トリップ連載 | ナノ




白い満月が夜を照らす。満月の下では、黒い影が眼下に広がる森を見据えていた。落ち着かない。ここ数日ずっとソワソワしている自分がいた。文ちゃんに何度「落ち着け」と言われただろうか。その中でも今日は特に酷い。頭の中はただ一つのことで占められていて、他の事を考える余裕など皆無だったからだ。考えないようにしようとしても、そう思う時点で考えていることにすら気づかない。

無理もない、今日は政宗様達のご出陣なのである。成実様の計らいで、特別に私も政宗様達を見送るときに立ち会わせてもらえることになっていた。成実様が言うには「そのほうが梵も嬉しいでしょ?」とのことだ。私が、ではなく政宗様がという部分に若干の疑問が浮かぶ。が、今はお見送りができることに感謝しよう。

「………すごい」

目の前には甲冑を纏った兵士さん達と、物資を積んだ沢山の馬達。加えて私のようにご出陣なさる彼らを見送る女中さんや、城の警備に当たっている兵士さん達。一体この城のどこにこれほど沢山の人間がいたのだろうか。私が見たものなどほんの一部にすぎないと改めて思い知らされた。私は目を凝らして辺りを注意深く窺う。私が捜しているのはただ一人。どこにいても絶対に見つけられる、そんな自信まで生まれてしまうほどの人。

「………政宗様」

やっぱり貴方様は、これほど沢山の人がいる中でも目立っているのですね。青い甲冑を纏った背中を見つけ、私は顔を綻ばせる。横にいた成実様も政宗様の姿を見つけたようで、「梵!」と明るい声で名を呼んだ。政宗様も私達に気づいたようで、こちらを向くなりゆっくりとした足取りでやってくる。兜を被っているためにお顔ははっきりと窺えない。が、政宗様の姿を正面から見て、私の中に一つの疑問が生まれた。

こういうとき、人は妙に冷静になるのですね。おかしいと思いつつも、目の前の光景を冷静に受け止めている自分がいるのだ。しかしおかしいと思う自分がいるのも事実である。私は目をゴシゴシと擦り、もう一度政宗様の姿のある部分に目を凝らした。

横では成実様が不思議そうに私を見ているけれど、どうしても政宗様の一点に目が集中してしまうのだ。見間違いじゃないよね。どう見ても政宗様の腰には六本の刀が差してある。どうして六本も差してあるのだろう。戦場で六本の刀を使うなんて聞いたことないと思うのだけど。そもそもどうやって六本も使うのだろう?

「政宗様。ええと、腰にある六本の刀は……!?」

目をパチパチとさせている私を他所に、政宗様はさも当たり前だろと言わんばかりの表情を浮かべる。唯一成実様だけが「そりゃ誰だって不思議に思うわな」としたり顔を浮かべていた。政宗様にはわからなかったようで、腰にさしてある刀の一本をなぞるようにそっと手を添える。

「別に普通だろ?」
「ぼーんー。刀を六本差してある時点で普通って言わないと思うよ?」

成実様は呆れたような声で政宗様の言葉を返す。私はというと成実様の言葉にうんうんと力強く頷いていた。しかし政宗様は全然気にしていない様子で「フン」と鼻で笑う。

「華那姫は初めて見るから知らないだろうケド、あれが梵の戦い方なんだよ。さすがに六本の刀で戦う六爪流は、梵以外の人間にはできっこないだろうな。誰も六本の刀を振り回すなんて芸当できないっしょ?」
「振り回す言うな!」
「え!? 一本一本使うのではないのですか!?」

てっきり一本一本使うのだと思っていたが、二人の会話を聞いているとそうではないらしい。振り回すということは、六本の刀を同時に使う必要があるからだ。私も刀を持っていた身だから少しくらいわかる。六本の刀を持つということがどれほど無謀なことなのか、をだ。

見かけによらず刀は重い。ただ持つのではなくそれを振る動作、突進力をつけての突き。全ての動作に刀の重さが邪魔をし、軽々とできないはずなのだ。人が努力してできる範囲は、せいぜい二刀流までだと思っていた。第一腕は二本しかないのに、どうやって六本の刀を一緒に握るというのだろう。

「それはね、こうやって指と指の間に挟みこむようにして……」
「か、刀を……握力だけで!?」

成実様が見よう見真似で六爪流の構えを見せてくれた。しかしそれは私の想像を軽く飛び越えるものだった。指と指の間で挟み込むって……いくら握力が強いからって、どう考えても無理じゃないか。成実様の真似をして私も拳を握ってみるが、これでどうやって刀を、それも六本も持ち上げるんだろう。

「いい加減にしやがれ成実! それよりもだ、華那!」
「は、はい!」

突然鋭い声で名前を呼ばれ、反射的に背筋が伸びる。ピンと直立したまま微動だにしない私を見て、政宗様は呆れたような、でもどこか優しい眼差しを向けた。

「ちゃんといい子で留守番してろよ?」
「私は童ですか!?」

頭をポンポンと叩かれ、子ども扱いされているようで私は恥ずかしくなった。真っ赤になっているであろう私を見て、政宗様は無邪気な笑みを浮かべる。

「ああもう〜……! とてもじゃないですが戦に行く光景には見えませんよ」

本当に、今から戦に行くなんて信じられない。戦前にしてはあまりにも和やかで、いつもの日常が目の前にあるからかもしれない。政宗様はいつもと全然変わらなくて、私をからかっては反応を見て笑う。政宗様……貴方はいま笑っているのに、これから人を殺しに行くのですか?

「絶対に……帰ってきてくださいね。それで……あの、これを……」

そう言いつつ私は懐から小さな折鶴を差し出した。恥ずかしくて政宗様の顔を見ることができない。私は顔を真っ赤にさせながら俯いた。

「文ちゃんに作り方を教わって……お守り代わりに持っていってくださいませんか?」

不安だった私に「じゃあ何か、お守りをお渡しになったらいかがですか?」と、文ちゃんがアドバイスしてくれたのだ。折鶴なんて初めて折ったから形はちょっと歪で、見た目はお世辞にも良いとは言いがたいものだ。どうせならもっと練習して、綺麗に折れたものを差し上げたかったな。けどいまの私にはこれが精一杯だったのだ。

政宗様の反応がなくて不安になった私は、チラリと彼の顔を盗み見る。政宗様は嬉しそうに頬を綻ばせ、壊れ物でも扱うように折鶴を受け取ってくれた。……その顔は反則じゃないでしょうか? と思ってもそれを口に出すことはできないけれど。う、また顔が熱くなったような気がする。

「Thank you めちゃくちゃ効き目がありそうだな」
「あ、いいな〜梵。俺も華那姫のお守り欲しい〜。ねぇ、それ頂戴?」
「誰がやるか! つーか触るな!」

政宗様の大きな手にスッポリと収まった折鶴を、成実様が横から奪おうと飛び掛る。政宗様がサッとよけると、成実様も諦めていないようで更に追い討ちをかけた。そんなじゃれ合いのような攻防戦を見て、私はクスクスと笑い出す。いいな、こういう感じ。こんな時間がずっと続けばいいのに……。

―――だから。

「早く帰ってきてくださいね、政宗様」

こんな光景がずっと続くように、必ず無事に帰ってきてください。

「Yes」

どんどん遠ざかっていく凛々しい背中に、私はありったけの願いを託した。

その日の夜。野営地にて束の間の休息をとっていた伊達軍一行。そんな中政宗だけは野営地から少し離れた場所で、一人木々の間から覗く満月を見上げていた。敵地で単独行動するなと小十郎に言われているが、ここはまだ伊達領の範囲だ。森の中での単独行動は普通に危ないが、政宗からすればどうってことない。

事の発端は今川が伊達領に侵攻しようとしているという情報を入手したことだった。その話が事実かどうか確かめるため、成実に調査を命じたのは今から約一ヶ月前。噂は真実だったということで、政宗達は先手を取って今川領に攻め入ろうとしている。彼の性格を考えるとこの判断は予想できたもので、小十郎や成実は彼の判断に素直に従った。

同時に彼の根底にある部分も。伊達領で迎え撃てばそこに住む民にも少なからず被害が及ぶ。それを避けるには伊達領以外の場所で戦う必要性があった。かといって今川領で戦っても何も変わりはしない。被害者が伊達から今川に変わっただけだ。

そこで自分達が進軍しているという情報を露営させた上で、政宗はわざとこうして今川領に攻め入ろうとしていたのだ。そうすれば今川も出てくるほかない。つまり、逆に今川を燻りだそうとしているのである。

しかし政宗には腑に落ちないことがあった。敵は小心者と有名なあの今川である。保身に長けたあの男が、どうして他国に攻め入ろうという考えを持ったのか。口だけは達者だが、いざ目の前に強者が現れたら逃げ腰になるような男である。とてもではないが政宗と正面から戦おうとは思えないのだ。

……なんか引っかかるんだよな。政宗の鋭い眼差しがよりいっそう細められる。まるで白い輝きを放つ満月を睨みつけるかのようだ。そして……その白い満月に、一瞬だが黒い影が横切った。無意識のうちに政宗は口角を上げる。ニヤリと獣が舌なめずりするかの如く、獲物を見つけた獣の笑みを浮かべていた。

やっぱり裏がありやがったか。しかしこうでなくては面白くない。Pinchは楽しんでこそ華だ。左右から突き刺さる鋭い気配に、政宗は心の奥底から高揚感に似たものを感じとる。やはり自分は根っからの武人らしい。戦う瞬間がなによりも一番楽しいのだ。敵と命のやりとりをする瞬間、刃と刃がぶつかり合い互いの命を散らそうとする瞬間。そのとき、彼はどうしようもないほど楽しいのである。

「隠れてないで出てきたらどうだ? さっきから隠しきれてねぇ殺気が身体中に突き刺さってんだよ」

六本ある刀の一本に手をかけ、音もなく静かに抜刀する。

「今なら小十郎もいねぇ、完全にオレ一人だ。殺るなら絶好のchanceだろ?」

風もないのに木々がざわめき始める。ガサガサと木々が揺れる音の中、政宗は耳を澄まし意識を集中させた。木々の揺れる音、梟の鳴き声、遠くでは山犬の遠吠え。色々な音が政宗の耳に届く。が、これらの音が一瞬だけ全く聞こえなくなった。政宗はカッと目を見開き、右足で一歩ほど前へと踏み込む。

青い稲妻を纏った刀から繰り出された強烈な突き。それは政宗の目の前にいた「敵」の心の臓を綺麗に貫通していた。敵は既に息絶えており、目を見開いたまま絶命している。政宗が刀を後ろへ引き抜くと、敵は反動で大きく仰け反りながら倒れこんだ。ヒュッと刀を横へ小さく振り、刀にこびりついた血を振り落とす。

「まだいるんだろ、なァ!?」

今度は刀を大きく横へとなぎ払い、右上空から現れた敵の攻撃を避ける。攻撃を仕掛けることが敵側には合図なのか、今まで隠れていたであろう敵達が次々と木々の上から姿を現した。政宗は目だけを動かし辺りをざっと見回す。敵の数はおよそ十人いるかいないかといったところだ。上空から音もなく現れたことから、敵は今川の忍だろう。

「Ha! ちょっとは持ち堪えて、オレを楽しませてくれよな……?」

政宗の刀が、淡く、青く、怪しく光った―――。

***

「ったく……つまらねぇな」

刀を鞘に納めながら、政宗はやれやれといったふうに溜息をついた。彼の足元には人間だったものが沢山転がっている。彼らはさきほどまで今川家に忍として使えていた者達だった。過去形なのは既に事切れていたからである。皆、この一人の男の手によって命を散らしたのだ。

「しかし……あのお歯黒野郎が考えそうなことだぜ」

今川に進軍中の伊達軍が野営中のところを、忍に襲わせ壊滅させる。保守的な今川が考えそうな安易な手段だ。今川の敗因は奥州の若き竜の力を甘く見すぎていたことだろう。

「不意打ちなら勝てるとでも思ってンのか?」

冷ややかな瞳で足元に転がる忍達を見る。そんなとき、遠くのほうで自分の名前らしき言葉を叫ぶ人間の声が聞こえた。近づいてくるその声ははっきりと自分の名前を呼んでいる。その主が誰かわかり、政宗は困ったように苦笑した。さて、この状況をどう言ってごまかすか。

「政宗様ッ!」
「落ち着け小十郎。そんなに息を切らしてどうした? ああ、こいつらのことか? おそらく今川の忍だろ。不意打ちをつけば勝てるとでも思ってんのか? お前も教われただろ? 血の臭いがするぜ」
「ええ、政宗様ほど数は多くありませんでしたが。ご無事で何よりです……が、今川の狙いはそこではありませんぞ!」
「Hum……小十郎、何を掴んだ?」
「今川の真の狙いは政宗様ではありません、米沢城です! 今川は我々を城の外へとおびき寄せ、無防備となった米沢城を一気に落城させるつもりです!」
「……なんだと!?」

政宗の顔色が一変し、余裕が消えた。彼が思うのはただ一つのことのみ。城には自分の帰りを待つ彼女がいるのだ。お守りだとこの折鶴をくれた彼女が。本当は怖いくせに心配かけまいといじらしく気丈に振舞おうとした彼女―――華那がいるのだ。

「野郎どもに伝えろ! 今すぐ城へ引き返すぞ!」

―――オレが戻るまで無事でいろよ、華那! ただその一心で、政宗は満月に照らされる道を漆黒の馬とともに駆け抜ける。

続