リクエスト | ナノ


水と器

最近風邪やインフルエンザが流行っているという話をよく聞くようになった。毎年のこととはいえ、テレビで放送されるだけではそうなんだとくらいにしか思わないが、自分の身近なところで風邪やインフルエンザで休む人達の話を聞くと、私の周りにもついにきたかと構えてしまう。手洗いうがいもちゃんとやらなくてはいけないかなと頭の片隅で考えたり。考えるだけで結局実行しないあたり、まだ若いから大丈夫だろうと高を括っているわけなのだが。

華那が勤めている会社でも最近風邪やインフルエンザが流行りだした。同じ部署の人達も何人も休んでしまっている。おかげで一人に対する仕事の割合が増えた。ただでさえ忙しいこの時期だけに、はっきりいってこの欠員はかなりの痛手だ。おかげでここ最近定時に帰ることが難しい日も多い。一人が風邪でダウンし、回復する頃にはまた一人風邪でダウンする、その繰り返しだ。

そんな中ただ一人、どれだけ仕事量が多くても必ず時間内に終わらせ定時に帰る社員がいる。華那だ。彼女は今日も五時になると同時に椅子から立ち上がり、素早く身の周りを片づけ始めていた。滅多に残業しない女として同じ部署内で華那は有名な存在だ。彼女の場合予め自分に振られた仕事だと必ず時間内に終わらせている。それは人手が足りない今でも変わらない。人手が足りずその分の仕事を振られても、彼女は勤務時間内にそれらの仕事を全て片づけてしまうのだ(流石に上がり直前に振られた仕事だと残業を覚悟せざるを得ないが)。

「お、今日も時間きっちり終わらせてるな」
「貴方と違ってちゃんと働いているだけですが?」

帰宅の用意をしていたら、横から同じ部署で働く伊達政宗に声をかけられた。彼も華那同様、仕事ができる部類に入る男である。しかし彼にはサボリ癖があった。ちゃんとやればすぐ終わる仕事でも、自分のやる気次第で遅かったり早かったりとかなりマイペースだ。それでも会社の成績は優秀とくるのだから、真面目に仕事をしている華那からすれば気に入らない。

政宗は仕事に楽しみを見出し、華那は仕事は好きだが楽しさを見出すことを必要と思っていない。お互い仕事はできるが性格のタイプがまるで違うため、二人の相性ははっきり言ってよくないというのが周囲の見解だった。この二人が顔を突き合わせたら、周りは何も起こらないよう祈りながら二人の会話に耳を澄ましている。政宗はともかく、華那は政宗を嫌っているというのが周囲の見解だ。

「相変わらず固ェよな。もうちょっと気ィ抜いて仕事したらどうだ?」
「何事にも真面目に取り組むと決めておりますので。貴方と違って」

最後の貴方と違っての貴方の部分がやたらと強調されているように聞こえたのはきっと気のせいではない。政宗のこめかみに僅かながら青筋が一本浮かんだ。元々背が高く、声も比較的低い華那は、本人にその気がなくても高圧的な態度に見られがちだ。こういった一色触発の状況だとそれらは更に悪いほうへと作用する。政宗も政宗で、売られた喧嘩は買う主義だった。

「真面目すぎっつーのも問題だと思うぜ? ただでさえ隙のない女は口説きにくいんだ。お前の場合、特にその外見と合わさって余計に、な」

仕事では効率を重視する華那の服装は常に飾り気のないものが多く、シャツにズボンと男っぽいものが多い。女性らしい服装では動きにくいのだ。化粧も薄く、昔から何度も男っぽいと言われ続けてきた。本人は慣れたもので男っぽいと言われてもいつも聞き流しているが、内心では少し複雑な感情を抱いていた。

華那だって一人の女性だ。お洒落に興味がないわけではない。しかし仕事をするときはお洒落な服装は動きの妨げになるだけだ。仕事の効率が下がるくらいならお洒落などしなくていい。そんな答えに落ち着いてしまってからというもの、クローゼットの中のお洒落な服の割合が減りつつある。

唯一のお洒落は髪だけ。せめて髪だけはと華那の髪に対するこだわりは強い。自慢の黒髪ストレートを頑張って伸ばし続けて、ようやく背中半ばまで伸びた。

「なら不真面目すぎというのも問題なのでは? 仕事をサボるから残業する羽目になるのでしょう?」

ギリギリまでサボることの多い政宗だが、今日はサボりすぎたのか定時に仕事を終えることができず、今から帰宅コースの華那と違い政宗は残業コースだ。いくら人手が足りず忙しいからといっても、政宗の場合は自業自得の部分が多いので同情する気すら起きない。

「でも珍しいこともあるものですね。いつもどれだけサボっても定時に仕事を終わらせているのに」
「……オレだって調子が悪いときくらいあるんだよ」

政宗は華那の目を見ず、明後日の方向を見ながらこう言った。たしかに誰にだって調子の悪いときだってあるだろう。それは華那にだって理解できる。できるのだが、今日は何かが違った。

「な、なんだよ……」

華那はじっと政宗を見続ける。居心地の悪さを覚えた政宗がその場を離れようとすると、華那は彼の腕を強引に掴み、ただ何をするでもなく政宗を見続けた。珍しい光景に何事かとギャラリーも息を飲む。しばらくして政宗を解放するなり、華那は深い溜息をついた。

「今日は帰ってください。貴方の仕事は私が引き受けます」
「はあ!? なんの真似だ!?」
「そんな体調で仕事されて誰かにうつされたくないだけです。ただでさえ人手不足だというのに……。それともあれですか、私が気づかないとでも思ったんですか? とりあえず今日は家に帰って休むこと。そして明日病院に行くこと。風邪かインフルエンザかはっきりさせないと」

政宗の顔がギクッと強張った。その反応が華那の言ったことが当たっていると物語っている。ギャラリーは小声で政宗の体調が悪かったのかどうか話し合っていた。

「なあ、伊達のヤツ体調悪かったみたいだぜ? お前気づいてた?」
「まさか! だっていつもどおりだったんだぜ。メシも普通に食ってたし」

政宗の体調が悪かったことに誰一人気づかなかったのだから当然の反応だ。今日一日思い返してみても政宗は普段と変わらない言動で、体調が悪い素振りを全く見せていない。周囲の人間をこうも騙せるほど政宗のポーカーフェイスは完璧だった。それなのに目の前の華那はいとも簡単に見破った。なんとも言えない複雑な感情が政宗を襲う。このまま彼女の言うとおりに帰るのは非常に癪にさわる。言いなりになったようで気分が悪い。

だが不思議なもので一度体調が悪いことを周囲に知られると、これまで我慢していたものが一気に溢れだすかのように更に悪化した。熱で頭がぼーっとしてきた。足元が覚束ない。非常に癪だが、これは華那の言うとおりにするしか政宗に道はなかった。政宗は渋々華那に自分の仕事を任せ、同僚達に心配されながら出社していった。

「さて、さっさと片付けますか」

滅多に残業しない女が嫌いな男のために残業した。驚きを隠せないギャラリーを意識から排除した華那はもう一度デスクに座りなおし、沸々と湧き上がる怒りを堪える。目の前のノートパソコンを鬼のような形相で睨みつけながら、バンッと力任せにキーボードのエンターキーを押したのであった。

*** ***

いつもより遅い時間に帰宅した華那は真っ暗な部屋に灯りを点けると、リビングのソファの上に鞄を放り投げた。家の中は静かでどこか重い空気が漂っているようだった。リビングを見回してみても朝家を出て行ったときとほぼ同じ状態だ。華那はおもむろにリビングを後にすると、軽くノックをしたあと寝室のドアを静かに開けた。中からの返事を待つつもりは最初からない。

寝室もリビング同様真っ暗だった。ただリビングと違う点は、部屋の奥から静かな寝息が聞こえてくるということである。華那はゆっくりと部屋の奥へと進み、ベッドの傍のライトを点けた。仄かな灯りの下には、数時間前体調不良が原因で無理やり仕事を交代させた男の政宗がある。

華那は政宗に心配げな眼差しで見つめた。額の髪を少し掻き上げ、その額に自分の掌をそっとあてる。熱い。やはりまだ熱は下がっていない。華那は何か思い立ったのか、政宗を起こさないよう気をつけながら寝室を後にした。どうせ家に帰るなりベッドへ直行したに違いない。薬を飲ませようにもその前に何かを食べさせなければ。材料残ってたかしら? そんなことを考えながらキッチンへと向かった。

華那がお粥を作り終え、再び政宗が眠っている寝室へと足を運んだら、意外なことに彼は目を覚ましていた。その表情はとてもだるそうで、とてもじゃないが本調子とは程遠い。

「起きて大丈夫?」
「Yes 少し眠ったからさっきよりはマシだ……。だがな、さっきはよくもこのオレを突っ返したな華那!」
「ただでさえ体調不良者続出で人手不足なんだから、これ以上感染者を増やしたくなかったのよ。なにより政宗の体調が心配だったし。はい、これお粥と薬」
「Thanks……ったく、誰にもバレなかったからこのまま騙せるって思ったのによ。やっぱ奥さんは騙せねえか」
「当然でしょ。誰よりも政宗のことを見ているのだから。会社では相変わらず私達の仲は悪いと思われているようだけれど」

政宗と華那は頗る仲が悪い。会社では何故かこう思われてしまっていて、今更訂正することすら億劫で会社の誰にも二人が実は夫婦だと話していない。華那は仕事とプライベートを完全に分けるタイプだったので、会社での政宗との接し方はいつも他人行儀だし、名字も会社では音城至で通しているので周囲は気づこうにも気づけないのだが。

「とにかく明日は会社を休んで病院に行かなくちゃね。インフルエンザじゃなきゃいいんだけど」
「大丈夫じゃねえか? さっきよりもだいぶラクになってきてるし。ん? この粥、いつもと味が違くねえか?」
「ああ、隠し味にあるモノを入れてみたの。結構イケるでしょう?」
「ああ、普通に美味い。ほんと料理といい裁縫といい、意外と得意だよなお前」
「意外は余計」

いつもならここで一発くらい食らわせてやるのだが、今日の政宗は病人なので何もしないでおいてやる。

「ねえ、今日もいつもどおり一緒に眠ってもいい? 」
「はあ? 病人のオレと一緒に寝ないほうがいいだろ?」
「私もそうしたいところなんだけど、なんか一人じゃ眠れない体質になっちゃったみたい。政宗のせいで」
「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか」

そう言うと、どちらともなくクスクスと笑みが零れていく。そして―――静かに唇が重なり合った。

完 

50万筆頭企画/ペルノー様
政宗現代夢
ペルノー様に考えて頂いた夢主の設定は、背が高く、声も比較的低めで男っぽい服装ばかりな女性。仕事好きであるが、裁縫や料理などの家庭的なことも好き。背中半ばまで伸ばしているストレートの黒髪が唯一外見で女性と判る部分。性格もてきぱきしているので「男っぽい」どよく言われるので少し複雑な想いを抱いている。……というものでした