百物語十一ノ話「貧乏神」
その日銀時が松陽と暮らす家に帰ると、見知らぬ男が部屋の隅っこで顔を伏せたまま正座していた。
長い髪に顔を伏せていたため、一瞬女にも見えたが――、ぼろぼろな服装から覗く手足は間違いなく男のものだった。
お客かと銀時は初めは思ったが、松陽は今日は一日出かけているのでお客が勝手にあがってくるはずもないな、と思った。
ではこの男は一体何なのか。銀時にはそれがいまいちよく分からなかった。
盗人などの類かと思ったが、ただ男は隅っこで正座をしているだけであり、こちらに危害を加える気はなさそうだった。相手の敵意には敏感な銀時だからこそわかることだった。
「あのさ、」
銀時が思い切ってその男に呼びかけると、男はゆっくりと伏せていた顔を上げた。
長い髪が顔をあげた拍子にさらさらと流れるのが分かった。
痩せているが、よく顔の整った男だった。
意思の強そうな瞳をしていることも、じっと見てようやく分かった。
「あんた、誰」
「俺か? ……俺は、貧乏神だ」
「何それ。職業みたいなもん?」
「職業とはちょっと違うが……まあ、そうだな。そういう役割であり、名前だ」
銀時が話かけると、思ったよりあっさりと男は話に応じた。
「何でここの家にいるの」
「この家を貧乏にし、不幸にする為だ」
「…………だいぶ意味わからないんだけど」
「そういう、神様なのだ。俺は」
神様だ、というわりには全然そんな風には見えなかった。
銀時はもともと、神様なんて信じていないが、それでもこれは違うだろう、と思う。
部屋の隅で正座をして、生真面目な顔をしているこの男が神様で、しかも銀時を不幸にするものとはどうしても思えなかった。
「貧乏にするとか言うなら、うち来ても無駄だと思うけど」
「なぜだ」
「もともと、先生貧乏だし。俺が来て悪化したんじゃね? むしろ俺のほうが貧乏神だと思うけど」
「……そんなことはないと思うぞ」
「なんで」
「この家は幸せそうに見えたからな」
「……あんたさあ、本当に俺の家不幸にしたいの」
「したいとか、したくないとかではなく、それが俺の役目だからな。そうせざるを得ないだろう」
「具体的にはどうするわけ」
「そうだな……実はまだこの家が初めてとり憑いた家でな。何をしたら良いのかわからないから、考えていたんだ」
男はそう言うと、何を思ったかすく、と立ち上がって銀時の前まで来た。
背が高く、銀時は見上げる形になる。
「お前、名前を何と言うのだ」
「坂田、銀時だけど」
「銀時、俺は何をしたらいいと思う」
「俺にきかないでくんない」
「それは最もなんだが、例えばあれだ、されたら嫌なこととか言ってくれ」
「……庭の掃除?」
「庭の掃除か。されたら嫌なんだな。あいわかった」
男はそう言うと、すぐに庭に繋がる障子をバっと開き、傍に置いてあった箒でせっせと落ち葉を集めだした。
手際がよく、落ち葉が散らばっていた庭はすぐに綺麗になった。
神様とか言うくせに、不思議な力とか使わないんだ、と。銀時は冷静にそれを見て感心した。
銀時がただその様子を眺めていると、男は箒を持ったまま、またこちらへ近づいてきた。
「どうだ、銀時。これで、俺は貧乏神の役目を果たせているだろうか」
自分がいいように使われているなどとは全く思っていない顔だった。
しかも妙にやりきったような顔である。
それを見て銀時はちょっと申し訳ない気持ちになって、もごもごと小さく呟いた。
「……よくわかんないけど、あんた貧乏神向いてないと思う」
銀時がそういうと、男はきょとんと、意表をつかれたような顔をして固まった。
そして暫くそのまま黙り込んだかと思うと、ゆっくりと男の身体は薄くなっていった。
男のしっかりとしていた身体の線が形が、だんだんとぼやけていく。
消えるのか、と。すぐに分かった。
「どこいくの」
「向いてないか、俺には」
「向いてないけど――いなくなることはないんじゃね?」
「いや、俺も向いてないと、分かってた。存在を否定されてしまったら――もうここにはいられない」
「別の家にいくの」
「いや――多分、消えるな」
「もう、会えないの」
「さあな。また――縁があれば会えるだろう」
男はそう笑うとすう、と部屋の風景に溶け込むようにして、消えていった。
銀時が手を伸ばして男の手をつかもうとしても、感覚などなく、すう、と空気をつかんだだけだった。
その日の夜、松陽が帰って来て銀時が一連の出来事を伝えると、松陽は銀時の頭を優しくぽんぽんと撫でた。
「どうしよう、先生。あいつ、消えちゃった」
松陽の手の温かさに、銀時はなぜか自分が泣きそうになるのが分かった。
だって、あの手を自分は掴めなかったのだ。
あれから銀時がいくら手を伸ばして、部屋中探しても男は見つからなかった。
銀時が更に顔を暗くすると、松陽はまた優しく銀時に語りかけた。
「大丈夫ですよ。銀時」
「大丈夫じゃない……。あいつ、悪いやつじゃなかったのに。俺が、あいつの存在を、否定したから」
「あのね、銀時、貧乏神というのは確かに家を貧乏にしたり、不幸にする神様ですが、丁重に扱うと、福神に転化すると言われています」
「福神? それって、いい神様?」
「そうです。だからあなたの会った貧乏神も――きっと、福神に転化したのでしょう」
「なんで」
「あなたが、丁重に扱ったから、じゃないですか」
松陽にそう言われても、にわかには信じられなかった。
だって、自分はただ話をしただけなのだ。
お前には、貧乏神なんて似合わないと。そう言っただけなのに。
「そのうち、貴方にも幸福を届けに、会いに来てくれますよ」
「本当に?」
「ええ。すぐに、来ますよ」
松陽のその言葉で、銀時はようやくほっと胸を撫で下ろした。
確かに、あの神様は最後は笑っていた。
消えたにしろ転化したにしろ、あの笑顔は本物だったと思う。
例えもう会えなくても――、銀時はあの男を忘れないでいようと思った。
――『銀時』
――『縁があれば、会えるだろう』
それから数日後。すぐにあの貧乏神に良く似たある少年との出会いがやってくることを、銀時はまだ、知らない。
***
柚和/はるかげ