あた婚! | ナノ

逆にいま殺されるって思ったんですけど!? なにこれまさかのDV!?

華那は夫の言葉に耳を疑った。政宗が華那を自分の妻だと、あれほど秘密にするように言っていたことを自分からバラしたのである。会社はどうしたのとか、どうしてあたしがここにいると知っているかなど、聞きたいことは山ほどあるのに、政宗が言い放ったその言葉に全ての疑問符が持っていかれてしまった。

ちらりと政宗の表情を窺うと、彼は笑っていた。相手を挑発するような好戦的な笑みでもなく、強者が見せる威圧的な笑みでもない。よくわからないが、彼は心から楽しんで笑っているのだ。いまの政宗は、誰の目から見ても上機嫌だとわかる。

「な、何かいいことでもありましたでしょうか?」

ここまで上機嫌な政宗なんて、華那は見たことがない。はっきり言って不気味だった。特に何かをされたわけでもないのに、華那の口調は自然と丁寧なものになっていた。

「オレの機嫌が良いとそんなにおかしいか?」
「おかしいとは思ってないけど、人を馬鹿にする笑い方のほうが見慣れているというか……言ってて悲しくなったけど」

日頃から何かにつけて政宗に小馬鹿にされていたせいもあり、なにかよくないことを企んでいると思わされる、少し毒を含んだ笑みのほうが見慣れている華那にとっては、毒気のない笑顔でいられることのほうが恐ろしかった。

「Hum……お前が普段オレをどんなふうに見ているのかわかった」

言うなり政宗は華那の肩を抱き寄せていた腕に力を込めた。

「いだだだだだっ!? もげるっ! あたしの大事な何かがもげるー!?」

もはや抱き寄せているというより、首を絞めていると呼ぶほうがしっくりくる。首を絞めながら頬を寄せるという奇妙な光景に、良直達は悪寒が止まらない。華那の口から苦痛を訴える声が漏れる中、成実は心の中で合掌した。彼だって政宗の笑顔を不気味に思っていた一人だった。しかし付き合いが長い分、迂闊に口にするとどういう目に遭うか熟知しているため黙っていただけである。余計なことは喋るなと生存本能が警告し、素直にそれに従ったのみ。

どういう経緯があったのかは知らないが、政宗は華那が自分の下にいると知り、単身ここへ乗り込んできたに違いない。政宗がここへ現れることは計算外だった。華那にここまで固執しているとは思ってもいなかったためだ。わざわざここへ来るなんて、まるで助けるために駆け付けたみたいではないか。

「ったく、折角このオレがわざわざ来てやったっつーのに、随分な態度じゃねえか」

ある程度やり終えて満足したのか、政宗は華那の首を絞めていた腕の力を緩めた。

「逆にいま殺されるって思ったんですけど!? なにこれまさかのDV!?」

自分を誘拐した敵には美味しいお茶とスコーンでもてなされ、助けに来たはずの味方に暴力を奮われる。そんな話があってたまるか。

「DVなんて品のねえモンと一緒にするんじゃねえよ。これはオレの愛情表現だ」
「こんな痛い愛情表現がこの世にあるか!」
「そこら中にあるじゃねえか。なんでこの世にSMなんて言葉があると思ってる?」

そこを突かれると華那は反論できなくなってしまう。何か言わなくては負ける。そう思っていても、反論できるだけの材料を華那は持ち合わせていない。何か言いたいのに言葉が見つからず、悔しそうに唇を噛み締める華那を、政宗は心底楽しそうに眺めている。

「そろそろ話を元に戻してもいいかなー、お二人さん?」

パン、パンと成実が手を叩く。政宗が来るまでの張りつめていた緊張感は、この部屋には既にない。政宗が現れたことで華那の気が緩んだか、それともいつもの調子に戻ったのか。放っておくといつまで経っても話が進まないので、成実は二人の会話を無理やり打ち切らせた。

「俺も訊きたいことはいくつかあるんだよね。それ聞くまで帰してやんないよ?」
「ふざけるな。こっちは仕事放り出して来てやったんだ。そっちの事情なんて知ったことかよ。悪ィが今日はこのままお暇させてもらうぜ。テメェの処分は後日だ、成実」

言葉の最後に込められた政宗の怒りを悟った華那は、ぞくっと背筋が凍るのを確かに感じた。先ほどまで自分と話していたときとはまるで違う、純粋な敵意を剥き出しにしたような声である。ここへ現れてからの政宗は笑顔だったりふざけて首を絞める真似ごとをしたりと、比較的余裕ある態度だったので油断していた。怒っている。めちゃくちゃ怒っている。これまでの行動と、今日無理やり連れてきた成実に対してなのか、あっさりと誘拐された華那に対してなのか、どちらなのかはわからない。政宗の性格からして、案外両方という可能性も捨てきれない。

「政宗、やっぱりこのまま帰るのはよくないよ。だってあたしまだ、肝心なことをちゃんと伝えてない」

華那は肩を抱く政宗の腕をそっと離すと、一歩前に進んで成実をまっすぐに見つめた。挑むような目を、成実は逸らすことなく受け止める。大丈夫、後ろには政宗がいる。彼がいるんだから、何も恐れることはない。

「成実さんが政宗を大事に想う気持ちはわかりました。でもあたしはいままでの女性とは違う。あたしは政宗が政宗だから好きになったんです。だからあたしは、政宗の傍から離れるつもりはありません」

政宗の周りには常に、彼の名誉と財産を目当てとした女性達がいたと成実は言っていた。その言葉から想像できるのは、誰も政宗という男の中身に興味がないということ。華那は自分もそのうちの一人と思われていたことがとても悔しかった。自分を監視していた間に、そう思われる何かがあったのかもしれないが、かつてない屈辱に、顔が赤くなる。こんな辱めを受けては黙っていられず、自分は違うとはっきり言ってやりたかった。

しかし同時に思ったことがある。成実はどうしてこんな真似をしたのか、その理由がどうしても知りたくなった。それは彼の言葉を聞いているうちに、なんとなくわかってきた。成実の言葉の隅々から感じられたのは、どれだけ政宗を大切に想っているかという気持ちだった。それを踏まえると全て画点がいく。なんだかんだ言って政宗が大事なのだ。大事だからこそ、幸せな恋愛をしてほしい。そのために華那が政宗に相応しいかどうか、見極めようとしたのではないだろうか。直接話してみてわかった。色々あったとはいえ、この人はきっと善い人だ。怖い思いもしたが、どういうわけか嫌いとは思えない。

(あの政宗の従兄弟なのよね。だったら素直じゃないところが似ていても、おかしな話じゃないわ)
「離れるつもりはない、ときたか。いいねえ、男冥利に尽きるってか?」
(……そうだ、後ろに張本人がいたんだった)

政宗がいない先ほどまでとは違う恥ずかしさが華那を襲う。本人がいないからこそ言える言葉もあるわけで、それを聞かれたとなるとものすごく恥ずかしい。穴があったら入りたい。更に政宗が「ま、オレも離すつもりはねえけどな」とさらりと言うものだから、もう恥ずかしさで死にそうだ。

「……別に政宗が大事だからっていう理由じゃないよ。元々俺は、政宗の親父さんに見合いを断り続ける理由を調べてほしいって頼まれてたんだ。政宗の身辺調査をした結果あんたの存在を知って、行動を監視しただけだよ。政宗がいままで付き合ってきた女と違うタイプだったから、ちょっと面白半分で直接話してみたくなっちゃってさ、こうして無理やり連れてきちゃったわけだけど」

そっぽ向いて口を尖らせる成実の様子を見て、やっぱり素直じゃないなと、華那は内心で苦笑した。だが笑ってもいられない。どうやら政宗の下にはまだお見合い話が転がってきているらしい。表向きには独身のままなので、当然といえば当然だ。

政宗が見合いを断わり続ける理由は明白だが、その理由は華那が言うべきではないだろう。成実は華那の口から答えを聞きたがっていない。彼は政宗の口から答えを聞きたがっている。華那が政宗を振り返ると、彼もまた成実の求めているものを理解しているようだ。政宗は華那の隣に並ぶと、彼女の肩の上にそっと手を添える。

「オレがなんで断り続けるか教えてやるよ。それはこいつ――華那と結婚してるからだ」

既婚者が見合いなんてありえねえだろ? と軽口をたたく政宗だが、良直達は口を大きく開けたまま固まってしまっているし、成実も流石に信じられないのか若干引いている。

「いつ!? いつ結婚したんだよ!?」
「いつって言われてもなァ。もうすぐ一年ってところか」

もうそんなに経つのかと、感慨深いのか、政宗にしては珍しく懐かしむような声だった。

「一年って……じゃあ前に俺と飲んだときもう結婚してたってことか!?」

一年前、成実が政宗と居酒屋で飲んだときである。そのときの政宗は結婚している素振りを見せなかった。それどころか未だ女性と真剣に向き合っていないと感じたほどだ。昔と変わらず、来る者拒まず、去る者追わず。ろくな付き合いをしていないはずではなかったのか。

「お前と飲んだときはまだ結婚してなかったぜ? そんとき話してた見合いから逃げ出したその後に結婚したんだ」
「わけわかんねーよ! 見合いから逃げ出してなんで結婚してんだよ!? いやそれよりも、いつから付き合ってたんだ!?」
「付き合ってたことなんてねえよ。なにせ会ったその日に結婚しちまったんだからな」
「会ったその日ィ!? なにそれ。出会った瞬間一目惚れ!?」

一目惚れならどれだけよかったことか。

「違ェよ。気がついたら結婚してたんだ」
「ますますわからん!」
「あーそれはーその……」

華那は右手を挙げた。このままでは埒があかない。しかたないが、自分が説明するしかないだろう。政宗と結婚して幸せだ。後悔はない。しかし政宗と何故結婚したのか、その経緯を説明することはまだ恥ずかしい。結果的に幸せだとしても、この瞬間は全く慣れない。本当なら話したくないのだが、政宗と成実の会話が噛み合わない以上、こうなったら華那の口から説明するしかない。一体いつになったら笑い話として話せる日がくるのだろう。少なくともそれはいまでないことだけは確かなようである。

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