なまえは母親に似てとても華やかな人であった。写真越しでも雰囲気はとても似ており、だからこそレンは彼女に惹かれたのかもしれない。ここでなまえもレンに惹かれていたら、この先起こる葛藤や苛立ちはなかったことになるだろう。なまえにはレンだけが惹かれたわけじゃなかった。レンだけがなまえと出会ったわけではなかった。


 レンよりも先にレンの兄がなまえを見初め、なまえもレンの兄に惹かれ、二人がようやく結ばれたころになまえとレンは出会ったのだ。なまえは家柄は良く、お嬢様であった。だからレンの兄との結婚も反対されず、気がつけば婚約者という地位に収まっていた。レンにとっては非常に歯がゆいことであった。好きになった女性が義理の姉になるのだ。どんなに足掻いても関係を覆すことは出来ず、ましてや手を出すこともタブーである。しかし、ここで黙って引き下がるほどでもなかった。両思いじゃなくてもせめてなら片思い、もっと上手く事が進めばなまえの気持ちはいつのまにか自分に向き……とまで考えていた。愛に束縛など必要ない、好きなように愛し合おうなんて熱弁をふるうけれどそれはすべてレンの想像の中であって現実は大きく異なるのだ。


 とある日、レンとなまえはダーツをしていた。レンとともになまえも指先が器用なせいか、二人とも巧みに矢を投げていた。レンは指先で矢を遊びながら、今から投げようとするなまえに喋りかけた。


「なまえさん、またダーツ連れてってくれないか」
「レンくんはまだ未成年だから、日付が変わる前には帰ろうね」


 なまえはレンの言葉などちっとも気にとめてないせいか、軽々と真ん中を射抜いた。


「つれないなあ、レディ」
「それにダーツするなら、レンくんの家にあるじゃない」
「なまえさんだってあるだろう」
「雰囲気が好きなの。それに最近あの人なかなかかまってくれないし」


 あの人とはレンの兄を指しているのだろう。かまってくれないと拗ねるなまえだけれども心底臍を曲げているわけではない。次男が仕事で忙しいことを十分承知しているし、自分のために時間を割くのであったらその分休んで欲しいと願っている。なまえはただ単にその台詞を言ってみたかっただけだ。


「なら、代わりにオレがかまってあげようか?」
「レンくんはかまってほしいんでしょ?」


 何人もの女を落としてきた艶かしいレンの視線もなまえの前では全く意味がない。ケロリとした表情で逆にレンを挑発する。「ほら、今度はどうするの?」なまえの手首を掴み、耳元で甘ったるい声で囁いてやろうかとレンは思った。
しかしその行動もなまえにとっては手を取るようにわかる。「ほら、貴方はそうやって味気のない甘い台詞ばっかり言う、三流ね」ポーカーで相手に自分が狙っている役がバレているみたいだった。レンがスリーカードを狙えばなまえはフラッシュで返してくる。フルハウスを狙えばフォア・カードで返してくる。自信満々で出した役をクスリと煽動的な笑みを浮かべてつき返すのだ。おまけにかけたものまでごっそりと持っていく。金か、物か、約束か。「オレの心を奪っていった」といえば「奪われたなら取り返しなさい」とほどよく冷めた瞳でレンを見つめ、微笑する。顔にでているのかとレンは自らの顔を手で触るけれど、いつもより熱いことしかわからなかった。


「バイクを乗り回してること、バラしてもいいの?」
「とっくの疾うにバレているから平気よ」
「まさか世間でも有名な財閥のお嬢さんが夜中にダーツバーに出かけたり、バイクを乗り回してるなんてね」
「そんなお嬢様はいやだ?」
「そのギャップ、オレは好きだよ」
「ありがとう、でもあの人がいやだっていったらちゃんとやめるつもりだから大丈夫よ」


 目を細めて年相応の柔らかな笑みを浮かべるなまえにレンは少々ムっとした。自分のことは年下だからといって子供扱いしてあなどるくせにレンの兄の前になると、急にしおらしくなる。よく言えば可愛げがあるのだが、レンはそんななまえをただの猫をかぶった傲慢な女と心の中で評していた。惚れた弱味だからといって兄に対しては素直になり、レンには見せてくれない控えめな温和な笑みを始終浮かべている。その割りに弟に対してはぞんざいな扱いだ。少しぐらい甘やかしてくれたっていいじゃないか。しかしレンはなまえを姉として甘えるつもりなんて微塵もないし、なまえもそんな態度のレンを甘えさすはずがない。レンの甘えをなまえが許せば、彼は攻略できた達成感からなまえへの興味を失い始め、やがては飽きるだろう。それを見越してなのか、なまえはレンを突っぱねた。「意地悪な人だ」と不貞腐れるなら「かわいそうに」とわざとらしく眉を顰める。全く手の出しようがない高嶺の花のような存在だからこそ、レンはなまえに惹かれた。



 好きという感情も何れは憧れに変わっていった。一生自分に振り向いてくれることなんてないのだから、こっそりと恋焦がれていればいい。自分の傍にいなくても構わない。なまえにあげる熱はどんどん風化していく一方だが、それは崩れない美化された想いへと進化していった。幸せそうに笑うなまえを妬むのではなく、そんななまえをだんだんと愛しく思っていった。そんななまえを愛しく思う自分を好きになっていった。幸い、自分にも七海春歌といったなまえとは違う意味で惹かれる存在ができた。いつか彼女をなまえに会わせてみたい。逃がした魚はでかいぞ、と暗に知らせてなまえを畜生と悔しがらせたい。なまえは露骨には表情に出さないだろうと、もちろんレンはふんでいた。心の片隅にでも引っかかるだけでよい。
それだけでレンの勝利を確定し、やっとのことなまえの興味を自分に向かせるという目標を達成できることになる。


 しかしレンのその目標を達成する前になまえに転機が訪れた。次男の子を妊娠して出産まで至ったのだ。自分が生まれてすぐに母親が死んでしまった過去があるレンにとって出産とは非常に恐ろしいものであった。もしかしたら自分のように生まれた子供がなまえの命を奪ってしまうかもしれない。心の中はひどく冷たく震える。自分が怯えていることを悟られないようにポーカーフェイスを装い、ダーツをするけれど今日に限って矢は中心を外れる。縁起悪い。レンの苛立ちは一層募った。もし今回のことでなまえが死んでしまったらどうしよう。なまえは体は強いほうだから成功するだろう。けれど人に不運は予測できない。集中豪雨はいきなり降ってくるし、落雷はどこに落ちるかわからない。本当は神様なんていう抽象的なものに頼りたくないけれど今回ばかりは神様という存在を信じようと思った。なんという都合のいい奴だと逆に神様は怒るかもしれない。しかしそれでも祈りたかった。なまえが無事なように。母親のときのように無慈悲にも奪わないでください。レンは瞳を瞑ってひたすら願った。


 レンの願いが通じたのか、それとももともとこの出産は無事に成功する運命だったのか、なまえと赤ちゃんは元気に事を終えた。それから赤ちゃんはすくすくと育ち、ハイハイできるまでになった。レンが赤ちゃんを抱っこすると柔らかい手でレンの顔を叩くように触ってきた。顔はまだ幼いからどっちに似ているかよくわからない。けれど女の子だからなまえに似たらいいな、と内心思っていた。生暖かいぬくもりを堪能したレンは正面で微笑んでその光景を見守るなまえに赤ちゃんを渡した。なまえはあれから落ち着き、すっかり母親の顔になっていた。子供を抱っこして微笑むなまえを見てレンは柔和な笑みを浮かべた。ガラス越しに降り注ぐ日差しはなまえの顔に影を作り、長い睫のシルエットが頬に浮かぶ。無償の愛で大切に慈しむ母性はレンまで感受し、彼は今まで見たことない美しい光景にそっと息を呑んだ。この上なく愛しいと思った。男女関係の愛ではなく、言葉に表せない胸の底から溢れだす愛しみに体がじんわりと痺れた。なまえは赤ちゃんの背を優しく擦りながらいった。


「貴方もこうして愛されて生まれてきたのよ」


 なまえの言葉にレンは目を見開いた。母親から愛される?自分のせいで母親が死んでしまったレンにとって母親の愛とは間接的なものであり、直接受け取ったことはなかった。もしも母親も自分も無事だったら、こんな風にして自分のことを抱いてくれるのだろうか。咄嗟にレンはなまえと赤ちゃんを置き換えてイメージしてしまった。
その瞬間なまえがとてつもなく眩しい存在に見え、ああ、ありがとう、とひそかに感嘆した。目頭が熱くなり、じんわりと涙腺が緩んだ。



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