帰ってきた俺様伊達男 | ナノ

いってらっしゃいがあればおかえりなさいもある

今日の目標―――政宗に謝って、そして……。

***

チュンチュンと、雀が鳴きながら頭上を飛んでいく。嫌でも今が夏だと思い出させてくれる積乱雲に、澄み渡った青空。プラスこれでもかってほど照りつける太陽が眩しい。こんな空を見てると、早く夏休みになってほしいと強く願う。蒸し暑い学校から見る空と、クーラーが利いてる自分の部屋から見るのでは格段に違うから。

昨日、あれからずっと後悔して、熱帯夜効果もありほとんど寝ていない。だから歴代上位に食い込むんじゃないかって思うほど早い起床時間記録を叩き出した。でも優等生じゃないので、早く起きたからと言ってもやることはいつもと変わらない。ただいつもよりちょっと早い時間に家を出て、今こうして政宗んちの前で突っ立っている以外は。

昔は気後れなんかせずこの門を潜れたのに、今じゃそれすら臆して難しいなんて。何も知らなかった昔のほうが幾分楽に思える。昔はこの屋敷での政宗の立場なんて知らなかった。目の病気のことも知らなかった。それが原因で政宗の立場が危うくなっていたなんて知らなかった。

あれから少しは成長したから、今ならなんとなくだが理解できる。たった一度だけ政宗のお母さんに会った忘れもしないあの日の出来事。政宗は母親に嫌われ、疎まれ、それが原因で部屋に引き篭もっていた。それはつまりそういうことで、家族に嫌われるという経験がない私なんかじゃ到底想像できない。そりゃケンカもするし、意見がぶつかってしばらく口を利かないなんてことはある。でもそれは私を想ってくれているからこそのもので、確かな愛情がある。

けど政宗のお母さんには……そんなもの、なかった。きっと政宗には味方がいなかったんだと思う。小十郎以外に、信用できる人がいなかった。私は政宗の味方のつもりだったけど、政宗はどう思ってる?

「………駄目だ、朝からこんなこと考えてちゃテンション下がる」
「華那………?」

いつもならもっと元気があるのに。私を呼ぶ声は今日に限って小さく、どこか弱弱しい。名前を呼ぶだけで精一杯なんて、改めて私は政宗を傷つけたのだと思い知らされる。なんだか拒絶されたみたいで悲しいじゃないか。

「………おはよ」
「ああ……」

そんな露骨に目を逸らさないでよ。私が悪いので仕方がないことだと思っても、やっぱり淋しいじゃん。なんて、そんなこと言う資格なんてないけど。それにしてもこいつ、いつもより早いじゃん。いつもならもっと遅くに登校しているはずだ。ということは、私を避けるつもりで早く家を出ようとしたんだと思う。生憎と私も早起きしちゃったものだから(そんで待ち伏せなんかしちゃったから)、こうして鉢合わせしてるんだけど。

「………一緒に学校、行かない?」
「Ok……」

***

無言で歩き出し、会話がないまま十分が経過した。何もかもが重く感じるけど、ここで逃げちゃ駄目だと自分を叱咤する。ここで逃げちゃ何も変わらないし、何よりこんな政宗なんか見たくない。ここ数日見た限りでは、政宗に萎れてる姿は似合わない。自信満々でオレサマで、そっちのほうが絶対似合うと思うから。

「あ、ちょっと話あるんだけど……いいかな?」

私は政宗の意見なんか聞かず、右腕を掴みそのままグイグイと引っ張る。通学途中にある小さな公園、ここなら誰もいないし謝るには丁度いいだろう。学校だと野次馬が多すぎて謝ろうにも謝れないから。

「何の用だよ。さっさと話せ」

うっわぁ……ここまで棘のある声だとちゃんと謝れるか不安になってきた。政宗はあからさまに眉を顰めて、早々にこの場から立ち去りたいという空気を醸し出している。そんなに私といるのが嫌……なのかな。そりゃそうだよね。あんなこと言われた相手と一緒にいたくない……よね。ヤバイ、泣きたくなってきた。なんで謝るべき人間が泣くんだ、普通は逆じゃない。

「Shit! 華那、話がないなら……って!?」
「なに……?」

さっきまで目を合わそうとしなかったのに、急に狼狽しだした政宗に私は呆然とするしかできなかった。どうしたらいいか手を拱いているその姿がなんだかおかしくて、笑っちゃいけないと思いつつも込み上げる笑いを抑えることができない。いつもの自信満々なあの態度はどこへやら。

「……なんで笑ってんだ?」
「だって慌ててる政宗の姿がおかしいから」

急に硬くなった声に内心不安を覚えたが、今度はコロコロと態度が変わることがおかしくて。再び眉を顰めて眉間にふっか〜い皴なんか作っちゃってさ。あ、怒ってる……って、笑ってる場合じゃないでしょ私。謝ろうとしてるのに、余計に相手を怒らせちゃったら意味ないじゃないか! 

「……ごめん」
「………アンタの泣き顔は苦手なんだよ」

ぶっきらぼうに言い捨てたその言葉に、自分の耳を疑ったのは言うまでもない。政宗の言った言葉に対してではなく、その内容に耳を疑ったのだ。私、泣いてるの? 

ゆっくりとした手つきで自分の目元に触れると、生温かい液体が付着した。どうやら気がつかないうちに、本当に泣いてしまっていたらしい。そりゃ政宗も対応に困るわけだ。いきなり勝手に泣き出したと思えば、今度は笑いだしたんだもん。笑っていても涙は出てくるから泣き笑いだ。

「………ごめんなさい!」

涙を拭っているうちにこれ以上溢れ出てくることもなくなり、一度大きく深呼吸した後、私は勢いよく頭を下げた。今度は政宗が呆然とする番で、事態についていけずキョトンとしている。顔を上げた私は小さな声でおずおずと「昨日のこと……」と付け加えると、政宗も合点がいったようで「ああ……」と歯切れの悪い返事を返す。一度は和みをみせた場の空気も、一瞬にして重いものへと戻ってしまった。

「あんなこと言うつもりじゃなかった。あのときはその……ついカッとなって思ってもないことを口にしたというか。あれが本心っていうわけじゃないの! それだけは分かってほしい」

ここまでくれば後はもう勢いのみだ。最初の一歩さえ踏み出してしまえば怖いものなどない。

「政宗がいなかったらよかったなんて、そんなこと思ったこと一度もないからね! むしろアンタが手術で渡米した日から、政宗のこと考えない日なんかなかったし……。今頃どうしてるかなーとか、今日こそは連絡があるかなって期待したり……まぁ一度もなかったわけだけど」

これだけは絶対に言わないって決めてたのに。口が勝手に動いて恥ずかしい事実を次々と暴露しちゃってる。や、だって政宗の性格を考えれば絶対に調子に乗るじゃないか。恥ずかしさで顔から火が出そうになるのを必死に堪えながら、私は政宗の表情を窺うが……はずれてほしい予想は、どうやら大当たりだったようだ。

見ろ、この嬉しそうな表情。ええそうですよ。政宗のことを考えなかった日なんてなかったんだよ。そんな笑顔見せないでよ、嬉しいじゃないですかコラ。

「えーと……政宗サン、ここ日本なんですけど?」
「I know」
「分かってるなら日本に欧米文化を持ち込まないでくださいな。日本にはハグという習慣はないですよ?」

いきなり政宗に抱きつかれてしまったものだから、どうしたものかと両手をバタバタと動かしてみる。ここで絶対にやってはいけないことは、相手の背中に腕を回すこと。腕を回したら抱きつかれているから抱き合ってるに変化しちゃうからね。付け加えると、ちょっと苦しいです政宗サン。折れちゃう、ポキッと骨にヒビが入るどころか折れちゃうから。

「After all I do not match you」
「ごめん、バカだから何言ってるのか分からない」
「I give words wanting most anytime」
「………話、聞いてないでしょ?」

しばらくこのままの状態でいたが(決して私は腕を回してはいないからね)、やがて政宗の口からポツポツと言葉が漏れだした。それは自身の右目のことで、前に一度私が疑問に思ったことだった。手術して治ったのに、どうして眼帯なんかしてるの? 訊こうにも訊いちゃいけないような気がして訊けなくて、そのまま忘れていたけれど。話によると政宗の手術は確かに成功した。しかしその成功と、私の思う成功が一緒ではなかった。

政宗の右目は―――ない。というのも、政宗が行った手術は視力回復を目的とした手術ではなかったからだ。右目を切り取る手術……成功したというのは右目を喪う手術のことで、彼の右目に光は宿っていないらしい。右目がない……そう言ったとき、政宗の声色が僅かだが弱いものへと変わったように思えた。

だから安心させるようにおもわず背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめてみる。すると政宗も私を抱きしめる腕に更に力をこめちゃったものだから、「ぐえ!」と蛙が潰れたような声を漏らさないように我慢したのは内緒ね。あ……背中に腕、回しちゃったよ、やっちゃったァ……。

「政宗」
「An?」

思えば政宗が帰ってきて数日経ったけど、まだ言ってなかったように思えるから。十年前。政宗が渡米する日、私はアンタに「いってらっしゃい」って言ったよね。だから今度は……。

「………おかえりなさい」
「ただいま」

そう言ったときの政宗の笑顔を、私は一生忘れないだろう。

完