あた婚! | ナノ

なんだよ、いっちょまえにヤキモチか?

華那が政宗の分の食事を作るようになり、しばらく経ったある日のことだった。政宗のジャッジは相変わらず怖いが、料理上手な彼のジャッジはどれも参考になる的確なものばかりで、悔しい思いを抱きながらも大人しく彼の指摘を聞き入れるしかない。実際彼の言うとおりにしたら本当に美味しくなった。そこがまた悔しい。

次こそは政宗の舌を唸らすことができるものを作ってみせると、人一倍負けず嫌いの華那は人知れず決意を固めている。が、今日も今日とて政宗の舌を唸らす料理を作ることができなかった。見た目は決して悪くない。だが政宗曰くあと少し焼き時間が足りなかったらしい。そこを直せば美味しくなる……らしい。政宗のアドバイスをメモしながら、華那はまた明日こそはと思いを巡らせていた。最初の頃は腹立つあまり政宗のアドバイスを素直に聞き入れることができなかったが、最近は自主的にメモをとるようになっていた。もしかしたら政宗のアドバイスにいい加減慣れたのかもしれない。

「そういえば色々文句を言いながらも、いつも完食してるわよね」
「食べ物を粗末にするなって親に習わなかったのか?」
「そりゃあ習ったけど……」

政宗の性格なら不味いものは不味いで、そのまま片づけてしまいそうだからとは言えない。興味がないもの、嫌なものには一切手を出さないというイメージが華那の中でできあがってしまっている。それ故不味いと思ったものは食べないで残すのではないかと、折角作っても食べてもらえないのではないかいう不安があった。

実際のところは食べ物の好き嫌いは激しいくせに、出されたものはきちんと平らげている。自分が作った料理を完食してくれることは非常に嬉しい。ましてやそれが自分の好きな人なら尚更だ。政宗からすれば極々普通に食事をしているだけだろうが、華那にとってそれすら特別な意味を含む行為に変化する。

「こんな些細なことで顔がにやけちゃあ世話ないわ……」
「なに一人でブツブツ言ってんだ?」
「べ、別に! 明日こそ政宗にひと泡吹かせてやろうと考えているだけよ!」

自分の意思とは関係なく緩む頬をなんとか引き締め、少しだけ赤い頬を隠すように華那は声を荒げた。政宗はそんな華那の鬼気迫る迫力に若干押され気味になるが、何かを思いだしたのか少しマヌケな表情を見せた。

「そういや明日はメシいらねえから、オレの分は用意しなくていいぜ」
「え? なんでまた? 誰かと食事にでも行くの?」
「Ah……まあそんなもんだ」
「ふーん、わかった」

明日こそはと意気込んでいただけになんだか拍子抜けだ。しかし政宗には政宗の付き合いがある。食事にでも行くの? という問いかけの答えはまあそんなもの、である。政宗は食事に行くと断言していない。もしかしたら華那には言えない理由があるのか、根本的に説明する気がないのか。一体どこで誰と会うの? 本当は色々と聞きたいところだが、聞いたところでどうせ政宗は教えてくれないだろう。だがこれくらいなら訊いてもバチは当たらないはずだ。おそらく今の華那にとって一番大事なこと。

「………一応聞くけど、女の人じゃないよね?」
「ブッ!?」

政宗は丁度飲んでいた水を吹き出しそうになった。おまけに水が変なところに入ってかなり苦しい。まさか華那の口からそんな質問が飛び出してくるとは考えもしなかった。悪態の一つでもついてやろうかと思ったが、テーブルを挟んで政宗の正面に座っている彼女の目は至って真剣で、不思議とそんな気すら失せてしまった。しばらくしてようやく落ち着きを取り戻した政宗は、困り果てたように髪の毛を掻きむしった。

食事相手が女なのか気にするようになるとは、華那も少しは自分の妻であるという自覚があるということなのだろうか? そう思うと、少しだけ嬉しい。どうして嬉しいと思うのかはわからないが、とにかく嬉しかった。

「なんだよ、いっちょまえにヤキモチか?」

華那は言葉につまった。ヤキモチかと訊かれればはいそうですと言いたくなる。しかしここで何か言わなければ政宗に変に思われてしまう。いつもならそんなことないと否定して会話を終えることができるのに、図星を突かれたせいで少し混乱しているようだ(政宗は面白がって適当に言った言葉だっただろうが)。なんでもいいから何か言わなくては。頭ではそう思っても口が上手に開かない。

「ま、とにかくだ。明日は帰りも遅くなるだろうから先に休んどけよ」
「わ、わかった……」
「あとそこのsalad dressing取ってくれねえか?」

先ほどの間を政宗は特に気にも留めなかった様子だ。どうしてあたしだけが政宗の言動に逐一振り回されなきゃいけないのよ。

「折角だからかけてあげる」

自分だけが振り回されるなんてどう考えても不公平だ。少し腹立たしい気持ちになり、ささやかな仕返しと言わんばかりに華那は言われたとおりドレッシングを手に取ると、これ以上ないというくらい大量のドレッシングをサラダの上にぶっかけてやった。


翌日、出社するなりどこか浮足立った空気に包まれた社内に華那は首を傾げていた。こんな雰囲気は華那が入社してから一度たりともなかった。今日はいつもと変わらない、これといって何か特別なことはない日のはずだ。一体この会社に何が起こったというのだ。

「そりゃあ今日は我らが伊達社長の誕生日だからねー。なんか盛大なパーティーがでっかいホテルの会場貸し切って行われるらしいよ」

と、華那が知る限り社内で一番の情報通の佐助のこの言葉で原因が判明した。最近になってようやく普通に会話することができるレベルにまで仲直りはできた……と思う。ただ二人きりとなるとまだ気持ちが落ち着かず、今も二人の仲介役として元親が駆りだされていたりする。

「誕生日パーティー? って今日アイツの誕生日なの!?」
「音城至……仮にも俺らの雇い主をアイツ呼ばわりかよ。やっぱすげえわ、お前」

今日が―――九月五日が政宗の誕生日だなんて知らなかった。だってそんなこと、今までも、昨日も話してくれなかったから。誕生日パーティーが行われるのだから、そりゃあ夕食はいらないはずだ。あの伊達グループの将来を任される男のパーティーなんて、どれほど凄いものなのか想像がつかない。きっと物凄い御馳走と、芸能や財界に疎い華那ですら知っている有名人が沢山招待されているに違いない。庶民の貧相な想像力しか持ち合わせていない華那の頭では、この程度のことしか考えつかない。

だがただの誕生日パーティーなら、なんでそう言ってくれなかったのだろうか。別にあたしも行きたいなんて思わない。秘密の結婚だから誰かに自分の妻ですと紹介できないことはわかっているし、そもそも紹介してほしいなんて図々しいことも考えていない。ただどうして本当の理由を教えてくれなかったのか、それだけが引っかかる。

誕生日パーティーなんてものは名ばかりで、実際は政宗の誕生日にこじつけた伊達グループとしての仕事の一環だということも理解できる。昨日の政宗のようにわざわざ言葉を濁す必要はないはずだ。最初の頃に比べてお互い少しは近づけたと思っていただけに、自分のことは何一つ話そうとしない政宗の態度が胸に痛い。

でも、と華那は気持ちを切り替える。一年の一度の誕生日だ。自分なりに少しでもお祝いしたい。盛大なパーティーには劣るが、政宗が欲しい物を、または好きな物を贈りたい。政宗の好きなもの、好きなもの……あれ? 政宗の好きなものってなんだろう。食べ物の好みは小十郎に半ば反則とはいえ教えてもらった。だがそれ以外のことがさっぱりわからない。例えば休日はどう過ごしているのか。趣味は何かとか。政宗が貰って喜びそうな物や、彼の好きなこと。考えれば考えるほど何もわからない。

そもそも伊達グループの後継者ってこと以外、あたしアイツのこと知らないんじゃあ……? ううん、そんなことない。意外と料理好きで掃除好きってことは最近になって知ったんだし。でも一緒に住んでいるのにそのくらいのことしか知らないっていうのもどうなのー!?

「なあ猿飛……音城至のやつ頭抱えて唸り声あげてんだが、ありゃ何だ?」
「あれは本気で困っているときの顔だよ。一体今度は何を考えているのやら」

伊達社長の誕生日プレゼントです、と言えたらどんなに楽か。華那は半ば八つ当たり気味に目の前の二人を睨みつけた。


仕事帰りデパートに寄って色々見て回ったのが、結局何も買わずにデパートを後にした。できれば政宗が喜ぶ物をあげたいと考えていただけに、そもそも彼が何を欲しいのかわからないのだから探しようもない。当たり障りのない適当な物でも買ってやろうとすら思ったが、何故か敗北感が感じられたのでそれもやめた。初めての誕生日、政宗のことが何もわからなくとも妥協だけはしたくない。

「妥協したくないって思っても、これって結局妥協したって言うんだろうな……」

冷蔵庫の中に入れてある小さなケーキを思いだしながら、華那はがっくりと肩を落とした。もともと夜も遅い時間だったので、色々なお店を見て回ろうにも次々と閉店し、結局近くのコンビニで三百円程度の安いスイーツを買って帰った。大層盛大なパーティーの後にコンビニスイーツって……みすぼらしいにもほどがある。

華那は一向に帰ってこない政宗を眠気と戦いながら待ち続けていた。マグカップに注いだコーヒーが空になっていることに気づき、少し冷めた三杯目のコーヒーを注ぎ直す。政宗には先に休んでいろと言われたが、どうせ明日は仕事が休みなので意地で待ち続けていた。時計の針は十一時を指している。どうせ小十郎が運転する車で帰ってくるのだから、終電やタクシーの心配はないだろう。ということは帰ってくる頃には日付が変わっているかもしれない。大して面白くない雑誌を読みながら、華那は政宗が帰ってくるのを更に待ち続けた。

「Hey! 華那、いい加減に起きろ。風邪ひくぞ?」
「う、うーん……って政宗? おかえりなさい」
「おかえりなさいじゃねえだろ。なんでtableに突っ伏して寝てんだお前」
「寝てたって……うそ、あたし眠ってたの? いま何時!?」

まさか自分が眠っていたとは思わず、華那はすぐ傍の壁時計に目をやる。時刻は深夜一時。最後に時計を見たときから二時間経過していた。どうやら知らない間に眠ってしまったらしい。テーブルの上に置かれたマグカップの中には、手つかずの三杯目のコーヒーが丸々残っている。

「政宗が帰ってくるのを待っているうちに眠っちゃったみたい。あはは……」
「待ってたって……先に休んでろって言ったよな?」
「だって今日……正確には昨日か。あんた誕生日だったんでしょ?」

政宗はあからさまに顔をしかめた。九月五日が政宗の誕生日だということは華那には伝えていない。昔から家柄のせいで誕生日は盛大なパーティーが開かれ、そのたびに辟易していたのだ。パーティーに来る連中は、将来この伊達グループを継ぐ者に少しでも媚びておこうと必死だったし、誰もが自分の誕生日を祝う言葉を述べてもそれがあからさまな嘘だとさえ見抜くことができた。誰も自分の誕生日を祝うために来ているのではない。あれは将来有望株に今から少しでも投資しておこうと考えている連中の態度だ。自分の以外の全員が仮面を付けたパーティーなんてロクなものではない。

「会社の同僚から聞いたの、あんたの誕生日のこと。なんで話してくれなかったのよ。変な嘘までついてさ」
「別に嘘はついてねえだろ。誰かと食事したっていうのは事実なんだし」

パーティーでは見知らぬ大勢と食事すらしねえのか? と政宗が嫌味な質問をすると、華那は不満そうに頬を膨らました。政宗の言っていることは間違いではないが、華那が言いたいことはそうじゃない。政宗もそれをわかっていてあんな意地悪な質問をぶつけてきたのだ。

「誕生日っていうのはやっぱりその日におめでとうって言ってもらうのが一番嬉しいでしょ? だから頑張って起きておこうと思ったんだけど……結局寝ちゃってたのよね」

そう言いながら華那は椅子から立ち上がるなりキッチンへ向かう。政宗の訝しげな視線が華那の背中に刺さっていたが、そんな視線をさらりと受け流し、華那は冷蔵庫からケーキを取り出した。

「盛大なパーティーの後で申し訳ないんだけど、あたしからの誕生日プレゼントってわけで。本当は政宗の欲しい物をあげたかったんだけど、よくよく考えればあたし政宗のこと何も知らないのよね。だからとりあえず今年はこれで。誕生日おめでとう政宗」

自分にと差し出されたケーキを、政宗はしばらくの間どうしたらよいかわからず受け取ることができなかった。なかなか受け取ろうとしない政宗に、今度は華那がオロオロとし始める。

「もしかして甘い物嫌いだった? それともやっぱりコンビニで買ったやつだから? 色々お店回ったんだけど、仕事帰りだったからどこのお店も閉店間近で探す時間がなかったのよー。というか政宗クラスになると庶民の味は駄目ってこと? でも最近のコンビニスイーツって本当に美味しい……」
「違う、違う。そうじゃねえんだ」

本気で慌てる華那の態度が可笑しくて、政宗はおもわず笑ってしまった。差し出されたケーキを受け取ると、政宗は短い感謝の言葉を伝えた。

「やっぱ誕生日はこうじゃねえとな」

その人が喜ぶ顔が見たいから、その人のために何かをしてあげたい。そんな当たり前のことが、先ほどまでいた会場の連中には感じられなかった。感じられたのは自分達の利益のため、そんな自己中心的な欲だけだった。

「んじゃさっそく、有難く頂くとするか。なんせオレの奥さんの初めてのpresentだしな」
「ひ、一言余計よ」

それにそこは華那自身が気にしていることでもある。どんな形であれ今回が政宗への最初のプレゼントになる。どうせなら特別な、少しでも政宗の思い出に残るような物をあげたいと思い、閉店間近の僅かな時間の中必死になって探しまわった。初めてのプレゼントが三百円のコンビニスイーツ、たしかにこれなら悪い意味で記憶に残りそうだ。

「お、たしかに上手いなコレ。滅多に食わねえから知らなかったぜ」
「本当? 実はそれ新商品であたしもまだ食べたことなかったから、美味しいかどうか知らなくって。今度あたしの分も買ってみよ」
「………お前、オレで実験してんじゃねえよ」

てっきり華那が一度でも食べたことがあって、美味しかったから自分へのプレゼントにしたのかと思っていたのだが。美味いか不味いかわからない新商品をオレで試すな。政宗は心の中で悪態をついた。こりゃちっとお仕置きしてやんねえといけねえな。

「華那、顔上げろ」
「上げろって……こう?」

口では色々言いつつも政宗の言うことに警戒することなく従うあたり、なんだかんだで根は素直なのだろう。彼女の目からは政宗を疑う意思が感じられない。男への免疫がないはずなのにこれでは……と、何故か政宗のほうがそわそわしてしまう。

「ま、これもpresentの一つとして貰ってもいいよな?」

政宗は少しだけ屈むと自分の唇を華那の唇へと重ねた。触れる程度のキスとはいえ、華那の顔は面白いほど真っ赤だった。

「な、美味いだろ?」

この場合何に対して美味いと言えばいいのですかダンナサマ?

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