あた婚! | ナノ

そんなとこに隠れて覗き見たァ、意外とヤラシイなお前も

財布の中を覗きこみ、そっと閉じる。しばらくしてから恐る恐るもう一度財布の中を確認し、落胆の息を吐いた。折角の日曜日の朝だというのに、華那の気分はすでにブルーだった。憎らしいほど天気の良い日曜日。おもわず外へ出て買い物でもしたい陽気なのに、財布の中身がすでに悲鳴を上げていた。

給料日までまだ日がある。給料日までどうやって過ごそうか、華那は頭を悩ませていた。何回も財布の中を見てみても中身は変わらない。減ることはあっても増えることは決してないのである。華那は別段金遣いが荒いわけではない。少ないお給料で毎月ちゃんとやりくりしている。いつもならここまでピンチに陥ることはないのだ。そもそも財布の中身がピンチになったのは、予想していなかった引っ越しや、社長室に呼び出しを食らったせいで迷惑をかけた元親にご飯をおごったりしたせいだった。これらの予想外の出費は全て政宗のせいである。

政宗と結婚したとはいえ、お互いの生活は別々だった。同じ家に住んでいるとはいえ会話もしないし、一緒に食事をすることもない。忙しい政宗と顔を合わせる機会がないのも原因の一つだが、一緒に暮らしているという自覚が二人にないせいだ。家が同じだけの赤の他人。二人の考えはこの点だけ一致している。

一緒に暮らしているといってもこの家自体が政宗の私物だ。政宗の私物を安穏と借りるのは華那としては癪だったので、政宗が適当に決めた部屋代と光熱費の一部は収めている。適当に決めたといっても無茶苦茶な金額ではなく、華那が以前住んでいたアパートの値段とそう変わらない。勿論光熱費もだ。どういったルートを使って調べたのかは不明だが、おそらく華那のこれまでの生活費を基準として考えた金額だろう。口には出さない優しさが華那にはとっても悔しくて、ちょっとだけ嬉しかった。故に今までどおりお金を使っていれば、給料前にお金に困ることはなかったわけなのだが。

「……どうするよ華那。このままいけば食費に困る日はそう遠くないわよ……!?」

無意味に体が震えていた。このままでは一週間もつかもたないかの瀬戸際だ。最悪貯金を切り崩すしかない。かなり悔しいが背に腹はかえられない。華那は財布をベッドの上に投げ捨てると、欠伸を噛み殺しながら朝食を食べるためキッチンへと向かった。

「………ってなんであんたがここにいるのよ政宗?」

キッチンで朝食を作ろうとしていた政宗と遭遇した。日曜の朝だというのに政宗はすでにちゃんと服を着ていて、その上にエプロンを身につけている。パジャマ姿でいかにも寝起きの顔だった華那は居心地の悪さを覚えた。また馬鹿にされてしまう。しかし華那の心配を余所に政宗は華那の姿はさして気にしていない様子だった。

「ここはオレの家だぜ? 家主がいて当然だろうが」
「そうじゃなくて……てっきり今日も仕事だと思って」
「休日に働くとバカを見るぜ。オレはきっちり休みをとるんだよ」

いつもすれ違いばかりだった。朝起きても政宗は既に出社していて、華那は広いこの部屋を一人で過ごしていた。夜も同じで、帰宅の遅い政宗と顔を合わせることもない。こうやって一緒にこの部屋で過ごすのはもしかしたら初めてではないのだろうか。

政宗がフライパンを温めている横をすり抜け、華那は棚から菓子パンを、冷蔵庫から牛乳パックを取り出した。調理台には野菜やパンが並べられていることから、日曜だというのに政宗はちゃんとした朝食を作るつもりらしい。それに比べて自分はスーパーの特売で買った見切り品の菓子パンと牛乳……。なんだかとても惨めな気分になった。いやいや、いちいち気にしてたら駄目! 

華那はブンブン頭を振ると、リビングのソファに腰を下ろした。おもむろにテレビのリモコンを手に取り、何か面白そうな番組がやっていないかチャンネルを回していく。乱雑に袋を開けパンを取り出し、そのままパクリとかじりついた。

日曜の朝っていうのはろくな番組がやってないなァ。チャンネルを回すことを諦めた華那の鼻が、突然動物のようにクンクン鳴った。なにやらキッチンから良い匂いが漂ってきたせいである。ただのおにぎりでも政宗が作ったおにぎりはとても美味しかった。空腹だったということを置いておいてもあれは美味しかったんだと思う。

初めてキッチンへ足を踏み入れたときは心底驚いた。調理器具もさることながら、色々な香辛料や調味料が棚に綺麗に並べられていたためだ。一般家庭にはあまりない珍しいものまで発見した。華那も初めて見るものが幾つもあった。普通に料理をするくらいならあんなものは必要ないだろう。

もしかして政宗って……料理が好きなのかしら? 一人暮らしであそこまで整っていたら誰だってそう思う。加えて鼻をくすぐるこの美味しそうな匂い。華那はソファから立ちあがると、物陰に隠れてキッチンを覗きこんだ。

「うう………お、美味しそう……」

眠気が覚める香ばしいコーヒーの香り。綺麗に磨かれたお皿の上には色鮮やかなサラダとスクランブルエッグ。華那が一度は憧れた優雅な朝食がそこにあった。外国映画に出てきそうな完璧な朝食を前に、華那の胃袋はとても素直だった。大きな音で空腹を訴える。当然そんな大きな音を政宗が効き逃すわけがなかった。

「そんなとこに隠れて覗き見たァ、意外とヤラシイなお前も」
「う、うるさい!」

政宗はテーブルの上に置かれている菓子パンと牛乳パックを見て、人を見下したような冷やかな笑みを浮かべながら鼻で笑った。何も言わなくても華那にはわかる。馬鹿にされた。華那の寂しい朝ごはんを見てこの男は鼻で笑ったのである。スーパーの値引きシールが華那の敗北感を更に刺激した。悲しいを通り越して悔しい。

「……なんなら味見してみるか?」
「いいの!?」

政宗の思わぬ提案に華那の声は自然と弾む。敗北感など一瞬で吹き飛んでしまった。綺麗に磨かれている真っ白なお皿の上に載せられたスクランブルエッグを政宗は指で摘まみ、それを華那の口元へ持っていく。

黄金色に輝くそれに華那はごくりと喉を鳴らした。あーんと口を大きく開けながらスクランブルエッグに顔を近づけていく。が、あと一口というところで政宗がひょいと指を明後日の方向へ向けた。当然、今頃口の中では見た目通りの美味しい卵の味が広がっていると思っていた華那は目を丸くさせる。政宗はそんな華那を満足気な目で見下ろしながら、指をあっちこっちへと様々な方向へ向ける。餌に釣られる動物の如く、華那の目はスクランブルエッグを追い続けた。

「残念だったな。誰がお前なんかにオレサマが作った貴重なメシをやるかってんだ」

そう言って政宗はスクランブルエッグを自身の口へと持っていった。

「ああーーー!?」

華那の口から情けない声が飛び出した。

「ひ、ひど! 結局あたしをからかっただけじゃない!」
「今頃気づいたのか?」

ニヤリと笑う政宗に本気で腹を立てた華那は、「うぐぐ……!」と悔しげな呻き声を漏らす。握った拳が怒りでわなわなと震えだした。からかわれた。ただでさえ嫌いな政宗にからかわれたというだけでも十二分に腹が立つのに、この上からかわれた原因が食べ物というところが情けない。政宗だけでなく食欲にも負けた気がしてならないのだ。

「………政宗のブァーカ!」

バカの部分を厭味ったらしく伸ばして言うと、政宗の片眉が器用にピクッと反応した。

「テッメェ……上司に向かって随分な態度だなオイ」
「職場ではそうかもしれないけれどここでは違うもーん。それとも何ですかァ、伊達グループの次期社長様が公私混同するって言うんですかァ?」
「テメー……いつか泣かしてやるからな」
「それはこっちのセリフよ!」

バチバチと激しい火花を散らしながら睨み合いを続ける華那と政宗は、お互い先に目を反らした方が負けだと思っているため、一度睨み合いが始まると相手が根負けするまで睨み続ける。どれだけくだらないと、馬鹿らしいと思っても、もはやこれはただの意地の張り合い。

第三者が止めに入らない限りずっとこのままかと思われた矢先、二人の胃が大きな音を立てた。まるで胃がもうやめろと訴えかけたようだった。なんだか急に馬鹿馬鹿しくなった華那と政宗は、どちらからともなく短い溜息をつく。

「………さっさと朝ごはん食べよ」
「そうだな……」

*** ***

朝ごはんを食べ終わると、休日らしく長閑な時間が続いた。華那も朝ごはんを食べ終わるなり服を着替え、特にやることもないのでリビングでテレビを見ている。政宗も今日は本当に休みのようで、ソファに座って難しそうな本を読んでいた。

どんな本を読んでいるのか気になった華那は本の中身を覗き見してみたのだが、文字が日本語ではなく全て英語だったので内容を知ることは諦めた。英語が大の苦手というわけではないが、洋書を辞書なしで読めるほど得意でもない。それなのに目の前のこいつは普通に読んでいるのだからとても憎らしい。おまけにその姿が少しカッコイイとも思えるので面白くない。華那の存在など気にせず涼しい顔で本を読む政宗をこっそりと睨みつける。

窓の外に目をやると、休日の朝に相応しい青空が広がっている。こんなに良い天気なのに家にいるのは少し勿体無い気がしてきた。

「折角だから買い物にでも行くかな……」

お金はなくともウィンドウショッピングはできる。本人の意思とは無関係の慌ただしい引っ越しだったため、身の周りに必要なもので揃っていない物が多いと常々感じていた。暇な日を見繕ってゆっくりと買い足していこうと考えていたくらいなのだ。今日は丁度暇だし天気も良い。絶好の買い物日和だ(いや、買わないけどね)。

華那はうん、と頷くと、テレビを消して勢いよく立ち上がる。自室に戻り出かける支度をしようとしたところで、政宗が声をかけてきた。

「いきなり何だ?」
「ちょっと買い物に行こうと思って。誰かさんが無理やり越させたせいで、身の周りの物が不足してますの」

最後は政宗に向けた明らかな嫌みのつもりだった。が、政宗は華那のそんな子供染みた嫌みを無視し「Hum……」と、何か思う節でもあるのか考え込む。何か言いたげな政宗を無視することもできず、華那は彼の言葉をじっと待った。

「決めた。オレも行く」
「………行くって、買い物!?」
「ああ、暇だしな。それにこんな良い天気に部屋でじっとしているのはオレのガラじゃねえ」

何事もアクティブな政宗からすれば、こんな天気の良い日に部屋でじっとしていること自体が耐えられないことである。例え用事がなくても部屋でじっとしているよりはマシだと外の世界へ飛び出してしまうような男だ。そこに都合良く買い物という大義名分が転がり込んできたのだから、政宗がこれを利用しないわけがない。

「出るなら早めに出たほうがいいな。つーわけで三分以内に用意しろ」
「無茶言うな!」

結局政宗が指定した三分を大幅に上回る二十分を費やし支度を整えた華那は、重い足取りで政宗と共に街へと繰り出した。前を歩く政宗の背中を仏頂面で見ながら、華那は何度目かわからない溜息をつく。

政宗と一緒にいるというだけで華那の心は重い。先ほどまで心地良いと感じていた青空が急に憎らしく思えた。ここが大勢の人が行きかう街中でなければ、空に向かって何か叫んでやりたいくらいである。政宗は政宗で、自分の後ろで華那がどんな顔をしているか知るわけもなく、通りに面しているお店を特に興味なさげに見送っている。

「そういやどこに行くんだ?」

ここにきてようやく目的地がどこかわからないという事実に政宗は気づいた。華那の買い物に付き合うからには、主導権は当然華那にある。行き先を決めるのは華那であり、彼女の前を当たり前のように歩く政宗ではない。

「……どこって言われてもなあ。この辺滅多に来ないからどこにどんなお店があるかわかんないし。今日はこの辺ぶらっと見て回るだけでいいよ」

この辺に越してきたばかりの華那には、この街にどういったお店が並んでいるかすら把握できずにいる。なら今日は今後のことを考え、この辺りを散策するのもいいかもしれない。前を歩く政宗の背中を見ながら華那はそんなことを考えていた。

「なら今日はこのオレが特別にこの辺を案内してやるよ、感謝しな」
「その上から物を言う偉そうな態度はデフォルトなのかしら……!?」

が、既にどうやってここまで来たのかわからなくなっている華那に、政宗の提案を拒否する権利はなかった。ここで政宗に見放されたらどうやって自宅に帰ればいいかわからない。最悪タクシーを使って帰ることもできなくはないが、金欠故そんな贅沢が許される身ではない。

「そんなに怖い顔すんな。折角昼飯くらいならおごってやろうって思ってたのによ?」
「昼ごはん!? 本当に、本当におごってくれるの!?」

金持ちの政宗なら、普段の華那なら手が出せない高級なランチもあっさりとおごってくれるかもしれない。何より金欠の華那には一食分の食費が浮くというだけでも非常に有難かった。華那の現金っぷりに政宗は苦笑するしかない。今のところこんなふうに華那が笑顔になるのは、食に関することのみだったからだ。この女は食べ物に弱いのか。そんな疑問すら思いつくほどに。

「あんまり高いものはなしだぜ?」
「社長のくせにケチ臭いわねー……」
「金持ちになるコツは余計なことに金を使わねえことだぜ?」
「ごはんをおごることが余計なことだって言いたいわけ?」

政宗の発言に、華那が反射的に口を尖らせたときである。

「―――音城至?」

二人の背後から、少し気の抜けた声で名前を呼ぶ声が聞こえた。政宗と華那の身体が揃ってぴくりと反応する。華那が恐る恐る振り返ると、そこには休日らしいラフな格好で佇む元親と、同じく会社の同僚である猿飛佐助の姿があった。瞬間、華那は声にならない悲鳴をあげる。二人は政宗の顔を知っているのだ。彼が自分達にとってどういう存在なのかも理解している。二人にとって政宗は自分が勤める会社の社長という立場にあたるのだ。

少し前、政宗と華那が結婚していることは会社の人間には内緒にすると決めたばかり。政宗としては部下に手を出した社長というレッテルを貼られてしまうことは避けたいし、華那は酒に酔った勢いで結婚したという事実は恥ずかしいので隠していたい。

まずい、決心した途端バレるなんて話あってたまるか! 振り返ったまま固まってしまった華那を怪訝に思ったのか、政宗も首だけを動かし後ろを振り返ろうとするのだが、華那が慌てて政宗の頬を掴みそれを阻止した。よほど慌てているのか力加減ができていない。堪らず政宗は小さな声で呻き声を漏らした。

「偶然だな、まさか休みの日までも会うとは思ってもなかったぜ。つーか誰だよそいつ」
「まさかデート? 音城至、いつの間に彼氏できてたわけ?」
「え、ええと。それはその……!」

この場をどう乗り切るべきか。混乱する頭をフル回転させて考えてみるが、何一つ良い案が浮かばない。慌ただしい華那の休日は、こうして幕を開けたのだった。

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