いてくれてありがとう。そうだよね、やってみなくちゃわからないよね」 おねえちゃんの目じりには涙を浮かんでいる。涙が出るくらいおかしかっただろうか。 「そろそろ暗くなってきちゃったね……。引きとめちゃってごめんね、一人で帰れる? 家まで送ろうか?」 「ううん、だいじょうぶ。ジュースごちそうさまでした」 おねえちゃんの表情はさっきまでのものとは違い、何かが吹っ切れたような爽やかな笑顔をうかべている。思わずわたしまで笑顔にさせられる、素敵な表情。よかった、ちょっとでも元気になってくれたみたい。 「じゃあおねえちゃん、またね!」 「ええ、またね」 わたしはおねえちゃんに背中を向けて元気よく走り出した。ぱこぱこと背中のランドセルが軽快な音を立てる。そのときになってわたしはおねえちゃんの名前を聞きそびれたことに気づいた。どうしよう、引き返して名前を訊こうか? 足を止め、公園のほうを振り返るも、結局引き返しはしなかった。だっておねえちゃんはまたね、って言ってくれた。またねってことは、また会えるということ。だったら今じゃなくてもいい。次に会ったとき、おねえちゃんの名前を訊こう。そしてわたしの名前も伝えるんだ! *** ランドセルを大きく揺らして駆けていく女の子の後ろ姿を見送ると、今度は私が駆け出す番だ。一刻も早くあの人に会いたい。あの人に会って、もう一度私の気持ちを伝えたい。いますぐ伝えなきゃいけないような気がして、私はいまから彼の家に突撃しようと思い立つ。電話やメールではなく、自分の口で直接伝えたかったからだ。でも。 「――ガキのああいうところ、すげぇよな」 この決心は、突如背後から聞こえてきた声によって掻き消された。 「え……ま、まま、政宗さんっ!?」 ベンチの背もたれに肘をつき、女の子が走って行った方角をぼんやりと見ている政宗さんと目が合った。なんでここに? というかいつからいたの!? いやそれ以前にこの距離は近すぎる! あと少し近づくだけでお互いの吐息すら聞こえそうな距離に、恥ずかしさから私はおもわず横へ飛びのいた。驚きすぎて心臓が痛い。そんなことありえないとわかっていても、そのときは本気で口から心臓が飛び出すんじゃないかと思えて、私は掌で口を覆った。 「ガキって深く考えていないのか、余計なことを省いて単純な答えを出してきやがる。だからこそ、ハッとさせられるのかもな」 政宗さんの言いたいことは、なんとなくわかった。あの子がさっき言っていた言葉が胸に突き刺さる。おねえちゃんの好きな人と一緒の大学に行きたいって思う気持ちはその程度なの? 好きな人――政宗さんと同じ大学に行きたいから今まで必死に勉強してきたのにね。教師に無理だと言われた私に、あの子はこう言った。まさか、そんなことない。無理だって言われたあのとき、私は落ち込むよりも先に、諦めきれるかって思ったんだった。 「……いつから私とあの子の会話、聞いてたんですか?」 だって私とあの子の会話を聞いていないと、そんな言葉でてこないじゃないか。一体いつから聞いていたんだろう。 「たまたまオレがここを通ったとき、見慣れた女がガキと真剣に何やら話しこんでてな。てっきりお前がガキの相談を受けているかと思いきや、お前がガキに受験のことを相談していやがるときた。これは面白いとそこからじっと見ていたんだが、一向に気づきやしねえ」 政宗さんが言うそことは、私が座っているベンチから少し離れたところにあるもう一つのベンチだ。そんなところにずっといたなんて……本当に気がつかなかった。淡々と、でもちょっと楽しいのか、ニヤニヤと意地悪く笑っている政宗さんを、私はじっとりと睨みつけた。気づいていたんなら盗み聞きするような真似しないでよ。いやあのときの会話に混ざられても困るだけだけど。できれば勉強で落ち込む私の姿なんて、見られたくなかったなあ。でもいまの私はさっきまでの私とは違う。政宗さんの顔を見て、同じ大学に行きたいとさっきよりも強く思えたから。 「政宗さん、私頑張ります。例え浪人生になっても、絶対に諦めません」 決意を新たに政宗さんにそう伝えると、彼は困ったように苦笑した。けどすぐにいつもの自信溢れる笑みをうかべ、私の頭を掴むなりぐいと引き寄せる。お互いの額と額がコツンとぶつかった。 「このオレがついていて、浪人になんかさせると本気で思ってんのか?」 政宗さんって本当にずるい。そんなふうに言われたら、私は何も言えなくなってしまうじゃないか。結局のところ勉強を頑張らないといけないのは私なのだけれど、不思議なもので政宗さんがそう言ってくれると、絶対に大丈夫と思えるほどの安心感がある。浪人生にならずとも一発で合格させてやると彼が言うなら、私はなんとしてでもその想いに応えなくちゃいけない。だからいまはとりあえず。 「……そろそろ離れていただけませんか?」 こんな至近距離で見つめ合っていては、いい加減私の心臓が持ちませんので。 完 ← 70万筆頭企画/澪那さまへ 政宗現代夢 頂いたリクエスト内容は、政宗夢で、二人とも学生でラブラブカップル。大学受験の勉強に追われる夢主を政宗が励ますというものでした |