※西暦1000年頃のライオコット島のお話。

 なまえはゆっくりと緑深き森の中を進む。もうすぐ秋が近いせいか、ちやほらと茶色の枯れ葉が混ざっている。皮でできた簡素な靴でざくざくと草を踏みしめ、歩いていく。そして森を越えた先には切り立った崖と広大に広がる青空のように青い海が広がっていた。なまえは軽く息をついて近くにあった岩に腰をかける。綿でできた服を着ているせいか、時折吹く風が体を撫で、とても涼しい。漣が立つ音に耳を澄まし、ぼんやりと目の前の広がる情景を眺める。そんななまえの後ろからこっそりと忍び寄る影が一つ。その影は忍び足でなまえの背後からゆっくりと歩み寄ると、一旦呼吸を整え、意を決するとなまえに勢いよく飛び掛った。


「今日こそてめえの魂を喰わせてもらうぜ!!」


 デスタをそういってなまえに襲い掛かった。しかしそれよりも早く振り返ったなまえの拳が見事にデスタの頬に入り、デスタは殴られた勢いで軽く吹き飛び、地面にへたばった。一方なまえは表情ひとつ変えず、冷めた瞳で地面に倒れるデスタを見下す。そして口を開いた。


「いい加減しつこい」
「いって……ったく容赦ねえな」



 デスタは殴られた頬を片手で押さえるとたいそう表情を歪ませ、なまえのことを睨んだ。なまえはそれを鼻を鳴らして軽くあしらうとまた岩場に腰をかけた。デスタは腰を上げ、なまえに歩み寄ろうとしたが、なまえから一睨み。牽制を喰らう。しょうがないのでデスタは近くにあった大木に背を預け、手を頭の後ろで組んだ。なまえはひとまずデスタが襲ってこないことを確認し、安心すると同時に呆れた物言いで言った。


「どうしてそんなにわたしの魂を食べようとするの」
「この島で一番偉い神官様の娘の魂、上玉じゃないわけねえだろ」
「娘か。別に娘だからってわたしはそんなに偉い力は持ってないよ」
「つべこべ言わずにてめえは魂食われてればいいんだよ」
「いつかあんたのこときれいさっぱり浄化してあげる」


 この胸糞悪い悪魔め、となまえは悪態をついた。するとデスタは眉をぴくりと動かす。どうやら気に障ったようだった。


 なまえとデスタの初めて出会った場所はここだった。ついでにシチュエーションも同じだ。襲い掛かってきたデスタをなまえが殴り返したことをきっかけに二人は出会った。なまえの村は天使を崇拝する傾向があり、悪魔は対を成すものとして嫌われていた。そんな村で育ったなまえは最初デスタの姿をみた瞬間、悪魔だと悟り、たいそう毛嫌いしていた。しかし、だんだんと日にちが立ち、デスタと関わっていくうちにしてその態度はいくらか軟化した。軟化したとは言っても、殴るとき以外、なまえは自分の半径一メートル以内にデスタを絶対に入れようとはしなかった。そこらへんはきちんと隔てているらしい。デスタもデスタで最初は神官の娘という貴重な魂に目が奪われ、喰らいたいという一心で襲い掛かったが、こんなにも荒々しい娘だとは思わなかった。おとなしそうな見た目とは裏腹な行動に最初は目を剥くばかりであったが、だんだんデスタの闘争心に火がつき、絶対魂を喰らってやると激しく燃え上がった。まさに犬猿のような仲の二人だった。


 白い波を立たせる海を眺めていたなまえであったけれど、しだいにどんどん眉間が険しくなっていく。そして声を荒げた。



「どっかいってよ。気が散る」
「無理だな。オレはオレでタイミングを見計らってんだよ」
「なら一生そこにいな」
「いちいち気に障る女だな」
「あんたの顔のほうは不快になる」


 今度はデスタが盛大に眉を顰めた。一方なまえはふんとそっぽを向いている。しだいに痺れを切らしたデスタが再びなまえに襲い掛かり、見事に返り討ちにあう。そんな風にして日常は回っていった。しかし、喧嘩するほど仲がいいというのか、だんだんと二人はお互いをそこはかとなく認めていった。もともと神官の娘というレッテルにあまり社交的でないせいか、友達が少ないなまえは唯一気を使わずに話せる相手はデスタだけだった。デスタもたいそう腹の立つやつだと思うけれど、心の底から嫌っているわけではなさそうだった。むしろなまえのつんけんとした物言いが彼の心を揺さぶる。いつも気丈で百合のように高潔ななまえのことを気に入っていた。



 ある日、いつもと変わらず、なまえは岩場に腰かけていた。デスタはなまえの姿を見つけた瞬間、にやりと笑う。気配を消してこっそりとなまえに近づき、連日と同じように背後から襲った。しかし、今日のなまえはどことなくいつもと違った。一向に殴りかかってこない。それどころか軽く下に俯いていた。不審に思ったデスタはなまえに襲い掛かる直前で止まった。おい、と声をかけてもなまえは反応しない。デスタはなまえの正面へと回り込み、顔を覗き込むと、嘲笑った。


「いつもの威勢はどうしたんだよ。殴りかかってこないなんて珍しいじゃねえか」


 そういってデスタはなまえの髪を両手でくりゃりと触った。予想以上に柔らかい髪とふんわりとした花の微香に目を丸くする。人の髪の毛がこんなにもしなやかなものだとは思わなかった。体の底から面映くどこかもどかしい、けれど優しくて温かい何かがこみ上げてくる。デスタはなまえの髪に指をとおす。途端に先ほどこみ上げてきたものが体の芯を揺する。一回、とくんと胸が高鳴った。ずっと俯いていたなまえが静かに口を開く。



「悪魔って、悪いやつばっかりだと思った。たしかにそうだけど、そうでもないって思うようになってきちゃった」
「……それで?」


 デスタが聞き返すとなまえは口を真一文字に噤む。しかしすぐに口を開いた。今度口から出てきたのは勢いのいい罵声だった。


「それだけ。それよりさっさと離れて!」


 そういってなまえは立ち上がるとともにデスタの胸を力いっぱい押した。デスタはいきなり押されたことにびっくりし、そのまま地面に尻をつけた。なまえはそんなデスタを見て、たいそう満足そうな表情をした。ふふんと鼻を鳴らす。


「それじゃあ、わたし用事があるから」


 なまえは手を軽く振って、デスタに背を向けると、森林へと走っていった。デスタはてめえと声を荒げて急いで腰を上げるが、すでになまえの姿は森の奥深く。肉眼では確認できなかった。デスタはやられたと苦虫を噛み潰したような表情をした。しかし、デスタの心の中は思った以上に穏やかだった。デスタはこれを不思議なものだと感じた。このとき、なまえといると楽しいと感じる自分がいることに、デスタは未だに気づいていなかった。







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