トリップ連載 | ナノ




満月が不気味に城を照らしつける。辺りは異常な気配に包まれつつあった。その日の晩、城の警備で城内を巡回していた二人の兵士の姿が庭にあった。太陽が出ている刻は綺麗な庭園も、今はどこか不気味さを醸し出している。夜になると皆自室に篭るため、辺りに人の気配はない。いるとわかっていてもここには自分達しかいないように思えて、不気味さが増徴しているように感じられた。

「そういやこの辺って、噂の客人がいる部屋があったよな?」
「客人っつーか居候だろ? お前見たことあるか?」

二人の兵士が話している人物は他ならぬ華那のことである。彼女は知らないが、華那は城に仕える人間達の噂の的だったのだ。なにしろ政宗本人が城に居候させると決めた女なのだ。気にならないほうがおかしいだろう。部屋を出ることを許されていない身なので、その姿を見る者は極端に少ない。彼女の姿を見たのは政宗と小十郎、そして成実と華那専属の女中となった文くらいだった。

「遠くから一度だけな。なかなか可愛い女だったぞ」
「お前はいつもそればっかだな」
「成実様と話している姿を見たんだが……正直小十郎様がそこまで警戒するような女には見えなかったんだよなー……」

小十郎は華那を異常なまでに警戒している。しかしこの男には華那が危険人物に見えなかった。縁側で話している姿はどこにでもいる普通の女だった。無邪気に笑い、時折見せる儚い笑顔に目を奪われたあのときを、今でも鮮明に覚えている。フッと見せた今にも消えてしまいそうな笑みに、手にしていた箒をおもわず落としてしまったものだ。それから今日まで、あの笑顔が目に焼きついて離れないのである。勿論こんなことを言えばどうなるかわからないので、誰にも話したことなどなかったが。

「なんでそこまで警戒するのかわかんねーんだよな……」
「その女に心を奪われたか?」

と、一緒に巡回している男がからかうような目を向ける。

「しかしそれがもし演技だったら……恐ろしいな。人の心を惑わす鬼か?」
「彼女はそんなんじゃ……」

顔を見られるのが恥ずかしくて、男は前を向いたまま口を開く。しかし次の言葉が上手く出てこない。―――あんな綺麗な鬼、見たことねぇ。

「見かけによらずお前は女に甘いか……」

そこで言葉は途切れた。不自然な途切れ方に、男は怪訝そうに横に目をやる。しかしそこに一緒に巡回していた男の姿はない。キョロキョロと辺りを見回すが、男の姿はどこにもなかった。

「おい、イタズラはやめろって……」

何気なく視線を落とすと、捜していた男がうつ伏せになって倒れていた。松明を放り投げ、倒れている男の横にしゃがみこみ声をかける。しかし男は返事をしない。視線を動かすと、男の頭部に苦無が刺さっていた。

「ッ敵襲だ! 賊が入り込ん……」

大声を出し、城中にこのことを伝えようとしたが、敵のほうが一枚上手だった。男の背後に音もなく降り立った黒い影が、彼の首筋を苦無で突き刺したのだ。彼はゆっくりと前のめりに倒れ、ヒュウヒュウと浅く荒い息を繰り返す。もう起き上がることも声を上げることもできない。影がサッと姿を消すと同時、彼の意識は闇に飲み込まれた。

「…………!?」

浅いまどろみの波にのまれそうになっていたときだった。なんだか急に胸騒ぎがして、私はハッと外に目をやった。

「華那様?」

文ちゃんが怪訝そうな眼差しを向ける。私は外に目を固定したまま、「なんだか嫌な感じがして……」と言葉を濁した。私自身それがなんなのかわかっていなかったからだ。文ちゃんは「政宗様なら大丈夫ですよ」とにっこりと笑う。政宗様のことは心配だが、今感じたこれはそれとは違うような気がする。上手く説明できないけど、未だに私の心臓はバクバクと大きく鳴り続けている。上手く息ができない。なんだこの息苦しさは。

「ねぇ、いま外で声が聞こえなかった?」
「いいえ、特に何も……。動物か何かではありませんか?」

動物や虫の鳴き声ならいいのだが……。ゆっくりとした手つきで窓を開ける。夜風にあたって頭を冷やそうとしたためだ。しかしこれが先ほど感じた嫌な予感が正しかったと確信させることになってしまった。

「……………!」
「どうかされましたか!?」

血の気が引いていくのがわかる。身体が小さく震え、文ちゃんが慌ててこちらに駆け寄ってきた。私の目は外に向けられたまま、瞬きをすることすら忘れてしまっている。

「……文ちゃん、今すぐ成実様を呼んできて」
「え!?」

夜風に乗って運ばれてくるこの臭い……。何故か私にはこの臭いの正体がわかった。というより嗅ぎ慣れているというほうが正しいのかもしれない。この鼻につく濃厚な鉄の臭いは……血だ。それもここまで香るということは、夥しい量の血が流れていることになる。そして夥しい量の血が流れるということは、何が起こったのか大体の察しがつく。

「誰かが……殺された」
「………!?」

この一言で文ちゃんは椅子を蹴る勢いで部屋を後にした。きっと成実様の部屋に向かったのだろう。一人部屋に残った私は、自分の頭がやけに落ち着いていることに驚きを隠せずにいた。人が殺されたのかもしれないのに、どうして私はこうまで冷静にいられるのか。殺されたと呟いたときも、取り乱すことなく他人事のように考えていた自分がいた。

それに……血の臭いだとすぐさまわかったことも気味が悪い。普通は文ちゃんのように取り乱すだろうが、私は……。そう、「慣れて」いるのだ。こんなことには慣れている、と思ってしまうのだ。

「どうして……慣れているの。人が死んだかもしれないのよ!?」

人の死に慣れている。これが何を示すのか。そんなことを考える自分が、堪らないほど恐ろしかった。城内が慌しい喧騒に包まれるのがわかる。ドタドタと人が走る足音が聞こえてきた。何人かの男の人が「敵襲だ!」と怒鳴り声を張り上げている。となると敵もまだこの城のどこかにいるのだろうか?

「華那様、ご無事ですか!?」
「文ちゃん! 私は大丈夫だけど……」
「部屋から一歩も出ないでくださいね。私が命に代えてでもお守りいたします!」

文ちゃんは懐から短刀のようなものを取り出した。こんなものをいつも持っていたのかと、私はおもわずびっくりしてしまった。見かけによらずなんと危ないものを持っていたのか。文ちゃんは私の前に立ち、左右を注意深く窺っている。いつどこから敵が現れるかわからないからだ。私も辺りを見回すが、突如天井から凄まじい何かを感じ取り、ハッと目を見開いた。

「……文ちゃん、上!」
「え!?」

文ちゃんが上を向くと同時に、私は咄嗟に文ちゃんごと横へ押し倒す。直後天井から数本の刃が降り注ぎ、畳にグサリと突き刺さっていた。これは……苦無!?
私はすぐさま起き上がり、文ちゃんを後ろにやって天上を睨みつける。

「ほう……まさか女如きに避けられるとはな。お前、何者だ?」

シュッと音もなく、天井から一つの影が降り立った。忍装束を纏い、顔は布で覆われていてわからない。声からして男だろう。目以外は隠されている顔は、とても冷たく底なしの闇そのものだ。

「まぁいい。お前がなんであれ、城内の人間は皆殺しにするまでだ」
「そ……そんなことさせるものですか!」

男は一瞬で間合いを詰め、私の懐に入り込む。後ろでは文ちゃんの甲高い悲鳴。男は手にしていた忍刀で私の心臓を突こうとしていたのだ。あまりの速さに私は咄嗟に動くことができず、殺されると目を閉じかけたときだった。頭が、真っ白になった。自分が自分じゃなくなるような感覚を、確かに感じた

「な!?」

男が信じられないといった声を上げる。それもそのはずで先ほどまで目の前にいた華那の姿が見当たらないのである。踏み込んだ足をすぐさま引っ込め、突きの構えのまま踏みとどまる。男はハッと上を見ると、自分の丁度真上を猫のように円を描きながら跳躍している華那と目が合った。

彼女は怪しく笑うと、男の背後に降り立つ。一瞬で背後に入り込んだ華那は、がら空きの背中に掌底を繰り出した。男の背中が大きく波打つほどの衝撃が繰り出される。男が前にたたら踏んだところを、二度に渡る跳び膝蹴りで追撃をかけた。男は口から血を吐きながら吹っ飛び、壁に勢いよく激突すると微動だにすることはなかった。

そんな華那の行動を呆然と見上げていた文は、男に目をやりながらゆっくりと起き上がる。今の華那の動きは武人でも、ましてや忍のものでもない。自分達とは全く別物の動きだった。着物の乱れを正す華那を見ながら、文はそんなことを思っていた。

「文ちゃん、お願いがあるのだけれど」
「は、はい!?」

突然声をかけられ、文は大きく肩を震わせた。なんだろう、今の華那様はいつもの華那様じゃないような……。

「……政宗様の部屋に案内してほしいの」
「え? だ、駄目ですよそんなこと。政宗様の許可なしで立ち入ることなんてもってのほかですし、何より華那様を部屋から出すなと成実様に言い付かっております!」
「この部屋から出るなって言われているけれど、でも今はそれどころじゃない。急がないと手遅れになるわ」
「それでもです!」

襖の前で両腕を精一杯広げて通せんぼをする文を、華那はただじっと見つめた。

「私自身もよくわからないの。でもどうしても政宗様の部屋に行かなくちゃいけない。政宗様の部屋にあるだろう私の刀を取り戻さないといけないような気がするの……!」
「刀……?」

自分が持っていたというあの青玉で造られた刀。あの刀の力が必要だと、失ったはずの華那の記憶が告げているのだ。

「行き場のない私を助けてくれたのは他ならぬ政宗様だわ。だから私は何か役に立ちたいと思う。いま何するべきか頭で考えるよりも身体が、失ったはずの記憶が教えてくれるの。だからお願い。私にこの城を護るだけの力が本当にあるのなら、私は………護りたいと思う」

自分自身の奥底にある記憶と心に突き動かされ、華那の瞳に一切の迷いはなかった。

アルノハ、揺ギ無イ決意ノミ。

続