あた婚! | ナノ

……折角の七夕なんだし、どうせなら晴れてほしいじゃない

七夕。織姫と彦星が一年に一度だけ逢うことを許された日。地上では短冊に願い事を書いて笹に吊るしたり、夜空に浮かぶ天の川を見上げて大切な人を思いだしたり、様々な想いを抱き誰もが空を見上げる素敵な日。そんな素敵な日にも関わらず、日本列島は梅雨の真っただ中であるが故、なかなか天の川をその目で捉えることができないことでも有名だ。

不運なことに何年か連続で七夕が雨だったことがあった。母親にその訳を訊ねたら、やっと逢えた織姫と彦星が誰にも邪魔されたくないから、私達から二人の姿が見えないように雨を降らしているのよ、なんて子供だましの答えが返ってきたことは、大人になった今でもはっきりと覚えている。子供だった華那はそんな母の嘘にまんまと騙されて、二人が無事に逢えているのならよかったと安心さえした。勿論この嘘は、七夕を楽しみにしていた華那を、がっかりさせないための嘘だとわかっている。親が子を思う、温かい嘘。真実を知ったときも母を咎める気さえ起こらなかった。

連日雨が降り続ける梅雨の季節に星祭りをする本当の理由を知ったのは、華那が中学生になった頃だった。雨が降り続ける季節に星祭りをするなんて、どんな素敵な理由が隠れているんだろう。その理由を自分で想像して胸が躍った。滅多に晴れの日がない季節だからこそ、逢えたその年は奇跡であり、みんなの願い事が叶う、とか。

だが現実はそう上手くいかないものである。理由はあまりにも当たり前すぎて面白くなかった。むしろこちらのほうにがっかりした。答えはなんてことない、明治時代に起きた改暦、太陰太陽暦から太陽暦へ。早い話が旧暦か新暦の違いである。七夕の七月七日は旧暦の日付であり、新暦に直すとこれより約一ヶ月後、八月上旬にあたる。一人で勝手にロマンチックな想像をしていただけに、冷めた現実は予想以上のダメージを華那に与える結果となってしまったというわけである。

そんなことがあったわけだが、華那が七夕らしい七夕をしたのは小学生の頃までで、いつしか自然と笹飾りを作らなくなったし、短冊に願い事すら書かなくなった。精々街中でやっている七夕イベントを横目で眺める程度である。願い事を書いた短冊を握りしめてはしゃぐ子供の様子を見るのは好きだが、だからといって自分から参加したいと思うようなものでもない。いい年をした大人が子供に混じって恥ずかしい。だから今年も、例年通り何事もなく終わるものだと思っていた。

「……なんなのよ、これは!?」

――会社のロビーに、大きな笹さえなければ。

華那が会社に出勤すると、ロビーに見慣れない大きな笹があった。所々に色鮮やかな長方形の紙が吊るされている。どう見ても願い事が書かれた短冊だ。七夕だからといってロビーに笹を飾るなんてことは、少なくとも華那が入社してから一度もなかった。別に悪い気はしない。ただ何故? という疑問が尽きないだけだ。スーパーなどの人が集まる施設ならわかる。だがここは会社。基本社員以外の人間はここにいない。デザートローズという名前の会社の本社があるビル、である。いるのは当然大人だ。ということは、いい年をした大人達がせっせと短冊に願い事を書いて吊るしたということになる。その証拠に笹の横には机が置かれており、そこには短冊と数本のカラーペンが用意されていた。ここで書いて吊るせということなのだろう。見たところ自由参加のようで、書いても書かなくてもどちらでもよさそうだ。

どうしてこんなことをしているのかはわからないが、笹がある理由は容易に想像がつく。この会社に去年までなく、今年にあるもの、伊達政宗という男だ。政宗がここに笹を設置して、社員達に短冊を書かせたに決まっている。一緒に暮らし始めてわかったことだが、あの男は何かしら祭のような、派手なことを好む傾向がある。こうして笹を置くだけに留まっているのなら、まだましなほうかもしれない。政宗ならここに屋台を設置して、一帯を小さな祭会場にしてしまいそうだ。それくらい、あの男は派手なことが好きで、なにより自分が楽しめるためならなんだってする。普通なら無理だと思ってしまうようなことでも、あいつにはそれを可能にする財力と権力があるのだ。金持ちの道楽と言われそうなことだが、不思議とそうは思わない。ああ、またかと多少呆れるだけで、政宗が作りだしたこの状況を結局自分達も楽しんでいる。政宗の場合自分だけが楽しいだけでは終わらないため、どうしても憎めない。

「こんなところで突っ立って何やってんだァ、音城至?」
「長曾我部。なに、あんたも短冊に願い事?」

華那は元親の手に握られている短冊を見るなり苦笑した。外見に似合わず、元親も短冊に願い事を書いていたとは。華那が苦笑する理由を察したのか、元親は目を逸らすと、少し照れた表情で鼻のあたりをポリポリと掻いた。似合わないことをしていると自覚している様子だ。

「でも残念ね、今年もやっぱりいつもどおり」

華那は外へ視線を移した。外は朝から雨が降り続いており、天気予報では今日一日雨と言っていた。今年も天の川を見ることはできない可能性が非常に高い。

「しゃあねえよな。こればっかりはどうしようもねえ」
「そうね……」

それでももしかしたら夜には雨があがって、澄んだ綺麗な夜空が見られるかもしれない。華那はもう一度短冊が吊るされた笹を見上げると、よし、と小さく呟くと、鞄から街頭で配っていたティッシュをいくつか取り出した。

***

政宗は退社する前に、ロビーにある大きな笹を見上げ、満足気な笑みをうかべていた。これを設置したときは味気ないものだったが、夜には色鮮やかな短冊が沢山吊るされていた。社員には特に何も言わず、笹の傍に短冊とペンを用意し、あとは各自好きにしろと言わんばかりに放置していたのだが、これは予想以上の数になった。別にこのイベント自体には、特に意味はない。政宗お得意の思いつきだ。笹は実家の庭から適当に拝借したもの、ペンは会社に元々ある。ちゃんと用意したのはこの短冊くらいのもので、これといった手間はあまりかからなかった。

政宗はロビーに誰もいないことをいいことに、笹に吊るされた短冊に書かれた願い事を目で追っていく。切実な願い、現金な願い、明らかにネタに走ったとしか思えない願いなど、まさに千差万別。不思議なもので、神社の絵馬もそうだが、他人の願い事は見ていて楽しい。自然と口元が綻んでしまう。決して相手を馬鹿にするような気持ちではない。ただどんな想いでこの願いを書いたのか、想像するだけで見ているこっちまで温かい気持ちになり、微笑ましい気持ちになってしまうのだ。
そんな中、一つだけ異質な物体が政宗の目に飛び込んできた。カラフルな短冊の中に紛れた唯一真っ白なそれは、政宗の注意を惹くには十分な効力がある。どう見てもこれは。

「……てるてる坊主」

ティッシュで作られたてるてる坊主は、愛らしい顔にも関わらず重心がずれているせいで、少し斜めに傾いた状態で吊るされている。ちょっとだけシュールな光景だった。笹飾りにてるてる坊主とは、ありそうでなかった組み合わせに政宗はフッと笑った。不覚にも可愛らしいとさえ思えてしまう。子供ならまだしも、これをやったのはうちの社員の誰かだ。吊るされている高さからして、おそらく女性だろう。

今年の七夕も生憎の雨で、天の川を見ることはできないと思われていた。しかし少し前に雨は止み、澄んだ空気のおかげで綺麗な夜空を見ることができていた。都会なので満天の星空というわけにはいかないが、雨が降り続けるより遥かにいい。もしかしたらこのてるてる坊主のおかげなのかもしれねえな。柄にもなくそんなことを思いながら、政宗は待機していた小十郎が運転する車に乗り込むため、会社を後にした。

***

「Hey 帰ったぜ」

リビングに華那の姿はなかった。いつもならリビングに彼女がいて、お気に入りのソファに座って政宗の帰りを待っていて、政宗がただいまを言うよりも先に彼女がおかえりと言ってくれる。誰かにおかえりと言ってもらえることがこんなに嬉しいことと思えたことは久しぶりだ。そもそもこうなる前まで家に帰っても誰もおらず、灯りすら点いていなかった。一人暮らしなのだから当然なのだが、部屋に灯りが点いているだけだというのに、胸にこみ上げてくる温かい何かが政宗の心を満たした。

玄関に靴はあったし、部屋の灯りは点いているので、家にいないというわけではないらしい。先に寝たのかとも思い寝室を覗いたが、そこにも彼女の姿はない。ふとバスルームに目を向けると、僅かな水音と灯りが漏れていることに気がついた。風呂に入ってるのか。政宗はネクタイを緩めながらリビングへ戻り、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。プルタブを開けると響く、プシュッという爽快な音が耳に心地よい。

「……なんだこりゃ?」

政宗は窓にぶら下がっている奇妙な物体に首を傾げた。それは本日二回目のてるてる坊主。政宗はてるてる坊主に近寄り、じっと見つめた。てるてる坊主の顔といい、なによりこの重心がずれて少し斜めに傾いて吊るされている姿。間違いようがない、先ほどロビーで見たてるてる坊主と瓜二つだ。ということはあのてるてる坊主を吊るしたのは華那ということになる。

「政宗、帰ってたんだ。おかえりなさい」
「ああ、ただいま」

すると政宗の背後から彼の帰宅に気づいた華那が声をかけてきた。風呂上がりで頬がほんのり赤くなっていて、首筋も少し汗ばんでいた。こうしていると少しは色っぽいんだけどな。どうも彼女は男の目というものをさして気にしていないのか、あまり色気というものが感じられない。ろくに恋愛経験をしていないようなので、当然といえば当然なのかもしれない。政宗がこんなことを思っているとは露とも知らない彼女は、タオルでガシガシと髪の毛を拭きながら、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。

「なあ、このてるてる坊主は華那が作ったのか?」
「え、ええ……それがどうかした?」

てるてる坊主を指差しながらそう訊ねると、急に華那の様子がおかしくなった。なんというか、政宗と目を合わせようとせず、そわそわしている。政宗が何か言いたげにじっと見つめていると、華那は「うっ……!」と意味不明な呻き声をあげ、ついには根負けしたのか明後日の方向を見たままボソボソと呟きだした。

「……折角の七夕なんだし、どうせなら晴れてほしいじゃない」

よほど恥ずかしいのか耳まで真っ赤だ。彼女が恥ずかしがっている理由は、なんとなく想像がついた。いい年をした大人が、とでも思っているのだろう。彼女が言わんとすることは政宗にだってわかる。子供の頃はできたことでも、大人になったらできないこともある。それは自尊心だったり虚栄心だったり、大人になるにつれ見に付けた様々なものが原因だ。

「……だな。どうせなら晴れてほしいよな」

だから政宗はそれ以上何も言わなかった。会社で見たてるてる坊主といい、時折彼女はこういう可愛いことをやってくれるから困る。

「どうせならベランダに出て一緒に飲まねえか?」

政宗は飲みかけの缶ビールをひょいと掲げて見せる。

「うん。夜空を見上げながら、ね」

ベランダに出ると、心地よい風に華那は目を細めた。火照った身体には丁度よい気持ちよさだ。二人が空を見上げると、そこには雲一つない綺麗な星空が広がっていた。しばらく無言で星空を眺めていた華那は、そういえばと前置きした上で、今朝からの疑問を政宗にぶつけてみることにした。政宗が帰ってきたら訊いてみようとずっと考えていたのだ。

「どうして急に七夕なんかやろうって思ったの?」
「特に意味はねえよ。ただ、マンネリ化した毎日にちょっとした潤いをってやつだ。昨日考えた」

政宗は飲みかけの缶ビールをベランダの手すりの部分に置くと、彼を見上げる華那を横目で見ながら、けろっとした様子で答えた。わかるようでいまいちわからない政宗の答えに、華那は訝しげに目を細める。言いたいことはなんとなくわかるような気がするのだが、それを説明しろと言われると上手くできないからもどかしい。

「毎日同じじゃつまらねえだろ? たまには違うことも取り入れねえとな」
「たしかに出社するなり、ロビーに笹があったからびっくりしたけどね」
「だが、息抜き程度にはなっただろ?」

政宗のことなので自分が七夕をやりたかったからと答えると思っていた。予想外の回答に、華那はむしろこちらのほうに驚きを隠せない。あの笹はもしかしなくても、会社で働く自分達のために設置したのだろうか。現に休憩中、何度か笹の様子を見に行ったのだが、そこには楽しそうに願い事を書く社員達が沢山いた。とてもではないが、ここが会社だと思えない明るさがここに存在していた。短冊に願い事を書いて吊るすだけ、それだけなのに妙に楽しい。政宗の言うとおり、いい息抜きになっていたようだ。

「じゃああの笹はどこから調達したの?」

昨日の今日であれだけ立派な笹をどこから調達したのか、素朴な疑問だった。それとも華那が知らないだけで、昨日の今日で簡単に用意できるものなのだろうか? 業者から買うとしても、いくらくらいするものだろう。思えば笹をよく目にするくせに、裏方のことは何も知らない。

「Ah あれは実家の庭にあるものを拝借しただけだ」
「……実家の庭に、笹?」

そう、この男は天下の伊達グループの社長、伊達輝宗の息子。近い将来社長は会長に就任、伊達グループの社長は政宗になる。日本屈指のお金持ちだ、家ではなく屋敷と表現したほうが正しいだろう。きっと大きなお屋敷に、広大な庭園が広がっているに違いない。

そういえば政宗の実家ってどんなところなんだろう。お義父さんとお養母さんはどんな人? 兄弟はいるの? 政宗があたしのことを何も知らないように、あたしも政宗のことを何も知らないんだと痛感した。一応ちゃんと夫婦になったんだし、実家にご挨拶とかしなくていいのかな。ってそういえば、あたしもまだ実家に結婚したこと報告してない! 

かっこ仮のときはいずれ離婚するからと思っていたからわざわざ言う必要もないと思って言わなかったけど、こうなった以上連絡しないと拙い気がする。そもそもこの結婚を華那の親が許すかどうか、凄く不安だ。相手が政宗だから結婚した経緯を説明しなければ玉の輿だって喜びそうな気がするが、どういう経緯で知り合って付き合って結婚したかと訊かれたら終わりだ。

「どうした? 面白い顔がますます面白い顔になってるぞ」
「それはどういう意味よ」
「寂しげな表情をしたと思ったら急に青くなるし、挙句の果てにはおろおろと慌てだす始末だろ。これを面白い顔と言わねえでなんて言うんだ?」
「言い方ってものがあるじゃない。例えば、感情表現が豊か、とか!」
「本当にものは良いようだな」

それよりも面白い顔がますます面白くなった、のほうが華那は引っかかっていた。

ますます面白くなったはこの際置いておくとしてだ、面白い顔ってなんだ面白い顔っていうのは。あたしの顔は普段から変だと言っているのかこの男は。本当に失礼極まりない。仮にも女性に向かって面白い顔という言葉はないと思う。大いに思う! 

華那は込み上げる怒りを冷ますように、残りのビールを一気に飲み干した。

「なんだ、怒ったのか?」
「怒ってません。ええ、怒ってませんとも」
「怒ってんじゃねえか」

そう言うと政宗はフッと笑みをうかべた。華那はむくれていたにも関わらず、政宗の笑顔を見た瞬間、胸の奥が締め付けられるような感覚を味わっていた。政宗の笑顔が人を馬鹿にするようなものではなくて、しょうがないなというような優しい笑顔だったからだ。

悔しいけど、やっぱりかっこいいのだ、あたしの旦那様は。

さすがにそろそろ政宗の端正なこの顔にも慣れてきたと思っていたが、それは華那の思い違いだったらしい。政宗の笑顔を見ただけで華那の胸はこんなにもドキドキしているのだから。華那は赤くなった顔を隠すように空を見上げた。ちらりと政宗の顔を横目で窺うと、彼も真っ直ぐに夜空を見上げていた。その口元には笑みがうかんでいる。

「今日は随分と珍しいこともあるもんだな」
「違う、少し酔っただけです」

酔った振りをして政宗の胸に寄りかかると、彼はそれ以上何も言わず、黙って華那の肩を自分のほうへと引き寄せた。酔ったということにしておけば、顔が赤い理由を突っ込まれなくてすむ。だが政宗のことだ、華那の嘘に気づいているに違いない。それを言えば華那がまた変な意地を張って離れるとわかっているので、政宗は何も言わず黙っているのだろう。

……あたしだって好きな人にくっつきたいときくらいあるんだから。

「今頃織姫と彦星は楽しくやってるのかなー……」
「一年に一度しか逢えないってわかっててなんにもしねえ奴らのことなんざ知るか」
「ちょっと、いきなり七夕を否定するような危ない発言しないでよ」
「惚れた相手に一年に一度しか逢えないなんて、俺なら気が狂いそうだ。本気で惚れた相手のためなら、どんな手段を使ってでも逢いに行けってんだよ」
「政宗ならそうする?」
「Of course!」

政宗らしいというかなんというか。あまりにも自信満々に言うものだから、聞いてるこっちまでそんな気がしてきた。好きな人に一年に一度しか逢えないなんて、華那だって堪えられない。

「きっとあたしも、政宗と同じなんだろうな。どんな手段を使ってでも逢いに行こうとするよ、きっとね」

そういう意味ではあたし達、案外お似合い夫婦なのかもしれないね。

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