多忙なフレンも漸く休みが取れて、ユーリと2人で初めての旅行に行く事になった。とは言っても余りお金をかけられず近場の水族館になってしまってフレンは大変ユーリに申し訳ない気持ちだったが、ユーリはそんなことも気にせず実に楽しそうだった。
「楽しみだなぁ水族館。絶対イルカのショー見ようなっ、フレン!」
そう言って珍しく素直に笑うユーリにフレンも思わず笑みを零した。ユーリが喜んでくれるならフレンだって嬉しい。
「そうだね。1番良い席で見られたら良いね」
「おお!そしたら絶対写真いっぱい撮るんだ」
首に提げたカメラを自慢げに示すユーリ。ユーリがいつも愛用しているカメラだ。元々は近所の野良猫を撮っていたようだが、最近は専らフレンとユーリのツーショット写真を撮る時にお世話になっている。
水族館へ行く電車を待つ間にこやかに会話していると突然会話を遮るように電子音が鳴り響いた。発信源はフレンの携帯だ。
フレンとユーリはお互い強張った表情で見つめ合い、しばし2人の間に沈黙が落ちた。嫌な予感がする中フレンは恐る恐る電話に出た。
「もしもし…ああ………え?」
フレンが一瞬こちらを見てまた電話口を見る。
「…そんな馬鹿な、なんで……昨日ちゃんとやっただろ」
こちらに聞こえないよう配慮してか電話口を片手で覆いながらひそひそフレンは話している。だが周囲があまりに静かなため途切れ途切れだがその会話が聞こえてしまう。怒りをはらんだようなフレンの声をぼんやり聞きながらユーリは無言で繋いでいる手をじっと見つめた。聞こえてくる声を繋げれば悲しい事に電話の内容は容易に想像できてしまった。
(旅行…無理かもな)
どんなに頑張って休みを取ったと言っても所詮雇われの身のフレンは呼ばれたら会社に行かなきゃならない。何もこんなタイミングに電話が来なくても…。そんなことを思いながらユーリは無意識の内に繋いだ手に力を込めてしまった。
「……どうしても今日じゃなきゃダメなのか?」
その言葉にぼーっとしていたユーリがはっとフレンを見つめた。フレンは必死に電話の相手と交渉している。いつも仕事で忙しいフレンが仕事より何かを優先しようとする姿をユーリは初めて見た。
ユーリ達が乗る予定だった電車が来て、フレンが焦った様子で電話を続ける。
「せめて明日じゃ…ああ……だけど…」
発車のベルが空しくホームに鳴り響いた。これを逃せば次の水族館行きの電車は1時間後だ。ホームに居た駅員にどうするのかと目で問われた。
フレンは電話でいっぱいいっぱいで駅員には気づいていない様子だった。代わりにユーリは目を伏せ、緩く首を横に振った。
間もなく電車は遠ざかり、ホームに残されたのはユーリ達だけとなった。電車の姿が見えなくなって急に静かになり、やけに蝉の声だけが迫るように耳に届いた。
「……わかった………すぐに行くよ」
フレンが電話を切ってゆっくりこちらを向いた。その顔は迷子になった子供のように泣く一歩手前の表情で、目の前に居る人物のが自分より年上だとは到底思えない様子だった。
「ユーリ…あの「よっし、帰ろうぜ!」
ユーリは深刻にならないよう可能な限り明るく笑ってフレンの言いたい事を代わりに言った。
「仕事、なんだろ?」
「っ…ごめんユーリ、急に予定が入って」
「そりゃ仕方ないさ。水族館はまた今度だな」
「本当にごめん…穴埋めは必ずするから」
「良いってば。穴埋めとか気にすんなよフレン。それより早く仕事行かないと怒られちまうぜ」
何度も頭を下げるフレンを留めてユーリは何でもないように言った。そしてフレンと繋いでいた手をそっと離してフレンの前を歩きだした。
「…我が儘なんて言えねぇな」
ユーリはまだフレンの温もりが残る手をぎゅっと握りしめた。
フレンが仕事ではなくこちらを優先させようとしてくれた気持ちだけで十分だ。水族館なんてまた何時だっていけるさ。そんな事より自分がフレンの邪魔になってはいけないのだ。
鼻の奥がつんとしたが気づかないふりをした。
ほどけた手と手
(本当は離さないで、なんて)
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