リクエスト | ナノ


真夏の熱視線

好きな季節は何かと訊かれれば、華那は迷わず夏と即答する。一般的に夏は暑いという理由で苦手とする人が多いかもしれない季節だ。しかし華那はだからこそ夏が一番好きと答える。暑いのはいい。暑ければその分露出も増える。もう一度言おう。華那は夏が一番好きだ。何故なら、大好きな筋肉がタダで見放題できるから……である。

朝のバスの中は、同じ制服をした男女がごろごろ溢れている。眠そうに大きな欠伸をしている生徒や、楽しそうに話をしている生徒達。静かに本を読んだり音楽を聴いている生徒もちらほら見受けられる。そんな中、バスの中で一人恍惚とした表情を浮かべている怪しい女子生徒がいた。頬もほんのり赤い。口からは時折、隠し切れていない笑い声まで聞こえてくる始末。

偶々彼女の隣に立っていたサラリーマン風の中年男性は露骨に顔を顰める。仕方がないこととはいえ、こんな怪しい女の子の隣ははっきり言って居心地が悪い。早く自分が降りるバス停に到着しないものか。だが悲しかな、このサラリーマンが降りるバス停よりも、隣にいる女の子のほうが降りるのが早かった。

あそこにいる男子、すっごく良い上腕二頭筋してる。野球でもやってるのかな? あ、でもその奥の男子の大腿二頭筋も素敵! きっとサッカーをやっているに違いないわっ! まさか彼女がこんなことを考えているとは隣のサラリーマンも思っていないだろう。

でもやっぱり一番素敵なのは……! 彼女は視線を前のほうに移す。一番前には、音楽を聴きながらぼーっと遠くを見ている一人の男子生徒の姿がある。こちらからだと横顔しか見えないのが実に残念だ。しかし彼女に大事なのは顔よりも筋肉である。

何かスポーツをやっているのかな。制服着てるからわかりにくいけど、あれは相当鍛えていると見たわ。毎朝同じ時間、同じバスに乗っている名も知らぬ男子生徒の身体に、華那はすっかり心を奪われていた。降りるときにちらりと見える、前髪で左目を隠している横顔がどこか印象的だった。

「ああ、それはきっと隣のクラスの伊達政宗だ」
「伊達政宗?」

教室で今朝のことを友達のかすがに説明すると、このような返事が返ってきた。

「この学校ではかなりの有名人だぞ? 主に女子にモテるという理由でだがな……。ふん、私にはあんな男のどこがいいのかさっぱりわからん」
「そりゃかすがは上杉先生が一番だもんね」

かすがが国語教師の上杉謙信先生にぞっこんなことはクラス中の誰もが知っている。そのためかすがは上杉先生が顧問を務めている新体操部に入部し、今では部のエースとして日々活躍していた。

「おそらく学校中の誰もが伊達政宗という男の名前と顔を知っていると思っていたのだが……ここに知らない奴がいたとはな」
「だって特に興味がないんだもん。伊達政宗くんにというより、男の子自体に」

昔から恋愛に興味がなかった華那は、異性に関することがとにかく疎い。学校一のモテ男といわれている伊達政宗を知らなくても、誰もが「華那じゃ仕方がない」と思って諦めるくらいだ。

「華那は部活一筋だったな……たしか水泳部だったか。今年はインターハイ出場が決定したんだろう?」
「うん……でも決勝に残れるレベルじゃないってことは私自身が一番わかってるよ。あ、でもだからといって最初から諦めているわけじゃないからね。出場するからには一番を目指して頑張らなきゃ」
「そうだな。ま、今の華那は恋愛よりも部活といったところか……」
「そうだねぇ、部活を引退したら考えてもいいかなとは思っているけど、今はないね、うん、ない。かすがみたいにちゃんと化粧をするつもりもないし、そんなことをする時間があったら筋トレか睡眠にあてるよ」
「ところで話を戻すが、その伊達政宗が一体どうしたんだ?」

異性に興味がない華那が何故彼のことを気にしているのか、かすがにはどうしてもわからない。これを気に色恋沙汰に少しでも目覚めてくれれば……と淡い期待を抱いていた。華那の口から異性の話題が出るのは非常に珍しいことなのだ。

「だってあの身体つき……意外と鍛えられていると思うのよね。もしどこの部活にも入ってないのなら、是非水泳部に欲しい人材だわ。これからみっちり鍛え上げれば、来年の今頃はエースになっている可能性だってあるのよ!?」

興奮のあまり少し鼻息の荒い華那の言葉に、かすがはがっくりと肩を落とした。まただ。また華那の悪い癖が発動してしまった。華那は異性との色恋沙汰に興味はないが、その異性がもし素晴らしい筋肉をしていたら話は別だ。今朝だってそうだ。華那の胸が恋する少女のようにときめいた、あの立派な上腕二頭筋と大腿二頭筋。野球やサッカーというスポーツをしているからこそ、その部位の筋肉を鍛える必要がある。

同じスポーツをする身として、ときめかないわけがない。どうやったらあそこまで立派に筋肉を鍛え上げることができるのだろうか。そんなことを考えている華那の表情は、まるで恋する乙女そのものだ。

「華那? どこに行くんだ?」
「隣のクラス。そこに伊達政宗くんがいるんでしょ?」

ちょっと行って来るね、と軽い調子の華那にかすがはますます頭を悩ませた。華那は知らないのだ。学校一のモテ男の強さを。女子生徒達の嫉妬の恐ろしさを。学校一のモテ男に決して軽い気持ちで近づいてはいけない、というのは全校生徒の暗黙のルール。あの調子じゃ華那はきっと知らないはずだ。華那が無事帰って来られるよう祈りながら、かすがは天井を仰いだ。

「おはようございまーす! 伊達政宗くんっていますかぁ?」

隣のクラスなので堂々と入るわけにはいかず、華那は扉を開けるなり大きな声で彼の名前を呼んだ。するとクラス中の生徒が一斉に華那のほうを見たではないか。無理もない。だが仕方がないこととはいえ居心地が悪い。特に女子生徒達の殺気に近い強い何か込められている(ような気がする)のか、さすがの華那も少したじろいだ。なにこれ、怖い。

「伊達政宗っつーのはオレのことだが、一体何の用だ? ま、大体の察しがついてるけどよ……。まあいい、とりあえずオレに話があるんだろ? 人気のないところにでも行くか」
「え、うん……?」

まだ何も言っていないのにこの伊達政宗という男は、人気のないところに向かって勝手に歩きだしてしまった。たしかに彼に話があるのは本当だし、ここじゃあれなので人気の少ないところでとも思っていた。ただ物分かりがいいだけなのかな。華那は少し不思議に思いつつも、既に小さくなりつつある背中を慌てて追いかけた。

政宗が足を止めた場所は体育館裏だった。まあ人気のない場所といえばここだよね、と華那は一人納得する。そういう華那も最初からここに連れてくる気だったので、あまり人のことをとやかく言えない身の上だ。

「オレはアンタのこと知ってたぜ。毎朝busで熱い視線を送ってきていただろ? オレに話があるんだったな。いいぜ、言ってみな」

体育館の壁に背中を預けている彼を、華那はここぞとばかりに上から下まで、舐めるように観察していった。バスの中ではちゃんと見ることができなかった身体が、いま私の目の前にある。シャツで隠れているからちゃんと見たわけではない。だがシャツの下には素晴らしい大胸筋が隠れているに違いない。

大胸筋だけじゃない。きっと三角筋も凄いんだろうな。ああ、見たい。ナマで見たい触ってみたい……! 無意識に華那の手が政宗の身体に伸びた。

「Hey アンタ一体どうしたんだ?」
「あ、あの! 服を脱いでくれない!? 上半身だけでいいからっ!」

興奮のあまり華那はとんでもないことを口走ってしまった。説明が足りなかったばっかりに、実に大胆なことを口にしたものだ。華那はどうすればいいのかわからず、頭が真っ白になったまま固まってしまう。政宗も珍しく目を丸くさせたまま硬直している。しかしすぐさま余裕を取り戻し、

「……アンタ、大人しそうな顔をして実は結構エロいのな」
「ち、違う! 違うから! 大事な部分が抜けてアレだけど違うからっ」

政宗の余裕が華那を更に焦らせる。政宗はそんな彼女が面白いのか、クツクツと喉の奥で笑っていた。

「たしかに大事な部分が抜けてるよな。オレもまさか告白の前に服を脱げと言われるとは思ってなかったぜ」
「だからちゃんと説明するからっ………って告白?」

おもわず真顔で訊き返してしまった。いくら華那でも政宗の言う告白がどういう意味の告白なのかは理解できる。

「このオレを人気のない場所に呼び出すなんて告白しかねえだろ」
「ちょ、ちょっと待って!」

華那は慌てて声を張り上げた。

「私がいつあんたに告白するって言ったのよ! 私はただあんたの筋肉を見せてほしかっただけなんだってば!」
「…………What!? 筋肉だァ!?」

政宗もわからないというように眉を顰める。

「そう、そのシャツの下の筋肉を見せてほしいの。だからお願い、上半身だけでいいから服を脱いでください!」
「No! 見たいならそれなりの見物料ってやつを支払いな。オレの裸は高いぜ?」
「いくら!?」
「本気で払う気かよ!?」

スカートのポケットから財布を取り出して見せた華那に、政宗は全身の力が抜けるような感覚を覚えていた。一体この可笑しな女の子は何なんだ。この女の子のことは知っている。毎朝同じ時間、同じバスに乗っている女子生徒。女の子は知らないだろうが、彼女がいつも熱い眼差しで自分を見ていることに彼はとっくに気づいていた。だがその視線にどんな想いが込められているかまでは知らない。

最初は偶然だったのだ。偶々一台早いバスに乗ったのがきっかけだった。薄らと頬を朱に染め、自分を見つめてくる女の子。その女の子の眼差しが気になって、翌日も一台早い時間のバスに乗った。するとやっぱりその女の子はそこにいた。逃げるようにこの場を去ろうとする政宗を慌てて追いかけたあまり、華那は足がもつれて転びそうになった。反射的に政宗が手を差し伸べ、華那は彼の胸に飛び込む形となる。

「……だ、大丈夫か?」
「………やっぱり素敵だわぁ。服の上からでもよくわかる、意外と鍛えているのね」

服の上から政宗の身体をぺたぺたと触ってくる華那に恐怖を覚えた政宗は、咄嗟にくっついていた華那を引き離した。華那はもう終わりなの? と言わんばかりに口を尖らせる。

「少し触っただけでもよくわかる。ちゃんと鍛え上げれば絶対にイケるわ。ねえ、水泳部に入部しない!?」
「…………は?」
「だから水泳部! その身体つきなら絶対に良い線イケるはず!」
「まさかアンタがオレを呼びだしたのは……」
「水泳部に入部してもらおうと思って。毎朝バスで見ていて、是非うちの部に欲しいって思っていたの」

翌日のバスの中でも、女の子は昨日と同じ眼差しで政宗を見ていた。面白半分で政宗がさりげなく女の子のほうを見ると、彼女は恥ずかしそうに視線を反らす。そんな初らしい反応がどこか新鮮だった。そんなやりとりが何故か面白くて、どちらも声をかけることなくただ見ているだけの時間は漠然と続いていった。そしたらどうだ、今日ついにその女の子が声をかけてくれたのだ。彼女が教室に現れ自分の名を呼んだ瞬間、政宗の胸が柄にもなくときめいた。

なのに、だ。一見どこにでもいる普通の女の子だと思っていたら、開口一番に服を脱げと言ってきた。筋肉を見せてほしいだけで告白する気などないと言う。挙句の果てに水泳部に入部しろと目茶苦茶なことまで言いだした。この女の子を異性として意識していたのはどうやら自分だけのようで、彼女にはそんなつもりは全くないということか。政宗の中で恥ずかしさや悔しさといった色々な感情が渦巻き、それを振り払うように彼は頭上を仰ぎ見た。

………一度は断ったものの、それ以降華那の勧誘は続いた。逃げても逃げても追いかけてくる彼女に根負けした政宗が水泳部に入部届けを叩きつけるのは、それから少しした頃のことである。

完 

40万筆頭企画/ことみ様へ
政宗学園夢
ことみ様に考えていただいた夢主の設定は、水泳部所属(インハイには出場できるが決勝には残れないレベル)。恋愛に興味がなく、クラブ活動に青春を捧げている。異性はアスリート目線で観察する程度。外見は至って普通で、化粧には興味がない。……というものでした