トリップ連載 | ナノ




城のあちこちから刀と刀がぶつかり合う音や人々の怒号が聞こえてくる。その中を私と文ちゃんは息を殺しながら、政宗様の部屋がある最上階に向かって走っていた。最初は渋っていた文ちゃんも私に引く気がないと悟ると、根負けしたように小さな溜息をついた。

文ちゃんが渋るのも無理はない。理由は二つ。私がこの部屋を出ることを許されていないことと、政宗様の許可なく城主である彼の部屋に入り、あまつさえ物を拝借しようとしているからだ。いくら私の物だからといっても、政宗様に預けた以上勝手に持ち出すことは許されない。ただでさえ政宗様に刀に触れるなと念を押されていた身なのだ。

「……その代わり、連帯責任でお願いいたしますね?」
「勿論!」

しかし今は緊急事態だ。本当なら成実様の言うとおり部屋で大人しくしておくのがベストなんだろうが、今は自分の胸の奥にある記憶の欠片を信じたい。どうして力があるのだとか冷静でいられるのだとか、わからないことは多いけど、今はそんなことを考えている場合ではない。この記憶の欠片が少しでも護ることの手助けになるのなら、私は精一杯振るうつもりだ。後がどうなろうとこの際どうだっていい。政宗様不在の今、この城はどんな手段を使ってでも護らなくては!

「この奥が政宗様のお部屋です。私は廊下を見張ります故、華那様は中へ」
「ありがとう」

初めて入る政宗様の部屋。まさかこんな状況で入ることになるとは夢にも思わなかった。部屋の前でゆっくりと深呼吸する。いないとわかっていても妙に緊張しているからだ。少し間を置き、私はゆっくりと襖を開ける。中は意外にも殺風景で、主不在のために真っ暗だ。暗闇に目を慣らしながら、部屋全体をゆっくりと見回す。南蛮から取り寄せたと見られる珍しい調度品の数々が嫌でも目に入り、棚には洋書らしきものがズラリと並べられている。

「………あれは?」

目が暗闇に慣れてきたころ、私は部屋の奥に置かれていた一本の細長い棒らしきものを発見した。引き寄せられるように近づくと、それが刀であることがわかった。手に取ると不思議なほどしっくりとくる。持っているだけで何故か安心できる。少しだけ鞘を抜くと、中から青く輝く刃が覗いた。この輝きは間違いなく私が持っていたという刀だろう。

「―――よし!」

立ち上がり部屋を後にしようとしたときだ。ふと目に付いたのは綺麗に折り畳まれている服。しかし私が着ているような着物ではない。シャツにスカート、スパッツに……ロングコート? それにブーツまである。どうしてこれがこんなところにあるのだろう。

そういえば政宗様が以前、私が奇妙な格好をして溺れていたと話してくれたときがあった。政宗様が言った奇妙な格好とは、もしかしてこのことかもしれない。となるとこれも私の持ち物ということになる。自分の服装を見下ろし、次に折り畳まれている服に目をやる。そうすること約数秒。外で待っているだろう文ちゃんに「もう少しだけ待ってて!」と声をかけ、私は着物の帯に手をかけた。

「グアァァアアア!」

聞くに堪えない断末魔とともに、忍は成実の刃によって絶命した。もう何人斬ったか覚えていない。成実は荒い息を整える暇なく、次の獲物を捜しに庭を駆けた。どこにこれだけの忍が潜んでいたのか疑ってしまうほど、敵の数は尋常ではなかった。倒しても倒しても次から次へと現れる。おまけに揃いも揃って強い。かなり場数を踏んだ手練とみて間違いない。

状況からみて敵は今川が放った忍だろう。今川にとって主戦力であろう忍達を大量に送り込んできているのは何故か。今川は今頃政宗達との戦準備をしているはずなのだ。大事な一戦を控えて主戦力になりうる戦忍を使うなど暴挙もいいところである。しかし成実も馬鹿ではない。政宗同様、頭の回転は速い。すぐさま今川の真意を察知し、ただちに防衛に当たっていた兵士達を総動員させて迎え撃っていた。

今川の真意―――政宗達主戦力を城から引き離し、その隙にこの米沢城を落城させる。いくら政宗とて城を奪われるということは、この奥州の地を取られると同義なのだ。奥州の地を取られるということは、実質的な敗北である。戦で常に気をつけなくてはいけないのが前ではなく後ろ。後ろの護りを少しでも怠れば、戦局はあっという間に逆転するのが世の常だ。

だから政宗は成実にこの城を託した。一緒に戦場を駆けているからこそ、政宗は成実の腕を信頼している。成実もそのことをわかっているからこそ、なんとしてでも護らねばならなかった。

「けどいくらなんでも……敵が多すぎだよな。今回はちょっと危ないかも」

そのとき成実の前方に、二人の忍が降り立った。一人は四方手裏剣を、もう一人は手甲鉤を構えている。手甲鉤を持つ男はともかく手裏剣を持っている男は厄介だ。手甲鉤は接近戦でないと効果を発揮しないため、間合いにさえ気をつけさえすればどうにでもなる。

が、手裏剣だとそうはいかない。この距離でもすでに男の間合いに成実は入ってしまっている。ギリッと奥歯を噛み締めながら、成実は柄を握る手に力を込める。一歩でも動けば負けると、彼の直感が告げた。相手が仕掛けるのを待たなくては……。

男が上段の構えで四方手裏剣を投げた。それを成実が刀で弾いた瞬間、二人の忍が同時に高く跳躍する。二人の忍は一瞬で数本の苦無を取り出し、鋭い刃の雨を成実に向かって降り注いだ。

「……チッ!」

成実は後ろに後退しながら、刀で全ての苦無を弾き落としていく。刀の向きを微妙に変えつつ、苦無を左右に散らしていった。しかし忍達にはその行動すらお見通しだったようで、空中で更に一回転すると、その威力を利用しての踵落としを成実の頭目掛けて繰り出す。苦無を弾くことで精一杯だった成実に避ける手段などなく、脳天に重い衝撃が走った。

「ぐあっ!?」

彼は根性でその場に踏ん張り、倒れる真似だけは避ける。しかし脳震盪を起こしたように頭がクラクラする。後ろへたたら踏みかけたところを、チャンスと言わんばかりに忍達が攻撃を仕掛けた。

「クソッ―――!」

グニャリと歪む視界の中、成実は確かに見た。青空を切り取ったように鮮明な蒼が、世界を斬り裂く瞬間を。

「え………?」

全ては一瞬だった。先ほどまで成実と戦っていた忍達は地面に倒れ、彼の目の前には蹲る小さな背中が見える。顔は窺えない。だが細い身体が女だと認識させた。夜風に揺られ、漆黒の髪と纏っている服の裾が音もなく靡く。格好は違えど、その後姿を見間違うはずがなかった。

「………華那姫?」

華那と呼ばれた少女はゆっくりと立ち上がると、慣れた手つきで刀を鞘に仕舞う。そして……首だけを動かしその表情を露にした。一見すると無表情だと思われるが、その瞳には揺ぎ無い信念が宿っている。凛々しい瞳から成実は目を逸らすことができなかった。

「やっぱ華那だよな……なんで……!?」

成実はハッと口を閉じる。月光を浴びた華那が、恐ろしいまでに綺麗だったからだ。今の彼女の姿は、彼が知っている華那とは全く異なるものだった。瞳は冷たく輝き、普段の優しい笑みは微塵も感じさせない。風で桜の花弁が舞い散り、華那の周りをハラハラと舞う。月光を背負い桜が舞い散る中静かに佇む華那の姿は、見る者全ての心を奪うほど美しかった。

「その刀……それにその服……」
「ごめんなさい……」

華那は着ていた着物を脱ぎ捨て、溺れたときに着ていたという服を纏っていた。政宗の部屋を出ようとした際これらを見つけ、着物よりも動きやすいと思い急いで着替えたのだと言う。どうして政宗の部屋に行ったのか、それは彼女の腰にあるものを見れば一目瞭然だ。

「刀を取りに行ったんだよな……戦う気なのか?」
「どうして戦えるのかは訊かないでください。私自身覚えていないから答えられないんです。でも身体が覚えているような気がするんです。いいえ、身体が……戦い方を知っているんです」

苦しそうに告げる華那に、成実は言葉を失った。彼女もまた苦しんでいるのだ。覚えていなくとも身体が戦い方を知っている。それは記憶を失う前、彼女は何かしらの理由で戦いに身を投じていたということだ。成実達と同じように、あんな華奢の手で他者の命を奪ったかもしれない。そのことを誰よりもわかているからこそ華那は苦しんでいる。そんな彼女を、彼女以上に罪人の自分が責められようか。

「―――いたぞ! あの男を殺せば我らの勝ちだ!」
「!?」

二人の周りを何十人もの忍が取り囲む。敵も成実を討ち取ればこの城は落城すると心得ていたのだろう。いくら猛者と言われている成実でも、この数全員を相手にして無事では済まない。ならばせめて華那だけでも護らなくてはと、成実はそっと決心した。彼女に何かあれば梵が煩いからね。

「………皆さん、どうか歯を食い縛ってください」
「なんだと?」
「華那!?」

自嘲気味に笑っていた成実と、二人を囲む忍達の視線が一斉に華那へと集中した。華那の冷たい眼差しが忍達を射抜く。

「油断してると―――死にますよ?」

華那は己の刀にそっと手をかける。弧を描くように鞘から刃を抜くと、月光に青く輝く青玉が照らされた。誰もが初めて見るその刀に目を奪われる。無論、成実も例外ではない。華那の瞳がゆっくりと閉じられると同時に、刀の輝きが不気味に増していく。まるで意思を持つかのように、華那の心と同調しているように見えるのは何故だろう。誰もが金縛りにあったように動くことができない。皆、刀の輝きに目を奪われてしまっている。華那は両手で柄を握ると、切先を頭上に浮かぶ月に掲げる。そして鋭く目を見開き、刀を地面に叩きつけるよう一気に振り下ろした。

「―――蒼龍翔雷暫!」

刀が地面に叩きつけられると、青い輝きが爆発したように辺りを包み込んでいく。散らばる青い光は再び一つに集まり、大きな蒼い龍へと姿を変えた。龍が大きな口を開き、目の前にいる敵全てを飲み込んでいく。

その異常な光景に、成実はおろか城内にいた者全員が目を奪われた。米沢城に現れた蒼い光の龍に、誰もが言葉を失い呆然としていた。

「……なんだあれは!?」

そして蒼い龍を見た者は、なにも城内の人間だけではない。城へと向かって全速力で馬を走らせていた政宗や小十郎の目にも、龍が夜空を駆ける姿が映し出されていたのだ。二人とも上空に現れた謎の龍に、しばしの間言葉を失う。夜空に身体をうねらせていた龍の影は、夜の闇に溶け込むように姿を消した。

「蒼い光を纏ったdragonだと……?」

二人の脳裏に過ぎったのは一ヶ月前の会話。―――蒼い龍を宿す刀を持つ、「蒼天」の存在だった。

続