あた婚! | ナノ

それでお礼言われちゃうと俺様立場ないんですけど?

華那は途方に暮れていた。この状況を打破する術がわからないのである。そもそもどうしてこうなったのかがわからない。最初はもっとシリアスだったと華那は思う。華那はとにかく気分が重かった。政宗と本当の意味で夫婦になれた喜びも束の間、佐助にどうやって説明するか頭を悩ませていたのだ。

あんなことがあった以上、佐助には本当のことを話すつもりでいた。言い訳をするつもりはない。政宗と結婚し夫婦ごっこをしていたこと、しかしいつの間にか華那が彼のことを本当に好きになり、政宗も華那を好きになり本当の夫婦のなれたこと。

怒られるか絶交されるかの覚悟をした上で、後日休みを利用して佐助と会って話をした。指定した場所は会社近くの公園だ。どうやら佐助は例のプロジェクトの関係で休日出勤のようで、彼の休憩時間に会うことになった。それが時間的に数十分前の話。その僅か数十分後、つまり今にあたるのだが……佐助は腹を抱えて爆笑していた。これこそ華那が途方に暮れている原因だった。

時間は数十分前に遡る。

「……この前のあれはどういうことだよ。伊達社長と華那が夫婦なんて嘘だろ?」
「嘘じゃないの。約半年前、あたしは政宗と結婚して伊達華那になった。ただ秘密裏の結婚だったからあたしは音城至華那と旧姓を名乗ってる」

会社の社長が社員に手を出したみたいで体裁が悪いでしょう? 華那の言葉を佐助は黙って聞いている。華那はさらに話を続けた。

「あたし達が結婚することになったのは、本当に偶然だったの。でもお互い好きとかそういう感情で結婚したんじゃなくて、なんていうか……ああもう、上手く言えないけど大人の事情っていうか、都合っていうか……。こんな結婚馬鹿げてるって、当初あたし達は離婚を考えた。でも政宗は会社のため、あたしはあたしの生活のため、どうしても離婚することができなかった。そんな結婚だから、当然のように愛はなかった。結婚する前もした後も、お互いのことを何一つ知らなかったし、知りたいとも思わなかったもの。ただ同じ家に暮らしている赤の他人、そんな感じだった」

酒に酔った勢いで結婚して、伊達グループの面子のためにはこんな馬鹿げた結婚でも離婚できなくて。お互い数年という期間を設けた上で、仕方なくこんな馬鹿みたいな嘘だらけの結婚生活を送ることになった。まさに気分は最近流行りのルームシェアだ。お互い協調性が皆無だったので、むしろルームシェアより性質が悪いだろう。

「でも一緒に住んでいるうちにね、自然と相手のことがわかってくるの」

政宗との会話を思い返してみても、決して相性が良いとは言い難い。それでも憎まれ口の中に隠れた政宗のさり気ない優しさを知ることができた。人柄を知ることができた。政宗がこの会社を本気で立て直そうと、寝る間も惜しんで働いていることを知ることができた。そのせいで体調を崩したのに、それでもまだ働こうとしている姿を知った。その姿を見て、華那の何かが突き動かされた。

「気がつけばあたし、政宗のことが好きになってた。でも会社のために結婚したような男が、あたしを好きになってくれるはずがない。そんなとき、佐助がホストをやっていたことを知っている人に出会ったの」

―――そして、わからなくなった。自分が本当に好きなのは政宗なのか、佐助なのか。

「ずっとわからなかった。でもふとしたことがきっかけでわかったの。あたしが今好きなのは政宗なんだって。でもそうとわかるまでに時間がかかりすぎた。それで政宗と色々あったんだけど……あの日、佐助と別れた後にね、政宗があたしのことを好きと言ってくれたの」
「……なんだよ、それ。そんな話を信じろって言うのか?」

佐助の言うことは尤もだ。佐助は華那の嘘のような話を、はいそうですかと受け入れられるほど人間を信用していない。例えそれが今でも好きな女性でも、だ。

「あたしが一番悪いってことは十分わかっているつもりよ。あたしの曖昧な態度が政宗と佐助を傷つけた。だから……ごめんなさい」

華那は佐助に頭を下げた。まさか頭を下げられるとは思っていなかったのか、佐助は頭を下げる華那をまじまじと見つめている。

「……ってなにやってんだ。顔上げろ! いいってもう!」
「佐助……」
「はっきり言って華那の話は信用できねえ。でも伊達社長のことを話してた華那の表情は信用できる……本気で惚れて、今は幸せなんだよな」

政宗のことを話す華那の表情は、昔佐助がよく目にしていた恋をしているときのそれだった。昔華那と付き合っていた佐助だからこそ、彼女は今政宗のことが好きで、本当に幸せなのだとわかってしまう。できればそんな顔をして話す相手が自分であればよかったという想いを抱くのは、きっと悪いことではないしむしろ当たり前のことなのだろう。胸の奥がちくりと痛むのも必然だ。

「で、伊達社長と偶然結婚したっていうけどさ、その偶然って一体何なのさ? 俺は知る権利があるよな?」

痛いところを突かれたと思った。できればその理由だけは教えたくなかった。だからあえてそのあたりの話は濁した。だがそれが拙かったらしい。佐助はその理由を教えろと迫ってきたのである。一歩も引かない様子に華那は白旗を上げた。

「え、えっと……笑わないでね? お酒に酔った勢いで、なんだけど」
「…………は?」
「だから、酔っ払った勢いで結婚したの! ホテルのバーで偶然政宗と会ってね、そのときあたしは既に酔っ払ってて。あ、政宗も酔っ払ってたんだけどね。酔っ払い同士意気投合して、どういうわけか結婚しちゃったの。抜かりのない性格をしている政宗のおかげで婚姻届も提出しちゃってて……。流石に酔っ払った勢いで結婚しましたなんて伊達グループの社長としては面子が保てないってことで、渋々あたしとの結婚を継続する羽目になったの!」

一気に捲し立ててやった。この話を人にするのは初めてだが、口にするとこんなに恥ずかしいことだったとは思わなかった。恥ずかしさのあまり佐助の顔を見ることができず、俯いてしまった。言っていて目茶苦茶恥ずかしい。穴があったら入りたい衝動にかられる。

自分の馬鹿さ加減に呆れるばかりだ。佐助はどんな反応をするだろうか。きっと馬鹿と言った上で、酒は飲んでも飲まれるなとそのままお説教コースになる可能性が高い。佐助の説教は長そうなので御免被りたい。自分でも馬鹿なことをしたとわかっているだけに、改めて誰かに怒られるとどうしようもないほど情けなくなって泣けてくる。いつまで経っても何も言わない佐助を怪訝に思い、華那はチラッと佐助の表情を窺った。

「………佐助? なんで笑ってるの?」
「いや……だって、なあ……」

佐助は必死に笑いを噛み殺している。だがやがて堪えきれなくなり、ついに腹を抱えて爆笑し始めた。これこそ華那が途方に暮れる原因だ。佐助がどうして笑っているのかわからないのである。

「どんな理由で結婚したと思ったら、よ、酔っ払った勢いって……なんだよそれ。だー、くそっ! 腹痛ェ!」

佐助がこれほど笑う姿を初めてみた。言い換えればあの佐助をここまで笑わすようなことを華那はしたことになる。そう考えると恥ずかしいを通り越して腹が立つ。今はとやかく言える立場ではないので、華那は込み上げる怒りを必死になって抑え込んだ。拳をギュッと握り、今すぐ佐助の笑いを封じようと殴りかからんとする自分を押さえるだけで精一杯だった。

「はあ、はあ……笑い疲れた……」
「そう。あたしは我慢し続けていい加減どうにかなりそうだったわ……」
「今……幸せなんだよな?」
「―――ええ」

今ならはっきりと自分が幸せだと言える。迷うことなくそう言い切った華那を見て、佐助は困ったような、それでいてどこかすっきりとした、複雑な笑顔をうかべた。

「しょうがないな。俺も人妻に手を出す気は元々ないし、いつまでも未練タラタラっていうのも性に合わないし? これじゃあどう見ても俺様がお邪魔虫みたいだから、ここは大人しく身を引いてあげるよ」
「……ありがとう佐助」
「それでお礼言われちゃうと俺様立場ないんですけど?」

未練がましくも寂しいという感情を抱いてしまうのは、当たり前のことなのかもしれない。きっとそれは互いにとって、二人で過ごした昔の思い出が楽しいものであった証拠だ。こんな形で終わってしまったものでも、二人で過ごした時間は確かに存在していた。過去の思い出として一生残るだろう。だから今、二人はこの感情に流されはしない。前に進むためにも、いつまでも思い出に振り回されるわけにはいかないから。だから二人は今ここで、思い出に決別する必要がある。

思い出は思い出のままに。今は辛くてもそうすれば、いつかの未来でそれは美しいだけのものになるはずだから。

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