「……てなわけで、アンタは当分この城で居候することになった。Ok?」 あれから数日が経ったある日の朝のこと。体力も戻り足の怪我も少しは回復した私は、どういうわけか政宗様に呼ばれた。とある一室にて、目の前の上座には政宗様、その横には片倉様が控えている。政宗様はともかく片倉様は身体中から殺気に近いものを放っていて、私は無意識のうちに片倉様を見るのを避けていた。 この数日の間も、片倉様の態度はお世辞にも良いとは言い難かった。私の存在を快く思っていないせいか、必要最低限のことしか話してくださらない。話してくださるときもなんだか拒むような感じがして、私も片倉様とはあまり話さなくなった。 加えていつも帯刀していた。きっと、私がおかしな素振りを見せれば、いつでも斬り殺せるようにしていたんだと思う。嫌われているどころの話じゃないだろう。片倉様の中での私は、政宗様に害を及ぼすかもしれない「敵」なのだ。 私の世話をしてくれていた女中さん達もどこか冷たい。ただ淡々と着替えを手伝ってくれたり料理を運んでくれたり、それだけだった。それどころか私と目を合わせてさえくれなかった。部屋を出ることは禁じられていたので、私にはこの部屋に訪れてくれる人との繋がりしかないというのに。 記憶がない私には、耐えられそうにもない。世界で本当に独りぼっちになった気分だ。目を覚ます前の記憶がないから、私に友達や家族がいたのか、それすらも思い出せないのだ。すなわち私は人との繋がりがあったか、自信が持てずにいる。自分という存在すら今の私は不安定で、この世界に私が存在していたという明確な証拠が欲しかった。 なんだっていい。私のことを知っているという人が、物が欲しかった。本当の意味での独りとは、なんと恐ろしいものか。でもそんな中でも頑張れたのは、きっと政宗様のおかげだろう。政宗様は政務の合間を縫っては、部屋を訪れて話をしてくださった。記憶を失くした私には全てが新鮮で、どれも興味を惹く内容ばかり。政宗様と話をしていて、私の記憶喪失のことについて少しだけわかったことがある。 それは私が忘れているものが何か、ということ。話をしているうちに、私が忘れているものは自分のことだけということがわかった。何故なら政宗様が仰った言葉の意味は理解できたからだ。つまり、一般常識的なことは覚えていたということになる。生きていく上では大丈夫だろう。 私が忘れてしまったことは自分が誰なのか、それだった。名前以外一切思い出せない。自分がどこで生まれ育ち何をしていたか、家族は誰か友達は誰か。そういった自分に関する記憶だけが抜け落ちてしまっていたのだ。 今は怪我の療養という名目でこの城にいさせてもらっているけど、足の怪我が治ったら私はどうなるんだろう。きっと追い出されるに決まっている。でも記憶がない私には行く当てなんてないし、どこに行けばいいのかさえわからない。帰る場所すらわからないのだ。先が見えないことで襲い来る不安に押し潰されそうになってしまう。 そんなことを考えていた矢先のことだった。政宗様に呼び出され、いきなりこんなことを告げられたのだった。 「ええと……それは本気ですか?」 私は聞き間違いだと思い、目を丸くさせながらももう一度政宗様に確認する。すると政宗様はさっきと同じことを仰った。うん、やっぱり聞き間違いではなかったようだ。 「それよりも、何に対しての「てなわけで」なんですか? 前後の脈絡がなさすぎて理解できなかったのですが……」 「どーせ記憶がねぇんだし、怪我が治ったとしても行くアテなんかねぇんだろ?」 「そ、それは確かにそうなのですが……」 「だったらここにいればいい。城主がいろって言ってんだ。問題はねぇだろ」 どうやら私は、このままここでお世話になることになりそうです。こんなこと言える立場じゃないけど、い、いいのかな? そんなにアッサリ決めちゃって。チラリと片倉様を窺うと、凄い目で睨まれた。こ、怖すぎる! 「ただ小十郎が色々と煩くてな。条件その一、勝手に城の中をうろつかない。移動する場合は必ず誰か一人をつけること。条件その二、華那が所持していた刀はオレが預かる。一応は客人扱いだが、こればっかりは仕方ねぇだろ」 そう言って政宗様は私が所持していたという刀を見せてくれた。別にどう見たって普通の刀だ。これを私が持っていたというの? 記憶を失う以前の私は何をしていたんだろうか。刀を持っていただなんて、きっとろくなことをしていないはずである。 「しかし見させてもらったが、随分と珍しい刀だな。刃がsapphireで造られる刀なんて初めて見たぜ」 スッと抜刀すると、剣先を天井に向ける。自分の刀だというのに、私もおもわず目を見張った。政宗様の言うとおり、刃の部分が透き通るように青いのだ。刃の部分以外は普通の刀と変わらない。だが刃が宝石で造られている刀なんて、確かに聞いたことない。 この刀は一言で言うと「綺麗」だ。見る者の心を一瞬にして奪う刀。こんな刀で人を斬ることができるのだろうか。命だけでなく心まで奪う刀なんて……。 「こんなことを言うなんておかしいですが、私も信じられません。サファイアで作られた刀なんて聞いたことないし見たことないです……」 呆けた声で呟いた私を、政宗は大きく目を見開いて凝視する。横に控えていた片倉様でさえ少し動揺しているふうに見えた。え、何なんですかいきなり!? 「華那、お前オレの言う言葉の意味がわかるのか!?」 「え、言葉の意味って……?」 政宗様は本当に驚いているようで、一歩ほど前に乗り出した。どうしてそこまで驚いているのか私にはわからない。言葉の意味が理解わかるのか、なんて。同じ言葉を話しているのだから理解できて当然だというのに。きょとんとしている私に焦れたのか、政宗様は意味のわからないことを次々と仰った。 「Are you ready?」 「いきなりなんでしょうか? 準備はいいかなんて訊かれても、準備なんて何もできてませんよ? というか一体何の準備ですか」 「Do you feel hungry?」 「さっき朝餉を頂きましたので、今は減ってはおりませんが……? 第一そんなに食い意地は張っておりません!」 「What your name?」 「今更何を仰ります。私の名前なんて一番に訊かれたことではありませんか。それとももうボケが始まったのですか?」 一体なんなんだろう。準備はいいかだとかお腹減ってないかとか、最後は私の名前はなんと言うか、なんて。ふざけるのもいい加減にしてくださいな。しかし政宗様と片倉様は至って真剣なお顔をしていらっしゃった。政宗様はともかく片倉様までなんて、珍しいこともあることです。明日は雨を通り越して雪が降るかもしれません。もう春だけど。 「華那、アンタ異国語がわかるのか?」 「異国語? それは何ですか?」 「今オレが言った言葉だ」 今しがた政宗様が仰った言葉が異国語。でもそこで違和感を覚えた。政宗様は異国語って言うけど、でもそれって……。 「異国語って……英語のことですよね? 異国語なんて仰りますから、一瞬何かわかりませんでしたよ」 「英語……?」 今度は政宗様が怪訝そうな顔をする番だ。でも私には政宗様がどうして困惑するのかわからない。私はおかしいことなど何一つ言っていないつもりだったからだ。 「多少の英語ぐらいわからなくてどうするおつもりですか? そんなことでは今の世の中を生きるなんてこと不可能です。小さな子供だって話せちゃう時代ですよ?」 「なっ、童もだと……!?」 ……何か不味いことでも言ってしまったのでしょうか? 政宗様と片倉様はますます信じられないというように表情を強張らせていく。 「この奥州で異国語を話せるのはオレくらいのもんだぜ?」 「そんなはずないですよ! 英語の授業とかあったでしょう!?」 「なんだよその英語の授業っていうのは!?」 話がいまいち噛み合わない。お互い信じられないという表情を浮かべながら、私はある疑問にぶち当たった。自分で言っておいてあれだけど、英語の授業って何だっけ? 無意識に出てきた言葉だけにわからない。でも確かにあったと思う。英語の授業。授業って、私どこで習ったんだっけ? 「………華那、お前ほんとに何者なんだ?」 申し訳ありませんが政宗様。他ならぬ私が一番訊きたいです。 続 ← |