吸血鬼連載 | ナノ

Bloody Prince

今日もあたしの隣は華やかだった。女子の甘ったるい声と甘ったるい香水の匂いが身体中に染み渡る。聞きたくなんかないのに、近いという理由だけで嫌でも耳に入る。嗅ぎたくないのに、傍にいるという理由だけで嫌でも鼻につく。それが毎日。いい加減うんざりしていた。我慢の限界も近い。

チラリと横を窺うと、数人の女子が一つの机に群がっていた。みんな綺麗に化粧をし、爪先まで手入れを欠かさない、お洒落に敏感な女の子達。その中心にいる人物こそが、この席に座る伊達政宗という男だった。腹が立つほど整った顔に、日本人離れした体格。頭もきれ運動神経も良い。おまけに実家は世界的貿易会社を運営しているという。まさにパーフェクトといえる男である。

そんな彼だ、モテないほうがどうかしている。彼の周りには常に女の影がある。それも毎日入れ替わるという最悪な奴だ。いつか学園中の女子を食い尽くすのではないかと密かに思っているくらいである。いつ背中を刺されるんじゃないかって思うけど、女子達は彼のそんな部分も受け入れているらしく、彼が他の女子と歩いていても何食わぬ顔をしているくらいだ。世の中って本当にわからない。あたしだったら問答無用で刺し殺しているはずなのに。

始業のチャイムが鳴ると、群がっていた女子達が自分の席に戻っていった。ようやく伊達政宗の顔を拝むことができる。ハーレム状態だったから頬が緩んでいると思いきや、相変わらず涼しい顔をしていると思う。女子達が傍にいるのが当たり前なのか、どんなに綺麗な女子がいても顔色ひとつ変えないんだもん。世の男子も敵に回したかな、こりゃ。

まじまじと観察していたら、ふいに伊達政宗がこっちを向いた。別に何もしていないのに、あたしは慌てて視線を逸らす。なんでよ、これじゃあたしに疚しいことがあるみたいじゃない。しかし彼はすぐさま私から視線を逸らし、ぼーっと黒板を見つめるようになった。そして何も思ったのか、急に席を立ち上がるとそのまま教室を後にした。携帯を弄りながらってことは、サボリだろうか。

彼はよく授業をサボる。別にこの授業が嫌だからってわけじゃない様子だ。ただふと、まるでいま思いついたように、いきなり教室を後にするのだ。それが不思議でならない。そんなにサボっているのに成績は学年一番ってことが納得いかないし、なによりそんなにサボって何をしているのか気になる。どうせどこかで寝ているか、煙草でも吸っているのだろうけど。

気になることといえばもう一つある。それは絶対に体育の授業だけは参加しないこと。といっても体育館で行われる体育の授業には参加している。グラウンドで行われる授業だけは参加しないのだ。他に水泳も参加していないらしい。

噂では日光に弱いって言われているけど、あんなに健康そうなのに日光に弱いなんて信じられない。でも確かに彼が日向にいる姿をあたしは見たことが無い。登下校は常に車で送り迎えだ。何度か見たことがあるけど車に興味がないあたしですら、それが高級車だってことがわかるくらいのものだった。本当にお金持ちの御曹司なのね。

よくわからない男。それがあたしの出した「伊達政宗」という男の結論だった。

***

「あー……もう駄目、頭痛い」

その日、あたしは朝から頭痛に悩まされていた。最初のうちは放っておけば治るかなって思っていたけど、時間が経つにつれてますます悪化する一途だった。三限目前になってついに我慢できなくなったあたしは、保健室行きを決定した。廊下で担当教科の先生とすれ違い、事情を説明して保健室に直行する。しかし保健室に先生の姿がない。もしかしてどこかに出かけているのだろうか。全く、タイミングが悪いと思う。

「……なにこれ、今度は気持ち悪いし」

お腹の奥から何かが這い上がってきそうな感じに、あたしはたまらず眉を顰める。保健の先生もいないことだし、自販機で何か冷たい飲み物でも買ってこようかな。始業のチャイムは鳴っているので、先生に注意しながら廊下を進む。幸い先生に会うこともなく、自販機がある場所まで辿り着けた。

なにかサッパリしたものをと、あたしは迷わずスポーツドリンクを選択する。ガシャンと勢いのある落下音とともに、手に取るとひんやりと冷たいペットボトルが落ちてきた。何も考えず一口飲む。それだけで随分マシになった。さて、保健室に戻らなくちゃ……。

ペットボトルを額に当てながら保健室に戻ろうとしたときだった。どこからか小さな声が聞こえたような気がして、あたしはおもわず足を止める。耳を澄ませば、確かに女の声のようなものが聞こえてくる。しかし若干息遣いが荒い。大きな声を上げたいのに、必死になって我慢しているような切迫感も感じられた。

なんだか聞いちゃいけないような気がして、早々に立ち去れと脳が警鐘する。しかし好奇心が胸の奥で踊っている。見ちゃいけないと思えば思うほど、好奇心はどんどん膨れ上がってしまう。結局、好奇心が勝ってしまった。

我慢できず、声がした物陰をのぞき見る。瞬間、息を飲んだ。壁に隠れるようにして、二人の男女が重なり合っていた。女性が着ていた制服は乱れ、白い素肌が惜しみも無く露になっている。微かに覗く表情は恍惚そのもので、薄っすらと頬を赤く染め上げ肩で荒い息をしていた。

男のほうは余裕があるようで、女性ほど荒い息をしていない。制服も少し肌蹴ている程度で、逞しい胸元が少しだけ覗いていた。思わず声を上げそうなってしまったが、口元を押さえてなんとか堪える。自分の顔が熱くなっていくのがわかった。ちょ、こんな時間からなにやってんのよ……!

目の前の光景がわからないほど、あたしは子供ではなかった。見なかったことにして、早々に立ち去ろう。右足を一歩後退させたところで、あたしは気づいてはいけなかったことに気づいてしまった。女性の首筋にツウッと赤い筋が流れていたのだ。鮮やかな赤から目が離せない。人を狂わす妖しげな色に、頭がぼうっとする。

男の口元からも同じ赤が伝っていた。女性の首筋から流れる赤を、男が舌を這わすことで舐めとっていく。すると彼の喉が小さく鳴り、ただ舐めとっているだけでないと気づいた。―――飲んでる?

男は女性の「血」を飲んでいるのだ。それは本や映画で見た、吸血鬼そのものだった。しかし不思議と恐怖はない。あるのは艶やかさと扇情的な光景だった。あまりに美しく、妖しい光景から目が離れない。どれくらいの間こうして呆けていただろうか。我に返ったのは、鈍い音が耳に届いたときだった。なんの音かと思ったら、手に持っていたはずのペットボトルが見当たらない。ペットボトルは足元で虚しく転がっていた。どうやら落としてしまったらしい。さっきの音はペットボトルが落ちたときの音だったのか。

「………ッ!?」

声にならない悲鳴が口から漏れた。音に気づいたのか、血を啜っていた男がゆっくりと顔を上げる。

「………え?」

彼はあたしがよく知っている男だった。あたしの隣の席で、いつも女子に囲まれていて、絵に描いたようなパーフェクト男で、憎たらしいほど欠点がないやつ。

「だ、伊達、政宗……?」

掠れた声で名前を呼ぶと、彼は妖艶に口元を歪ませる。口元には薄っすらと血の跡が残っていて、恐ろしいはずの光景も、彼だとどこか厭らしさを感じさせた。血でさえも彼の魅力を惹き出すモノに過ぎないのか。

「Oh……見ちまった、か」

彼の言い方は見られては困ると言っているようだった。ということは、あれは見ちゃいけない光景だったんだ。しかし彼は焦る様子を全くみせず、むしろこの状況を楽しんでいるかのようだった。

酷く冷静で楽しそうな彼は、今のあたしにとっては恐怖そのもの。耐え切れなくなったあたしは、落としたペットボトルのことすら忘れて、一目散にこの場から逃げ出した。逃げるあたしの背中を、彼が妖しい表情を浮かべながら見ていたなど、知るはずなく―――。

続