あた婚! | ナノ

あんな中の下あたりの女のどこに惚れる要素があった?

ここ最近、原因不明の頭痛に悩まされ続けている政宗は、今日も仕事が終わるとその足で最近よく通っているバーで酒を煽るように飲んでいた。カウンター席に座る自分以外客の姿はなく、政宗はこれ幸いにとハイペースで飲み続けている。アルコール度数の高い酒をロックでばかり飲んでいたが、自他認める酒豪であるため、これくらいの量ではまだ飲んだ気にはなれない。

華那を無理やり抱いてからというもの、政宗は一度も彼女と顔を突き合わせないどころか、家にすら帰っていない有様だった。あのとき――彼女を抱いたあの夜、やめてくれと泣き叫びながら懇願する彼女を見ていると、自分の中の加虐心が酷くざわついたことを覚えている。普段の自分ならあんな無茶な真似をするはずがない。しかしあの夜だけは自分の中の何かを押さえつけることができなかった。どんどん壊れていく華那を見ているととても滑稽で、もっと壊してやろうと、どうせなら何も考えることができなくなるくらいまで壊れてしまえと思っていた自分がいた。

ただあんな状況でも、最初こそ悲鳴しかあげなかった華那の口から除々に喘ぎ声が漏れたとき、感じているのだとわかった途端どうしようもない嬉しさが込み上げていた。今までどんな女を抱いてきても決して得ることのなかった喜びを、自分はたしかに華那で感じていた自分がいたのである。あんなに酷く傷つけるような真似はするつもりはなかったし、したくなかった。あの夜の自分はどうかしていたとしか思えない。何が自分をああさせたのか、ずっと考え続けているが未だに答えは見つかっていない。答えが見つからない問題なんて初めてだ。考えても考えても答えがわからないのである。毎日同じことを考え過ぎて気持ち悪い。飲んだものをここでぶちまけてしまいたいくらいだ。

「―――お? そこにいるのはひょっとして社長様じゃねえか?」

首だけを動かし後ろを振り返ると、そこにいたのは政宗に負けず劣らずの高身長の男だった。堅苦しいのか首元のボタンをはずし、少し着崩した黒のスーツが男の白髪がやけに映える。昔スポーツでもやっていたのか、スーツでは隠しきれない体格の良い身体をしている。だがなにより、この男の左目を覆う眼帯が嫌でも視界に入り、それがこの男の他の印象を全て打ち消しているように思えた。そして自分と正反対の目に眼帯をしているこの男を、政宗は知っていた。

「長曾我部元親……つったよな」

一平社員である自分のことを覚えていると思っていなかったのか、元親は意外そうに右目を瞬かせる。

「仕事柄、人の顔を覚えるのは得意なんだよ」

元親のことも書類を見て知っている。だがそれよりも以前に政宗は元親と会っていたので、書類で見ただけよりもはっきりと覚えていた。たしか会社内部を見て回っていたときだったか。備品室から出てきたら元親と華那がそこにいた。華那の驚きと絶望と悔しさの混じった複雑な表情は見ていて面白かった。

「で、その社長様がこんなとこで一人で酒を飲んでる理由は?」
「その社長様っていうのはやめろ。政宗でいい」
「じゃあ政宗。一人で酒を飲んでる理由は何だよ?」
「別に」

そう言ってそっぽ向いた政宗を見て、何を思ったのか元親は彼の隣の席へと腰掛け、バーテンダーにいつものとだけ伝える。しばらくして出されたものは、これまた政宗に負けないくらい強い度数のお酒だった。まさか隣に座られると思ってなかった政宗は鬱陶しげに眉を顰める。元親はそんな政宗を軽く受け流し、出されたお酒を一気に煽った。

「この店はオレの馴染みの野郎の店でな。色々と顔が利くんだよ。ま、アンタがここの常連たァ知らなかったが」
「常連っつーほど通ってねえよ」

政宗がこの店に通いだしたのはつい最近のことである。たかが数日通っただけで常連と言われてしまえば世話がない。

「そう言うテメェこそ、一人で酒を飲みに来るなんてよっぽど暇なのか?」
「暇ってわけじゃねえが……最近仕事の帰りに飲みに行ってた奴が付き合い悪くてな。猿飛はともかく……問題は音城至のほうだ」

皮肉めいた態度だった政宗とは逆に、元親は酷く深刻そうな様子だ。彼は華那に問題があると言った。彼女に何かあったのだろうか?

「人の顔を覚えるのが得意なら知ってるよな? 備品室の前でオレと一緒にいた女。あれが音城至だ」

華那のことは元親に説明されるまでもなく知っている。政宗が知りたいのはそこじゃない。政宗は鋭く細められた左目で早く話せと言わんばかりに元親を睨みつける。

「実は音城至のやつがここ数日出社してねえんだ。何度ケータイに連絡しても出やしねえし、家の電話も繋がらねえ」
「なんだと……?」

あの日を最後に、華那は会社に出勤していない。ケータイにも出ないので連絡のつけようがない。こうなったら自宅に行って様子を見てこようかと、華那が所属している部署では話しているほどだった。当然この話は政宗の耳には届いていなかった。会社でもお互い気まずいだろうと思い、政宗は意図的に華那を避けていたのである。

「オレが音城至を最後に見たのは会社の帰り猿飛と三人で飲みに行ったときだ。その日までは特別様子が変だったってわけじゃねえだけに、ちょっと気になるんだよな。やっぱ猿飛と一緒にっつーのはまだ早かったか?」
「ちょっと待て、猿飛と一緒に三人で?」

三人で飲みに行くと華那からのメールで知っていた。だがそれは彼女が佐助と二人っきりで会うための口実だと政宗は今まで思っていた。少なくとも政宗が車の中から二人の姿を見たとき、元親の姿はそこになかったのだから。

「ああ、オレが音城至を誘ったんだよ。三人で飲みに行かねえかって」
「だがオレが見たときお前の姿はなかったぞ!? 通りには音城至と猿の姿しかなかったはずだ!」
「見たってお前一体どこから……まあいい。たしかに誘ったのはオレだが、一緒には行けなかったんだよ。仕事のことでわからないことがあるって残業してた後輩から電話があって、会社からそう遠い距離でもなかったから、電話で説明するより早いと思って急遽会社に戻ったんだ」
「だ、だがよ……あの二人、付き合ってんだろ? えらく仲が良いって聞くぜ?」

すると元親はケラケラと大声で笑い出した。

「そりゃねえよ、たしかに仲はいいけどな。あーと、あれだ。学生時代の知り合いとかで、でもあることが原因でケンカ別れしちまったんだけど、それが誤解だって最近になってわかってだな。昔みたいにまでとはいかなくても、ギクシャクしたままじゃ嫌だからってことで、オレが二人の仲を取り持つっつー意味も込めて飲み会に誘ったんだよ。ま、猿飛は音城至に惚れてるけどな」

本当のことを言うわけにはいかないという元親なりの配慮だろう。学生時代付き合ってましたとは言えないが、知り合い程度のレベルなら話しても許されるはずだ。尤も政宗は、二人が付き合っていたことを知っているわけだが。だがそれはここで言うべきではない。ヘタに口を挟めばどうして華那のことを知っているか、何故そのようなことを調べたのかと、逆にこちらが不利になることばかり訊かれる羽目になる。

「これはオレしか知らねえ話だが……猿飛のやつ、音城至は他に好きな男がいるんじゃねえかって話してたぜ。猿飛が音城至に告白したとき、そんな感じがしたってよ」

――わからないのよ。あたしは今でも佐助のことが好きなのか、そうじゃないのかが。
あのとき華那が佐助に言った言葉だ。華那の態度は何かに対して揺らぎ、迷っているように窺えた。この状況でそんなことを言うなんて、男のことで迷っているに違いない。他に好きな男がいて、佐助とその男とどちらが好きなのかわからなくなってしまったのだろう。昔の恋人との再会は、今自分は誰が好きなのか、それをわからなくさせるほどの衝撃がある。

「おいどうした? 顔が真っ青だぜ?」
「Don't worry……大丈夫だ」

そう言って政宗はグラスの中に残っていたお酒を一気に全部飲み干した。何かを忘れようと、考えないようにしようと見える辛い飲み方に元親は顔を顰めた。まさか目の前にいる男が全ての原因だとは、流石の元親も気づくことはないだろう。何も知らないからこそこうやって遠慮なく話されるわけだが、それが逆に政宗を追い詰めていく。

全ては政宗の誤解だった。全部彼女の言うとおりだった。それなのに自分は彼女の言葉に耳を貸そうとせず、無理やり自分のものにしたのだ。政宗自身自宅にも長い間帰っていないので、あれから彼女がどうしているのか政宗は全く知らなかった。知ろうとさえしなかったのだ。

華那が出社しない原因は十中八九自分にある。なにせ事が事だ。好きでもない男に無理やり抱かれた女の考えそうなことなどそうあるわけでもないというのに、政宗はそのことを完全に失念していた。政宗の脳裏に最悪の事態が過る。馬鹿な真似をしていなければよいのだが――。

「大丈夫だっつーわりには、随分と見てて痛々しい飲み方しやがるのな。何か悩み事でもあるのか? 悩みっつーもんは人に話すだけでも随分とラクになるもんだぜ。あと人に話すことで意外なところから答えも見つかるしな」

答えが見つかる。元親のこの言葉は今の政宗にはとてつもなく甘美な響きだった。話せば本当に見つかるというのか。誰かに話せば胸を押し潰すこの罪悪感も少しは軽くなるのか。この苦しみから解放されるのなら……政宗の固く閉ざした口がゆっくりと開かれる。

「……わかんねえんだよ。アイツが野郎と一緒にいるとこを見た日から、アイツのことを考えるだけで苛々する。散々酷ェことしてボロボロになるまで傷つけて、オレ自身の意思でやったことだって言うのに虚しさしか残らねえ。ただひたすら傷つけてしまいたい衝動に駆られるんだ。そんでその後、激しい自己嫌悪に見舞われる。ずっとこの繰り返しだ。考え過ぎて胸糞悪ィ」

政宗の話を元親は黙って聞いていた。話せと言っておいて何も言おうとしない元親に焦れた政宗は、おもわず横にいる彼を睨みつけた。だが元親はとてもマヌケな面をしていて、むしろなんでこんな簡単なことがわからないんだ? とでも言いたげな感じがした。

「……それ、ただの嫉妬だろ?」
「………Ha?」

嫉妬? いきなり何を言い出すんだこの馬鹿は。政宗も元親と同じくマヌケな表情をうかべた。二人してマヌケな表情をうかべている姿は酷く馬鹿らしい。

「お前はそのアイツとやらが野郎と一緒にいる姿を見て苛々したんだろ? どうせアイツって言うのも女のことだろうし、そりゃ惚れた女が自分以外の野郎と一緒にいる姿を見ちまったら嫉妬して当然じゃねえか。んでもってつい苛めたくなる気持ちっつーのも当然のことだ」

嫉妬。このオレが、華那と猿に嫉……妬? 嫉妬は好きという気持ちの裏返し。つまりオレは華那に惚れていた……? そんな馬鹿な。あんな中の下あたりの女のどこに惚れる要素があった? とにかく負けず嫌いで事あるごとにしょちゅう口喧嘩ばかりしていたあの華那だぞ? たしかに意外に女らしい部分や、時々可愛いと思えることがなかったわけではない……が。

たしかに政宗の悩みは元親の言葉で解決したかもしれない。だが新たな問題が政宗を襲ったこともまた、間違いなかった。

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