あた婚! | ナノ

夫婦なんだから一緒に住んでいて当然だろ?
偶然出会ったオネエは妻の父、つまり俺の義父でした。

冗談じゃない。いずれきちんと挨拶をしなくてはいけないと考えていたが、父親がオネエという展開は然しもの政宗ですら予想できないことだった。更には輝宗の同級生というのだから、今日ほど世間の狭さを思い知らされた日はない。

説明の前に服を着させろ言って一旦自室に戻り、部屋着に着替えて戻ってきた政宗をまっすぐに見据えている馨の鼻息は荒い。よほど頭にきているのか、仁王立ちだ。そんな馨を遠い目で見ていた政宗は、改めて普通の意味を華那に問うた。

「華那……オレに普通っつー言葉の定義をもう一度教えてくれ」
「普通は普通でしょ?」

しれっと答えるも、華那の目も遠い。少なくとも華那にとっての父親の基準は馨だ。他の父親がどんなふうなのか知らないので、華那にとって馨が普通の父親である。

「……もっとも、女装までしているなんて、あたしは聞いてなかったけど」

華那が実家暮らしをしていた頃の馨は、口調はオネエでも服装は男性のものだった。いまみたいにスカートは穿いていない。精々化粧をする程度で、ここまで本格的に極めてはいなかったはず。久しぶりに会った父親が女装していたことに、華那は少なからず動揺していた。額から薄らと冷や汗が流れ落ちる。

「お前のお袋さんは何も言わねえのか?」
「出会った頃からこうだったんだって。母もこれを面白がっている節があるから、特に気にしてないわよ」

夫がついに女装に目覚め、それが嫌なら娘に連絡の一つくらい寄こすだろう。連絡すら寄こさないということは、母にとって大したことではないということである。むしろ喜んで馨のファッションコーディネートをしている可能性すらあると、母の性格を熟知している娘は考えていた。

「せめて一言連絡がほしかった……」

華那は憎々しそうに唇を歪め、拳をぎゅっと握りしめた。別に父親が女装しようが何をしようが、どれもこれも今更なのでどうでもいい。父親の好きにしたらいいと思っているので、別段女装に反対というつもりはない(実際似合っているのでこれはこれでありだろう)。だが事前に知っておかないと、いくらなんでも動揺くらいはする。何事も予備知識は重要だ。

「馨ちゃん、いつからそんな格好を……?」
「いつからだったかしら。華那が大学を卒業して、一人暮らしを始めた頃だったと思うけど……もっ、もしかして、嫌だった!?」

甲高い声で「やだ、どうしましょう!?」と、慌てふためく父親の姿に、華那は長い溜息をついた。大学を卒業してからということは、もう四年近くこの格好をしているという計算になる。娘が親の手を離れ独立したことを契機に、父も今まで以上に好き勝手に生きると決めたのだろうか。

「おい、結構長いじゃねえか。昨日今日の話じゃねえぞ。本当に知らなかったのか、お前?」
「ちょっと! うちの子にお前なんて、馴れ馴れしく呼ばないでちょうだい!」

政宗を指差し、馨はキッと鋭い目で睨みつける。政宗は不覚にも、ビクッと大きく肩が揺れた。

「あー……一人暮らしを始めてから、ろくに実家に帰ってなかったものでして」

実家が凄く遠いというわけではない。華那が以前暮らしていたアパートから、電車を乗り継いで数時間で着く距離だ。帰ろうと思えばいつでも帰ることができる。それなのに帰ろうとしなかったのは、親戚にお見合いをセッティングしたがる人がいるからだ。両親もこの歳になってろくに浮いた話がない娘を心配してか、相手がいなければ見合いを勧めてくる始末。それが嫌で自然と実家から足が遠のいていた。その結果がこれとは、誰が想像したであろうか。

「ってアタシのことよりアンタ達のことよ! こんな時間にただいまって…なによ、二人は付き合ってるの? まさかと思うけど、同棲してたりするワケっ?」

こちらの様子を窺う疑惑の眼差しを向けられ、華那は反射的に顔を反らした。政宗は堂々としたもので、馨の視線を真っ向から受け止めている。

付き合ってませんし同棲だってしていません。結婚してるだけです。

馨が聞いたら卒倒しそうだ。なんと言って言い訳するべきか、華那はまごまごと口ごもる。

「付き合ってもねえし同棲もしてねえよ。夫婦なんだから一緒に住んでいて当然だろ?」

そう言った政宗の態度は、男らしい、実に堂々としたものだった。隣で動揺していた華那は、二人からの視線から逃れるように俯いた。恥ずかしかった。何を動揺する必要があったのか。政宗と結婚したことに後悔はない。ならば堂々と彼が自分の夫だと紹介すべきではなかったのか。この期に及んで言い訳を考えていた自分が浅ましい。

「そうなの馨ちゃん! あたし結婚したの! 連絡しなかったのはそりゃあ悪かったけど、それには事情が……って、か、馨ちゃん?」

顔を上げた華那は馨の異変に気がついた。馨から一切の表情が消えている。完全燃焼したボクサーのように、真っ白になっていた。

「夫婦……結婚……ふうふ……けっこん……」

目が虚ろで、焦点が定まっていない。口から吐かれる言葉は夫婦と結婚の二言のみ。まるで呪詛のように何度も何度もこの二言のみを呟いていた。

「おい、お前の父親shockで壊れたんじゃねえか?」

華那の耳元で政宗が囁く。彼女も「うーん」と唸りながら、首を傾けるだけである。

「馨ちゃん……やっぱり驚いた?」
「……いきなり結婚なんて聞いて、驚かない親がいると思って?」
「デスヨネ……ごめんなさい」

馨の恨みがましい眼差しに、華那は素直に謝った。

「やっぱり駄目? 政宗との結婚には、反対?」
「駄目ってアナタね……」

すると馨は華那の傍に歩み寄ると、彼女の両頬を挟みこむようにパチンと叩いた。結構強めに叩いたのか華那は痛そうにしている。

「こういう場合は、親に反対されてもこの人と一緒にいるって言うくらいの気位を見せるものでしょうが!」
「馨ちゃん……」
「まったく、結婚したならもっと早くに言いなさいよネ。お祝いの言葉言い損ねちゃったじゃないの」

呆れたと言わんばかりの馨だが、その表情はとても優しいものだった。華那は少し泣きそうになっているし、政宗も意外そうに父娘のやりとりを見ている。

「遅くなっちゃったケド、おめでとう華那」
「馨ちゃん……ありがとう……」
「どんな男でも、アナタが好きになった人なら受け入れる覚悟をね、こんなアタシでも前からちゃんとしてたのよ」

我慢できなくなったのだろう。華那の瞳から涙がボロボロと溢れてきた。馨はポケットからハンカチを取り出すと、「折角のメイクが台無しでしょうが」と言いながら涙を拭ってやっている。

「でもほんと安心したわー。正直言うと、一生独身のままだったらどうしようって思っていたのよ」

馨とて華那が実家に帰ってきたがらない理由には気がついていた。かといって彼氏ができたとか結婚したい人がいるとか、浮いた話は聞こえてこない。もしかして父親がこんなのだから男性が苦手なのかも、なんてことすら考えたこともある。そもそも子供の頃から浮いた話がほとんどない娘だ。やはり親としては一生このままだったらどうしようと心配してしまう。そんな娘がちゃんと結婚できたのだ。父親としては少し寂しいが、喜ぶべきことなのだろう。

「結婚には反対していないケド、アンタのことは認めてないからその辺勘違いするんじゃないわよ政宗!」

そう言って馨は政宗を睨みつけた。結婚を認めてもらえたので、てっきり政宗のことも認めてくれているものだと思っていただけに、華那は意外そうに目を丸くさせている。政宗も少し不満気だ。

「居酒屋ではウゼェくらい絡んできたのは誰だっつーの……」
「馨ちゃん。結婚認めてくれたんでしょ。なんで政宗は駄目なのよ?」
「だってこの男、アタシの大っ嫌いな男にそっくりなんだもの」

結婚には賛成だが夫としての政宗は認めないということなんだろう。どうしてそんなにややこしいことになるのかわからない華那だったが、馨のこの一言で政宗は忘れかけていた重要なことを思い出した。

「アタシさっき嘘をついたわ。どんな男でも受け入れるって言っていたけど、あの男の息子だけは無理。ぜーったい無理! アタシのプライドを賭けて引き離すわヨ! ま、ないと思うけどネ」

そう言って笑う馨は政宗の父、輝宗が大嫌いで、政宗が輝宗の息子だということを知らないのだ。

「そういえば馨ちゃん昔っから言ってたっけ。この世界でただ一人、大嫌いな人がいるって。馨ちゃんがそこまで嫌う人って興味があるんだけど」

それは俺の父親だ! そう叫びたい衝動を必死になって堪えた。政宗の口から渇いた笑い声が漏れる。馨がないと思うと言ったことが現実に起きている場合、どうすればいいのだろうか。

何も知らない華那はとりあえず認めてもらえたことに安堵しているし、政宗は馨の言葉の意味を理解しているのでこの先もう一波乱あると確信せざるを得ない。結局のところ問題は何一つ解決していないどころか、最悪といっていいだろう。

「馨ちゃんがそこまで嫌う人って誰? 政宗に似ているのよね?」
「ええ、顔だけはほんとよく似ているわ。居酒屋では平気だったけど、娘の嫁とわかったらムカムカしてくるのよねー。政宗に罪はないとわかっていても、こればっかりはどうしようもないわね。あの男に似ているアンタがいけないのよ」
「んなわけねえだろ! つーか酔いが醒めたならもう帰れよ! 明日も仕事だろうが。いま何時だと思ってんだ!」

いまならまだ終電に間に合う。輝宗のことを華那に説明するためにも、馨を家に帰すなら今がチャンスだ。

「そうだよ馨ちゃん。また今度ちゃんと政宗を紹介するから、今日のところは一旦うちに帰って? 政宗の言うとおり、明日仕事だし」

夜も遅い。例えば今日が土曜日なら最悪このまま泊ってもらっても構わないのだが、残念ながら今日は日曜日で、いつ終わるかわからないこの状況では日付だって超えてしまうことすらありえる。

「……それもそうね。なにより夜更かしは美容の大敵だもの。今日は一旦帰るけど、今度ちゃんと説明すること、いいわね?」

もう少し粘られるかもしれないと思っていたが、馨は思いのほかあっさりと引き下がった。仕事という言葉が効いたのだろう。

馨を送り出してから、二人は政宗の自室にて、ひとまず嵐が去ったと、長い溜息をついた。今日はとにかく色々なことが起こりすぎて酷く疲れた。あまりに疲れたのか、華那はベッドにダイブし、政宗はベッドの端に腰かけた。まさか今日一日で互いの父親と顔を合わせることになるなんて、今朝の時点では想像していなかったことである。政宗と華那の視線が混じり合う。言葉にしなくとも、互いの表情がお疲れ様と語りかけてくる。

「どうしたの政宗? 馨ちゃんの言ってたこと気にしてるの? 大丈夫。馨ちゃんもあんなこと言ってたけど、政宗こと理解してくれるよ。結婚自体は賛成してくれてるじゃない」

疲れてはいるものの、どこか呑気な華那とは対照的に、政宗の表情はこの数時間で痩せこけているふうに見えた。

「……そうじゃねえんだよ。馨が大嫌いって言ってた男ってな、俺の親父のことなんだよ」
「へ?」
「居酒屋で言ってたんだよ。どうやら親父と同級生らしく、昔色々あって今でも親父のこと大嫌いなんだと。そしてお前の親父さんは俺が輝宗の息子だって気がついてねえ」
「それってつまり……」

馨は二人の結婚は一応祝福してくれている。政宗のことは、時間をかけて理解してもらえればいい。華那はそう思っていた。結婚を否定していないことで、少なくとも希望はあると信じていたのに。だが馨の嫌いな男が政宗の父親、輝宗ということは。

「あたし達の結婚には……」
「断固反対、ってことだ」
「ひぃぃいいい!?」

父親同士が同級生という事実にも十分驚いたが、それ以前に馨がこの世でただ一人結婚に反対と言っていた男が他ならぬ政宗であったことのほうが衝撃だった。星の数ほどいる男達の中で、馨にとってこの世でただ一人の男を引き当てた自分は、果たして運が良いのか悪いのやら。前者であってほしいと、華那は切実に神様に願った。

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