百物語十ノ話「口裂け女」



夜道、街灯の下に赤いコートを着た女が立っている。
後姿でその顔は分からない。長い黒髪は腰まで垂れる。
通り過ぎようとした時、女がふいに声をかける。

「ねえ、私、綺麗?」

マスクを外した、その顔は…




図書室にあった「ほんとうにあった怖いうわさ」、放課後に読んでいると銀時と晋助が寄って来た。
何の本かと聞かれたので声に出して読んでやると、晋助はそっぽを向いて銀時に至っては最初から耳を塞いで目まで閉じていた。

「そんなのウソに決まってる」

「ほんとうにあった、って書いてあるのに」

「大人はウソばっかりつくからな」

知った風に晋助は言うけれど、本当のところは嘘であって欲しいのだろう。
話が終わったのを察してようやく耳を塞ぐのをやめた銀時はうんうんと頷く。いつも諍いばかり起こしているのにこんなときは気が合うのだから不思議だ。

「ヅラ、そんな本いいから帰ろうぜ、公園行こう」

「ヅラじゃない桂だ。この本返さないといけないから先に帰っててくれ、新しいのも借りたいし」

銀時と晋助は顔を見合わせる。
図書館で三人か、桂抜きで公園か。
結局ふたりは後者を取り、小太郎はゆっくりと図書室で本を選ぶことにした。
今日借りたのは「にほん妖怪ずかん」、聞き慣れない言葉や漢字もあるけれど、全部にふりがなが振ってあるし挿絵もあるので、小学三年生の小太郎にも読めそうだ。

物心ついたときから不思議な話が好きだった。
そういうものを見たり聞いたりしてみたいなあと、小太郎は常々思っている。
わくわくしながら帰路につく。
図書室でも少し本を読んできたせいで、いつのまにかとっぷりと日は暮れていた。冬になるとなぜ日が暮れるのが早いのか、まだ学校では習っていない。
急いで帰るために近道になる公園を抜けようとしたところで、
「ねえ」
後ろから声を掛けられた。
心臓がドキンと跳ねた。道を曲がるまで、人の気配なんてなかった。声はすぐ後ろから聞こえる。普通なら気付いていた距離だ。
違う、そんなはずない。晋助も嘘だって言っていた。でも本には…、
小太郎はおそるおそると振り返る。咽喉がからからになって、足が震えた。
黒髪の、につり目の女が立っていた。
ゆっくりとマスクを外す。

「私、綺麗?」

耳まで裂けた口があった。


逃げなくちゃ思っているのに、足は地面に根が生えたように動かなかった。
その代わりに頭の中ではめまぐるしくいろんなことを考えていた。
ようやくまばたきがひとつ出来たところで、小太郎は口を開いた。

「…赤いコートじゃないの?」

口裂け女は黒いコートを着ていた。
彼女は真っ赤な口を開いたまま、小さく肩を竦めた。

「いまどき赤のコートなんて流行らないでしょ」

その口調がさっきよりいくらか親しみがあるように聞こえて、小太郎はなんとか一度深呼吸することが出来た。

「でも、本にそう書いてあった」

「その本、古いんじゃない?どうせ黒髪ワンレンなんて書かれてるんでしょ」

はあ、と女は溜息をついた。
小太郎はまじまじと彼女を見る。確かに鼻の下以外は、彼女はどこにでもいる普通の女の人に見えた。

「俺を追いかけるの?」

「あんた、逃げないじゃない」

「そうだけど…」

本にはそう書いてあったと説明した。きれいじゃないと答えると、どこまでも追いかけてくるのだと。手には鎌を持っているともあった。逃げ道や方法は本に書いてなく、だから銀時と晋助が余計に怖がっていた。
女は小太郎の話を聞いて、またひとつ溜息をついた。

「まあね、それが私の仕事だからそう思われても仕方ないわね」

「本当はいやなの?」

あんた、質問ばっかりねえと女が言う。呆れた風に、でも少し笑ったようにも見えた。

「こういう風にしたのはあんたら人間よ」

「俺たち?」

「そう。人間は妖怪を殺すけど、全部が全部を失くしたり忘れたくはないのよね、だから私たちみたいなのが生まれる」

まあ座りなさいよ、と女はベンチに腰を下ろして再びマスクをつけた。
小太郎も恐る恐る隣に座る。

「妖怪って信じてる?」

女に聞かれ、小太郎は頷いた。
信じるもなにも今その張本人に聞かれているのだ。否定するわけがない。

「そう。でもあんたみたいな子は多分いまどき珍しいの。人間は基本、私たちを認めない、信じない。ずうっと昔はそんなことなかったんだけど」

「でもたくさん本に載ってるよ」

小太郎は借りたばかりの本を見せた。
女はパラパラと本をめくった。

「ここに載ってるの、半分以上はもういないわ」

「えっ」

「妖怪はね、みんな定めがあるの。仕事って言ったらわかるかしら。山に暮らしたり、人を脅かしたり、逆に人を守ったり。みんなそれぞれ違うけど」

「お姉さんは、脅かすのが仕事?」

「まあそうね、今日は例外よ。だから私たちはその仕事を全うしてる。昔は人間もそれを信じてた。神様として祀られるのだっていた」

「今は違うの?」

「もう時代が違うのね、山は住宅地になって川もコンクリ、海だって埋め立てられる。妖怪は住処を失って仕事が出来なくなる。夜は私たちの時間なのに、電気がそれを奪った。それに何より、人間が私たちを信じなくなった」

女は遠くを見つめていた。
どのくらい生きているんだろう、と小太郎は思う。おばあちゃんより長生きかな、もっとずっとかな。

「忘れられると、私たちは存在出来なくなる。定めも失い名前も忘れられたら、私たち妖怪はいなくなってしまう、要は死んでしまうのよ」

倉ぼっこって知ってる?
そう聞かれ首を振った。

「座敷童子は有名だし住処を守られているから大丈夫だけど、倉ぼっこは消えてしまった。倉のある家なんていまどき滅多にないし、第一知っている人が少なすぎる」

あの子もずっと人間の傍で人間を守ってきたのにね、と彼女は呟く。
小太郎は手元の本をめくる。座敷童子のページはあったけれど、倉ぼっこという妖怪は載っていなかった。

「でも人間は昔ながらの妖怪を殺しておいて、どこかで求めているのね。だから私みたいなのが生まれる。面白半分の噂が絶えないから、私は存在してる」

「俺たちが噂するから、お姉さんはいるの?」

「そうよ」

人間の怖いものみたさ、好奇心。時代が変わってもそれはなくならないのだと言う。
恐怖心やスリル、それを楽しんで満たすために、現代の妖怪は生まれた。
昔と違い、情報は瞬く間に広がる現代だ。弄ばれるように生まれ、そうして消えていくものたちがいるのだと彼女は教えてくれた。

「私だってね、本当はずうっと昔にいたの。江戸時代、お侍さんがいた頃よ、でも人に危害を加えたりしなくて良かった。それを誰が言い出したのか、子どもを追いかけまわすなんて話が広がったから、そうしないといけなくなってしまった」

消え入りそうな声に、泣いているのかと小太郎は女の顔を覗き込んだ。
つり目の瞳は悲しげに揺れていた。

「お姉さんは、本当はしたくないんだね」

「こればっかりは仕方ないわ」

「…噂を変えたら、お姉さんの仕事も変わる?」

「…たとえば?」

「お姉さんは、大きい口でいろんな妖怪のことを教えてくれる、って」

あはは、と女は笑った。
面白いこと言うのねえ、と小太郎を撫でた。

「まあ私はいいのよ。自分で言うのも何だけど有名になりすぎたし。赤いコートはやめてほしいけどね」

それよりも、と彼女はマスクを外し、小太郎に耳を寄せた。
痛々しいほどに裂けた口を近づけられても、小太郎は逃げようとはしなかった。
彼女の言葉に、何度も何度も頷いた。




「あー、またお前なんか変な本読んでる」

「変じゃないぞ、妖怪の本だ」

「また怖いやつかよ、やめろよな」

銀時が耳を塞ぐ準備をする。
待って、と小太郎は制し、二人を座らせた。

「今日は怖くないぞ、良い妖怪の話だから」

あの晩、口裂け女は言った。
いなくなった妖怪のことを覚えていて欲しい。
みんなに話して、信じていて欲しい。
そうすれば、いつの日か消えた妖怪がかえってくるかもしれないから、と。

「昔々、倉ぼっこって言ってな……」

小さな優しい妖怪に会える日を夢見て、小太郎はゆっくりと語り出した。



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ちお/pixivID2329761

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