吸血鬼連載 | ナノ

Call me

彼を「伊達政宗」ではなく「政宗」と呼ぶことに慣れ始め、ついでに吸血行為にも慣れ始めていた頃。ついに異変が起きた。最近のあたしは首を傾げることが多い。別にそれは些細な変化であり、日常生活に支障をきたすわけじゃない。でもそこには確かな違和感があって、同時に心の真ん中に穴が開いたような気分になる。

―――最近になって、政宗があたしの血を吸わなくなったのだ。

「―――もういい」
「なにが?」
「アンタはもうオレに血を提供しなくていいっつったんだ」

それだけ。それだけ言うと政宗はあたしから一切の血を飲もうとしなかった。理由もわからない、訊いても教えてくれない。ただ一方的に「終わり」を告げられたのだ。解放されて嬉しいはずなのに、何故かあたしはちっとも嬉しくなかった。

お昼休みになると政宗が「華那」とあたしの名を呼んでいた。それが吸血行動の合図。あたしもそれが当たり前になっていて、呼ばれないことに焦りを感じるようになっていた。

最初の頃は嫌だった。誰が好き好んで吸血鬼(じゃないって政宗は拘っているが)に血を吸われたいと思う。どんなに彼が良い男でもゴメン被る。この学校じゃ吸われてもいいっていう女子は多いかもしれないが、あたしは嫌な部類に入る。吸血されるたびに脳髄を襲う快感に耐え、強すぎる快感は苦痛となんらかわらない。

なのにいつの頃なのか。政宗に吸血されるのが当たり前となり、吸われないことが非日常となっていたなんて。あたしの血を吸わなくなるとほぼ同時に、政宗にまた女の影がちらつくようになっていた。あんなに鬱陶しいと言っていたくせにと内心で毒づきながら、あたしは彼の周りに群がる女子達を眺めている。以前と変わらぬとっかえひっかえの日々。授業をサボり、その間女子達と何か良からぬ事でもしているのだろうか。

吸血行為を誤魔化すために女を抱く。隠す必要がなかったあたしにはなかった行為だ。何故? それが羨ましいと感じてしまう。この胸に熱く仄暗い感情が渦を巻く。この感情は何という? きっかけがきっかけだっただけにろくな出逢い方じゃないと自覚している。元々政宗には良い印象を持っていなかったあたしだ。それはまさに最悪だった。他の女子がどう思っているかはわからないが、少なくともあたしにはただの女っ垂らしにしか映っていない。

どんな事情があるにしても、いつも違う女を抱くような男だと認識していたからだ。現にそうだったしね。でも少しずつ話すようになって、少しずつ彼のことがわかるようになって……。少しは良いところもあるんじゃないかって思い始めていたのに、それはあたしの自惚れに過ぎなかったの?

***

「……不味そうな弁当だな」
「……いきなりなんですか?」

屋上でお弁当を食べていたあたしに、政宗は顔を覗かせながら失礼極まりないことを呟いた。ご飯を口に運ぼうとしていた端の動きが止まる。政宗はしげしげと見つめるだけで、それ以上喋ろうとしない。自分で言うのもなんだが、決して味は不味くないと思っていた。だって作ったのは他ならぬあたしだから。自慢じゃないが、これでも料理の腕は周りからの評判は高い。天狗になったつもりはないが、貶されると腹が立つ。

「色が地味って言うか、華がねえ」
「身体には良いものばかりだからいいの。見た目はアレかもしれないけど、味は不味くないし」
「なんでそんなに健康に気を使う必要があるんだ?」

……政宗にちょっとでも美味しい血をあげたいから、なんて言えるわけがない。言ったら怪訝そうな顔をするか、おもいっきり馬鹿にするかのどちらかだ。あたしは答えが見つからず口を噤む。止まっていた箸の動きを再開させ、黙々とご飯を口に運んでいく。黙り込んだあたしに腹を立てたのか、政宗はムッと眉間にしわを寄せた。そして何を思ったのか、あたしの手首を掴みグッと顔を引き寄せる。口と口が触れてしまいそうなほど間近に政宗に顔があった。心臓がバクバクと煩いくらいの音を鳴らす。抵抗しようにも力が入らず、かといって声を上げることもできない。口を開けばそれだけで唇か触れてしまいそうだったから。

あたしが抵抗できないことをいいことに、政宗はあたしの口端をペロリと舐めた。あまりに予測不可能な行為に、あたしは忘れ目を丸くさせる。箸からポロリとご飯が零れ落ちた。政宗が触れた部分だけがやけに熱い。彼はゆっくりと顔を離し、してやったりな表情を浮かべていた。

「な、なにするのよいきなり! このド変態ッ」
「口についてたモンを貰っただけだろ?」

チロリと覗かせた舌には、白くて小さいものが付着していた。それはどう見ても米粒である。もしかしなくても口に米粒が付着していた!? は、恥ずかしい……まるで子供じゃない。普通に教えてくれればいいのに、なんでよりによって舐めとるのよ。しかもやけに手馴れた感がして悔しい。こんなことを今まで何人の女にしてきたのだろう。……あたしは特別なんかじゃないのに、むしろそれ以下の存在なのに。なんでこんなに苦しいんだろう。

どうして他の女の子達のことを思えば思うほどつらいのだろう。愛はないとはいえ、政宗に抱かれる女の子達がやけに羨ましい。どんな形であれ、抱かれれば特別だと錯覚できるもの。それと同時に恨めしい。政宗を感じられる身体が妬ましいと思ってしまう。彼の指を、声を、存在全てを感じられる行為が羨ましくて妬ましい。……病気かあたしは。

***

「………ッ!?」

足元がふらつく。突然襲った眩暈に、あたしは反射的に壁に手をついた。倒れるかもと思ったが、咄嗟に政宗が支えてくれていたのでそれはなかった。ゆっくりと顔を上げると、政宗がすまなさそうな顔であたしを見下ろしている。あたし以上に辛そうに顔を顰めてどうしたのだろうか。

「……悪ィ、少し無理させちまったな」
「どういうこと……?」
「いつも以上に吸いすぎたんだ。貧血起こしているだろ?」

ああ、これは貧血だったのか。政宗の言うとおり今日はいつもより長かったなとは思っていたけど、少し長いだけで貧血を起こすとは思ってもいなかった。そこまで弱くないつもりだったのに、自分で思っていた以上に身体は素直だ。

「これくらい別に平気だけど、なんでいつもより多く吸ったの? お腹減ってた?」
「……いや。ただ段々と止まらなくなるんだ、自分でもよくわからないがな」

いつもは政宗に血を吸われても貧血なんか起こさない。それはつまり加減してくれているということになる。なんで今まで気づかなかったんだ。血を吸おうと思えば今のように貧血になるまで吸ってもよいのに、政宗は加減して貧血を起こさないところでやめていてくれたのだ。さり気ない優しさに胸が熱くなる。だってそれは、あたしの身体を気遣ってくれているからと思ってもいいんだよね? こいつの性格ならどうでもよいものには関心すら示さないはずだから。

「止まらなくなるって……やっぱりあたしの血が美味しいってことだ。美味しいと止まらないもんね」
「馬鹿か。止まらないってことは、華那を食い尽くすって意味だぜ?」

それでもいいかもって思ってしまったと言ったら、政宗はどんな反応をしただろう。きっと怒っただろうね。冗談でもそんなこと言うなって。外見に似合わずとても優しい貴方だから、怒るに違いないと思うんだ。不思議だね、政宗の言うことがわかっちゃうんだから。

あのときは何も言わなかったけど、これはあたしの本心だ。政宗になら食い尽くされても、すなわち死んでもいいかもって思った。けど優しい貴方のことだから、そんなことになっちゃったらきっと自分を責めるのでしょう。ああ、そうか。あたしの中で蠢くこの感情。やっとこの感情の名前がわかった。

淋しい、嬉しい、妬ましい、恨めしい。声を聴けるだけで嬉しくて、聴けないとたまらなくなるほど不安で。この感情の名前は「恋」や「愛」と称されるもの。政宗の秘密を知ったときから、あたしは彼に囚われていたんだ。

好きだよ。悔しいけど、でもあたしはあんたが好きなんだよ政宗。泣きたくなるくらい好きなんです――…。

***

闇夜の中に獣が一匹、今日も絶えず襲い掛かる苦痛に身を捩る。開け放たれた窓から冷たい夜風がカーテンを靡かせている。床には赤い飛沫が飛び散り、粉々に砕けたガラスの破片が鏤められていた。木製のアンティーク風の机の上には、真紅に染まった丸い錠剤が散乱している。これらが入っていたガラスケースは床に落ちたと同時に原型を失い、今では床を彩る一部に成り果てていた。机の上にあった頃はそれはそれは美しい、見事な装飾が施された小瓶だった。だが形あるものはいつか朽ち、見るも無残な姿に変化する。

「………グアアァァァ!」

苦痛しか読み取れない呻き声がするたびにベッドが軋む。ベッドの上でのた打ち回る獣は、自身の胸元を鷲掴みにしながら苦痛に耐えていた。肌は汗ばみ、どれだけ苦痛に耐えているのか見て取れる。目を開けていられない。絶えず襲ってくる苦痛という名の欲を押さえ込むのに必死で、目を開ける余裕すら存在しないのだ。この苦痛にもうどれだけの間耐えてきただろう。時間の感覚がなくなるくらい、飢えと渇きに耐え続けている。こうすると選択したときから戦う覚悟は決めていた。しかしこれほどとは。予想を上回る苦痛に、いっそのこと死んでしまいたいとすら思ってしまう。獣は今日も呻き続ける。大事だと気づいたものを己が手で壊さぬよう。

続