帰ってきた俺様伊達男 | ナノ

この瞬間、君は僕の太陽になった

家に着くなり、私は自分の部屋のベッドに身を預けた。古いスプリングがギシ、と音を立てる。制服が皺になっちゃうとか、そんなことはこの際お構いなし。今日は本当に疲れたから、しばらくこのまま突っ伏していたい……。

***

「まーさーむーねー」

華那は政宗の部屋の前で、この部屋の主の名前を呼んでいた。さっきから大きな声で何度も呼んでいるというのに、返事が返ってくることはない。

「いいかげんにでてきなよー。それともずっとへやからでてこないつもりなの?」

少し舌足らずな口調だったが、華那は部屋から出てくるように訴えかける。しかしそれでも中から反応は返ってこない。華那はぷうっと頬を膨らまし口を尖らせた。

「まさむねなんて、ずっとそうやってとじこもってればいいんだ!」

華那はこう言い捨て、わざと大きな足音を立てながら政宗の部屋に背を向け廊下を歩きだす。大きな音を立てるのは、中にいる政宗に聞こえるように。自分が部屋の前を後にしたことと、出てこなかった政宗への苛立ちを表現する為にである。

「―――その様子じゃ、また駄目だったみたいだな」

長く続く廊下を歩いていたら、後ろから声をかけられ華那は足を止める。振り向くとそこには見慣れた青年が苦笑しながら立っていた。オールバックに頬には傷、それに加えて厳しい表情。子供なら見ただけで震え上がりそうな容姿だが、華那は彼の姿を捉えると今までの不機嫌そうな表情から一変し、無邪気な笑顔を向けた。

「こじゅ!」
「相変わらず華那の声は大きいな。遠くにいた俺にまで聞こえたぞ」
「だってまさむねがへんじしないんだもん。だからきこえてないのかなっておもって……」

ごにょごにょと言いにくそうに口を濁らせる華那に―――片倉小十郎はますます苦笑する。

「とりあえずこっちに来い。菓子くらい出してやる」
「おかし!? やった!」

どんなに嫌なことがあっても、子供にとってお菓子はそれを忘れさせてくれる不思議な魔力がある。華那も同様で、さっきまで頬を膨らませていたというのに、今ではお菓子という言葉に目をキラキラと輝かせていた。とりあえず今は―――お菓子にありつこう。ここ最近、華那はいつもこんな調子だった。政宗の家に行き、彼の部屋の前で出てくるように説得する。これが彼女の日課と化していた。それまではこんなこと、一度たりともなかった。幼馴染の政宗といつも一緒に遊んだりしていた。しかしある日突然、政宗が華那と会うことを拒んだ。

華那だけでない。政宗は自分以外の誰かと会うことを拒んだのだ。最初、自分が何かしてしまったのかと思った華那は政宗に謝ろうとした。しかし部屋に入れてくれず、華那は彼の部屋の前で何度も謝り、出てきてほしいと懇願した。

だが中からくぐもった声で「華那はわるくないから」と、一言だけ言葉が返ってきた。つまり政宗が誰とも会おうとしない原因は華那ではないということ。華那はますます分からなくなった。

じゃあどうして突然、誰とも会おうとしないのか。部屋からも出てこず、話すらしてくれないのか。それまではいつも一緒に遊んでいたのに―――……。道場の先生も、政宗は稽古に出ていないと言う。稽古を一度も休んだことがない政宗がと、華那は不安で仕方がなかった。だからこうして毎日、彼の部屋の前で出てきてほしいと頼み、そして何故出てこないのか聞き出そうとしていたのだった。

***

客間にて出された饅頭を頬張る華那を見ながら、小十郎は言うべきか言わないべきかと口を開くのを躊躇っていた。小十郎は政宗が部屋から出てこない理由を知っている。……そのことを言えば、華那がどんな反応を示すか。政宗の世話役である小十郎には、彼が華那のことをどれほど大切に想っているか痛いくらい分かる。だからこそ、小十郎はずっと言い出すことができなかった。彼女に嫌われることを恐れる彼に、本当のことを言っていいのか。

しかし今の状況を甘んじるわけにもいかない。政宗の為を思うのであれば、やはり言うべきなのではなかろうか。彼女ならば、政宗を動かすことができるのではないかという希望がある。仮に華那でも駄目なら、もう自分達にはどうすることもできない。これは政宗自身の問題であり、壁を越える力を持つのは彼だけなのだ。

だが壁を壊す手助けなら―――できるはずだ。小十郎はしばらく考えていたが、やがて意を決して口を開いた。

「今まで黙っていたが……政宗様はご病気なんだ」
「びょうき!?」

華那は饅頭を食べていた手を止め、愕然とした表情を小十郎に向ける。ぽとり、と。手にしていた饅頭が滑り落ち、畳を汚した。

「……まさむね、しんじゃうの?」

自分でも声が震えているのが分かる。声だけでない、体中が震えている。信じられないと思う心と、政宗がいなくなってしまうかもしれないという恐怖で。華那の不安を掻き消したのは、小十郎のきっぱりと否定した力強い声だった。

「馬鹿なことを言うな、政宗様が死ぬわけないだろう。目のご病気なんだが……ただ、な」
「なに!?」
「その……目が少し変形してしまって、それを気にして人前に出ようとされないんだ」

小十郎がいかに言葉を選んで言っているか、幼い華那にもなんとなく分かった。言いにくそうに言葉を濁していたから、何よりとても苦しそうだったから。

「……やっぱりもういちど、まさむねにあってくる」
「華那!?」

小十郎の静止を振り切り、華那は政宗の部屋へと駆け出した。 何故だろう、すごくムカムカしてくる。小十郎に理由を聞いた華那は、フツフツと湧き上がる苛立ちを感じていた。部屋に閉じ篭っている理由が、華那にとっては馬鹿らしい以外他ならなかったのだ。

―――めのかたちがかわったくらいでへやからでてこようとしないなんて、しんじられない! そんなこと誰も気にしないのに。目の形が変わったとしても、政宗は政宗なのに。

「まさむねー!!」

部屋の前に着くなり、華那はスパンッと豪快に襖を開け放つ。政宗の家は華那の家のように洋風でない為、鍵をかけるということができないのだ。部屋はお昼だというのに真っ暗で、明かりは華那が開けた襖から差し込むだけ。彼は部屋の隅っこで突然入ってきた華那の姿にぎょっと目を瞬かせていた。右目は包帯で覆われているが、ぽっこりと大きく膨らんでいる。心なしか、政宗自身も弱く見えてならない。こんなにも怯えた目で見られたのは、華那にとっては初めてのことである。

「な、なんだよ! いきなりはいってくるな、でていけ!!」

これ以上後退できないというのに、政宗は華那から顔を逸らし必死になって後ずさろうとする。右手で包帯で隠された目を隠し、左手で意味もないのに宙を裂く。

「……こじゅからきいた。まさむね、びょうきなんだって。だからずっとあってくれなかったの? まえみたいに、あそんでくれなくなったの?」
「うるさい、でてけっていってるだろ!」
「いつまでそうやってるの?」
「うるさいうるさい!!」

華那が静かに語りかけるにも関わらず、政宗は煩いの一点張りである。話すら聞いてもらえない。悲しいし、腹立たしくも思う。今まで華那の中で揺蕩っていた何かが―――溢れ出した。

何が起きたのか、政宗が理解するに少し間があった。右頬が熱を持ったように熱い、痛い、音がした。断片的にしか物事が考えられない。それらの事実を結び付けていくと、自分がビンタを食らったことに気が付いた。いきなりビンタされたことで、パチパチと左目を瞬かせる。政宗には何故ビンタされなければいけないのか、それだけどうしても理解できずにいた。

「……な、なにすんだよ!」
「うるさーい! はなしをきかないまさむねには、こうしたほうがいいもん!」

華那はそう叫ぶなり、今度は政宗の左頬を容赦なく引っ叩く。これには政宗も―――本気で怒った。

「なにすんだよ!!」

パァンッと、華那の右頬が強かな音を鳴らす。華那は呆然とした表情で自身の右頬にゆっくりと触れ、ジンジンと熱を持ち始めていることに気付いた。政宗にぶたれた―――自分が最初に引っ叩いたことなど忘れ、カッとなった華那は頭に血が上り……。

「なにすんだよ、じゃないもん!」

―――今度は頭をグーでどついた。それも、力を込めて。

「〜〜〜っ、だからやめろっていってんだろ!?」

負けじと政宗もお返しと言わんばかりに華那の頭をグーでどつく。

「おんなのこにてをあげちゃいけないっていってたのに、まさむねさいあく!」
「だれだよそんなこといったの!?」
「あたまがりーぜんとの、このいえにいるおとこのひとたち!」

髪の毛を引っ張ったり腕に噛み付いたりしながらも口だけは決して休めることなく、二人は大声で怒鳴りあっていた。政宗も右手で目を隠そうとせず、両手を使って華那に対抗する。

「みんないってたもん! まさむねのことしんぱいしてるって、はやくげんきになってほしいって! だからはやくげんきになって、へやからでたらどう!?」
「うるさい! かってなことばっかりいうな!」
「わたしもだもん! わたしもこじゅもまさむねのことがしんぱいだもん! びょうきなんてかんけいない。もしびょうきのせいでわたしとあそばなくなったなら、そっちのほうがかなしいもん!」
「みんなこのめがこわいっていってる! このおおきくふくれためがこわいって。だからだれもちかづこうとしなくなった! 華那もそうだ、華那もこわくてたまらないんだろ!?」

初めて―――政宗が本音を言った。きっと怒りに任せてのものだろう、言った本人ですら自覚があるか定かでない。しかし怒りに任せているのは華那も同じである。

「こわくないもん、かってにきめるな! いつわたしがこわいっていったの!? そんなのまさむねのおもいこみじゃんか! まさむねはまさむねだもん、なにかをなくしてもまさむねでしょ!?」

殴りかかろうとしていた政宗の拳がピタリと止まる。その隙をついてか、華那は強烈なパンチをお見舞いした。政宗は衝撃で後方に吹っ飛び、襖を突き破り廊下へと倒れこむ。

「……こわくない、のか?」
「だからいつこわいなんていったの!?」

政宗は全身の力が抜けていくのを感じた。彼は呆けた顔で、ふんっと鼻息を荒くし仁王像のように立つ華那を見上げる。

「政宗様! いかがなされ………政宗様?」

騒ぎを聞きつけた小十郎が血相を変えてこちらに駆け寄ってきた。しかし廊下で呆然としている政宗と壊れた襖に破れた障子、そして眉を吊り上げる華那の姿を見てはたと足を止める。おまけに二人は全身に引っ掻き傷や痣ができていた。彼には何が起きたのか理解できず、数秒の間その場で立ち尽くすこととなった。

***

「全く……政宗様も華那も、こういったことは二度となされるな」
「おれはわるくない。わるいのは華那だ」
「わたしはわるくないもん。はなしをきいてくれなかったまさむねがわるいもん」

時と場所は変わり、二人は客間にて小十郎の手当てを受けていた。二人とも見事に傷だらけで、しかしどれも大したことなく。やはり子供のけんかの範疇だなと、小十郎はそっと安堵の溜息をついていた。何より政宗がこうして部屋から出てきて、以前のように喋ることができている。彼にはそれが嬉しくて仕方がない。

「では手当てが終わりましたらこの小十郎とともに、政宗様と華那が壊した襖の修理といたしましょうか」
「な、なんでおれなんだ! こわしたのは華那だぞ!?」
「ふすまのしゅうり!? じゃあやぶれたしょうじのはりかえとかもできるの!?」
「ああ。しかしなんでそんなに嬉しそうなんだ、華那……?」

心底嫌そうな顔を浮かべる政宗と、どういうわけか喜ぶ華那。この場合政宗の反応が正しいと思われる。「だって」と、華那は目をキラキラと輝かせながらきっぱりと断言した。

「しょうじをはりかえるときはおもいっきりしょうじにあなをあけていいって、おばあちゃんがそういってたもん!」
「そうなのか小十郎?」
「……そう訊かれると困るんですが、まぁ穴を開けるなり破くなりしても怒りませんがね」

障子に穴を開けたり破いたり。大人になると忘れてしまったあの楽しさ。どうやら華那はそれがやりたいが故に、障子の張替えという大人にとっては面倒臭い仕事も楽しみのようだ。政宗も同じで、あまり感情には出していないが楽しみの様子である。

「……では、今から三人でいたしましょうか」
「うん! まさむね、しょうぶね!」
「どっちがおおくあなをあけられるか、だろ!」
「……はぁ。たしかに穴を開けてよいと申しましたが、新しい障子にまで穴を開けないでいただきたいものですね……」

***

「………お、思い出した」

いつの間にか寝てしまったらしく、気が付けば時計の針は夜の七時を指していた。でも夏なのであたりはまだ明るい。

「……そっか、小十郎の言ってた喧嘩ってこれのことだったんだ」

病気が原因で一時的とは言えども、引き篭もっていた政宗に喝を入れたというかなんというか。……ほんと、やくざの跡取りになんつー大胆なことを。これじゃ小十郎が覚えているのも無理ないし、政宗が教えてくれないわけだ。弱かった頃の自分なんて、今の彼の性格を考えると言いたくないに決まってる。

この出来事から一週間後、政宗達はアメリカに旅立った。アメリカの名医に政宗の目を治してもらう為だって言ってたけど、じゃあなんであいつは未だ眼帯なんかつけてるんだろう……?

続