城を自由に歩くことは許されていない。私はそれを了承していたはずだ。なのに、それが段々と苦痛に思える。怪我をしていたときは歩くことすら満足にできなかったから、この約束の重みをさほど考えていなかった。しかし怪我が治るにつれて、嫌でもこの重みが私に圧し掛かろうとしていた。 長いこと身体を動かせずにいると、いつしか無性に動かしたいという欲求に駆られるのだ。それだけではない。毎日同じ景色を眺めることしかできずにいたせいか、この部屋がまるで牢獄のようにさえ思えてくる始末。私がこのお城にお世話になってもうすぐ一ヶ月が経とうとしている。足の痛みもとれ、薄っすらと痕が残っている程度。一見すると健康そのもので、動きたいという欲求が膨れ上がる。 自分でも言うのもおこがましいが、今の私は捕虜そのものだった。ここが牢獄ではないだけで、あとは捕虜となんら変わりない。こういってはあれだが、この部屋が座敷牢みたいに思えてくる。足首に鎖がないだけ。いや、約束という鎖に繋がれているから同じか。 ……これは私の我侭だ。助けてもらった身でこんなことを考えるなんて、軽蔑されるに決まっている。でも何故か、私の中で焦燥に似た想いが駆ける。何に焦っているかわからないけど、私は確かに焦っていた。早くここを出ないといけない。私にはやるべきことがあるのだから、と。何か大切なことを果たさなくてはいけない気がする。でもそれが何か……思い出せないからもどかしい。心の奥がズキズキと疼く。 虚ろな目で青空を自由に飛びまわる鳥を見ていたときだった。遠くから大きな音がし、何気なく音がしたほうへ振り返る。耳を澄ませば音が大きくなっているのがわかった。明らかにこちらに向かっている足音なのだが、私は怪訝に思い首を傾げた。ここに来るのは政宗様しかいない。が、この足音は政宗様のものではなかったからだ。足音だけで政宗様かどうかわかるなんて、自分でも感心してしまうくらいだ。 この部屋には時計がないから時間はわからない。頭上の太陽が真上にあるので、大体お昼くらいかとわかる程度だ。朝餉は頂いているし、夕餉にもまだまだ時間がある。女中さんがご飯を持ってきてくださるという可能性もこれで消えた。…………ますますわからなくなったのは、言うまでもない。 「華那姫―――!!」 スパーンと勢いよく襖が開くと同時に、陽気な声が部屋中に響いた。窓辺に腰掛けていた私は、突然の訪問者に驚き窓辺からずり落ちた。 「大丈夫?」 目を数回パチパチさせながら、部屋の入り口付近に立っている男性をまじまじと見た。理由は二つ。一つ目はこの部屋に訪れ、私に話しかける人がいないから。もう一つは見たことがない人だったから、である。 「ごめんごめん、驚かせちゃった? 帰ってくるなり梵が女の子を居候させている、なんて女中から聞いちゃったものだから気になっちゃって……」 その人は人懐っこい笑みを浮かべながら、私の前まで来てしゃがみこむ。私と同じ目線で話しかけようとするこの人に、私は素直に嬉しさを感じていた。こんなふうに話しかけてくださるのは、今まで政宗様だけだったから……。 「え、ちょっと、どうしちゃったの!?」 男性特有の骨ばった指が私の目元に触れる。いつの間にか私は泣いていたらしい。「俺なにかしちゃった!?」とあたふたする目の前のこの人に、私は嗚咽を殺しながらも「違います」と言った。 「こ、こんなふうに、話しっ、かけてもらうの、ひ、久しぶりっだったからっ……!」 「あ………」 それだけでこの人は私が何を言っているのか理解したのだろう。優しい笑みを浮かべながら、私の頭をポンポンと叩く。小さな声で「頭でわかってても、やっぱり淋しいよねぇ」と宥めるように囁きながら。 淋しかった。政宗様の優しさに感謝して、助けられていたのは本当だけど、やっぱり淋しかった。この城でお世話になって一ヶ月。それはつまり私が記憶を失って一ヶ月という意味も含む。記憶を失い自分が誰かわからなくなって一ヶ月。その間、心の奥ではずっと人との繋がりを無我夢中で探していた。じゃないと世界に独りぼっちな気がして、不安で押し潰されそうになったから。 この部屋から出られず、政宗様以外の人とは話すことも許されず……。本音は怖かった。世界中の人達から嫌われていると錯覚してしまいそうで、泣きたいほど怖かったんだ。けど政宗様にこのことを言うわけにはいかなかった。これは私の我侭で、政宗様は私の唯一の味方でいてくれたから。 「大丈夫だよ。みんな華那姫を嫌ってるわけじゃないからサ」 「………」 「みんな、どう接したらいいか困ってるんだよ。俺達は梵を護らないといけない。だから梵の傍にいる人を素直に受け入れることができないんだよ。もしかしたら敵かもしれないってね。それがたとえ信用したいと思っている人でも。女中達も俺達の態度を見たらそう接するしかなくなるんだ。本当は話しかけたいって思ってるに違いないよ?」 「………ありがとうございます」 「どういたしまして」と言いながら優しく笑ってくれるこの人につられ、私も少しだけ笑ったら「そっちのほうがいいよね、やっぱり」とまた笑ってくださった。 「……あの、貴方様は一体?」 名前を訊いていなかったことを思い出し、慌てて名前を訊ねた。相手は私のことを知っているようだから、このお城の人だってことはわかるんだけど。 「え、俺? 俺はね……」 「成実! テメェ、オレを無視していきなり華那に会おうたァいい度胸じゃねぇか!」 「ま、政宗様!?」 「あ、バレた」 本日二度目の乱暴な手つきで襖が開いた先には、怒り狂った政宗様が仁王立ちしていました。政宗様が何故怒っているのかわからず動揺する私に対し、成実と呼ばれた目の前の男性は大して焦った様子ではない。この状況を面白うそうに楽しんでいるようにすら見える。 「Hey 華那、さっさと成実から離れ……!」 政宗様の口が不自然に閉じた。私の顔を見るなり大きく目を見開いたからだ。どうしてそんなに驚くのかと思っていたら、先ほどの比ではないくらい怒り狂った表情で成実様を睨みつけた。余裕だった成実様も政宗様の尋常ではない殺気に気づいたようで、今度は真剣に焦ったような声で「ちょ、待った!」と大慌てだ。 「成実……よくも華那を泣かせやがったな……」 「え、これは違う! これは違うってば! って本当に違うのかなってやっぱり違う、なんか違うってば。だから落ち着け、とりあえず落ち着け梵!」 俯いているため政宗様の表情は窺えない。しかし声のトーンがいつも以上に低い。見えないけど、青い稲妻が放電していそうだ。はっきり言って、怖いです政宗様。 「Now die」 「なうだい……って言ってる意味わかんねーけど、よくねぇことだってことはわかるぞ! なぁ華那、なうだいってどういう意味だ!?」 一歩一歩ゆっくりと近づいてくる政宗様に怯えつつも、成実様は私の肩を揺さぶりながら必死に訊いてくる。政宗様に背を向けているけど、背中で彼の殺気を痛いほど感じているようだ。意味を教えろって、でもこれ言っていいもの……なのでしょうか? 「え、ええと……それは、大変言い難いのですが……死ねって意味です……」 「へ?」 「―――成実、華那から手ェ放せ」 成実様が意味を知ったとき、政宗様は既に成実様の背後におられました。それから数秒後、成実様の断末魔ともとれる声が、米沢城中に響き渡ったのでした……。 続 ← |