テネルの小さな鍵 | ナノ


▼ 星空の元で


時刻は夜、辺りは闇に覆われ人々の暮らしすらも感じられない時刻。
就寝しようとベッドに潜ったテネルだったがセーレに止められ、抱きかかえられながら外へと出ていた。
季節は夏といえど夜は冷え、テネルは体を縮こませながら羽織を掴む。


「お眠りになられるところ申し訳ございません。本日はどうしてもお嬢と見たいものがございまして…」

「…風邪を引いたら…貴方のせいよ…」


すみません、とセーレはそう口にして歩を進める。
どこに向かうのかも何も伝えず、防寒具を羽織り悪魔に抱えられ、闇に進む。
テネルの色素が少ない瞳は光を取り込むことができず、人よりも見えている世界はぼやけている。
そして空に光る星や月の光も取り込めない瞳は余計に彼女の世界を奪っていた。


「…何も見えないわ。どこに行っているの」

「大丈夫ですよ。何もいきなり地獄に連れて行ったりしません」


この調子では目的地にたどり着くまで教えてくれそうにない、テネルは理解してため息を吐いて暖を取るためセーレに擦り寄る。
ザクザクと草を踏みながら暗闇に歩を進める悪魔はそんな少女に一つ笑みをこぼした。


「本日は世界中で有名な行事の日なのですよ。お嬢はご存知ないと思ったので教えて差し上げようかと思いまして」

「面白くなかったりくだらなかったら承知しないわよ」

「はい、大丈夫です」


悪魔だと言うのにとても暖かい腕、静かな時、人間と同じように刻まれる鼓動、自分を受け入れてくれているという安心感。
今日もまた一日中人形に向き合っていたせいで疲れがあり、心地よい振動にテネルのまぶたが重くなる。
男は地獄に連れて行ったりしないと言ったが、もしこのまま地獄に連れて行かれたとて文句を言うつもりはなかった。
それほどこの世は生きにくく、テネルに冷たく、残酷なのである。

万物になくてはならない太陽は彼女の敵で、同じ種族同じ人間には厭われ、夜は光が足りず結局は多くを闇に閉ざされる。
暗い屋敷にただ一人、使用人にも心では嫌がられているのもわかって居て、彼女の味方はいない。
同じ人間でありながら弱者を貶め、同じ心を持つ者に傷つけられた。
幼い子供でも容赦はなく、時には死すらも覚悟した。
だがそんな彼女の孤独を埋めたのは人ならざる悪魔…セーレであった。
最初こそは物珍しげに見られはしたが、厭うこともなく人として扱われた。
馬鹿馬鹿しい、ただ少し普通の人間として扱われたくらいで…そうも思ったが、セーレしか味方だと思える者がいないのも事実。
例えそれが契約者という関係だからという理由でも、普通の娘のように扱ってくれるこの腕が嬉しかった。
父や母はこのように自分を抱きはしないだろう、ただ冷たい目でテネルを見るだけだろう。
この男に地獄に連れて行かれるなら悪くない。


「…………」

「もう少しかかりますから、お眠りになられても大丈夫ですよ」

「……」


言われた通りにテネルはセーレの肩に頭を乗せるようにして目をつむる。
他の人間たちは普通に…何事もなくこの穏やかさを手に入れているのかと思うと妬ましかった。


***


「お嬢、起きてください」


次に目を開けたのはだいぶ屋敷から離れた場所であった。
弱視のテネルは鼻がよく、匂いに非常に敏感なのである。
森や川の匂いまでする場所は屋敷の近くにはなく、故に遠い場所まで来たことを見るまでもなく匂いで察したのだ。


「…だいぶ遠くまで来たのね」

「はい。もう、着きますよ」


こんなところまで来たら余計冷える、そう思ったがいつの間にかテネルの上にはセーレの着ていた上着がかけられており、寝ている間にかけられたのだろうと理解する。
どこまでも優しい悪魔である、風邪でも引かせれば運良く病気をこじらせ死ぬかもしれないというのに。


「寒くありませんか?」

「…ええ」

「良かったです。お嬢、到着しました」


セーレはテネルを降ろすと、どうですか?と口にする。
月の光は弱いといえどテネルの薄紫色の瞳にその景色をかすかに映した。
そこは小高い丘であり、テネルも知らない場所だった。
辺りには森しかなく、森に避けられているようにその丘はあった。


「お嬢、一時的となりますが…今日は特別です、その弱視を和らげましょう。私に願ってください」

「その代わり、とかないでしょうね」

「いいえ、あります。今日この素晴らしい夜空を一緒に眺めてください。ただそれだけです」


セーレの顔も見えづらいが、彼が笑っているのはよくわかった。
彼に願えば男はそれを忠実に叶えてくれる、それは無理難題でもなんでも叶える。
しかしあまりに大きなことを望めば望むほど墓穴を掘り、契約者はその墓穴に埋まることになるだろう。
弱視を一時的に和らげる、それは彼女を守るためなのである。
契約者が死ねば悪魔は自由になれる、しかしこの男は進んでテネルとともに長い時間過ごそうとするのだ。
不可解であったがセーレがテネルの頬に触れると、テネルは願いを口にしていた。
男は返事をすると右手を少女の目の前にかざし、少女はそれを静かに眺める。
切れ長の氷色の瞳を細め、口元を吊り上げて、掌から闇の中でもわかる闇を出しそれがテネルの瞳を覆う。
目の奥に何かが入り込むのを目を強くつむりながら感じたあと、恐る恐る目を開くと見たことのないほど鮮明な世界が広がっていた。


「………!」

「本当ならその視力を保たせて差し上げたいのですが、私の能力がお嬢を殺してしまうのは恐ろしいのです。申し訳ございません」

「…貴方達は…こんな…こんなにも美しい景色を見ていたのね…」


それは初めて見る光景だった。
淡く光る星という存在、薄らと光を届ける月、そのかすかな光に照らされる自然。
儚く、壮大な、人間には作り出せない自然の美しさ。
空は敷き詰められるように星々は煌めいており、テネルは見上げるがあまり足元をふらつかせる。
あっ、と声を漏らしたがセーレが肩を抱き寄せたことで転倒することはなかった。
子供のように夢中になってしまったと気恥ずかしさを覚えるが悪魔はいつも通り優しく笑んでいた。


「お嬢、座りましょう。寒いと思いますので私の膝の上にどうぞ」

「…まぁいいわ。貴方が見せたかったのはこれ?」


胡座をかいた膝の上に腰を下ろすと、テネルの腹に悪魔の腕が回され、ぎゅうと抱き締められる。
一瞬驚きで息を詰まらせたが、動じているのを隠すようにため息をついた。
しかし悪魔はそれだけで終わらせず、テネルの首元に顔をうずめると唇を落としたのだ。


「っ!」

「…きっと私はお嬢より美しい景色を見ているんだと思います」

「…見ているものは同じよ…」


寒さからか、それとも別か、ぞくりとした感覚を消すために少女は首をすぼめ、俯いた。


「いいえ、月に星々、美しい夜の森…それから何よりもお嬢が私の視界にはいます。自然の光に照らされるお嬢は胸が締め付けられるほど美しい」

「……今日は何かを教えてくれるのではなかったのかしら」


この調子では永遠に戯言に付き合わされるだけだろう、恥ずかしさすらも覚えるその言葉を終わらせるために本日ここに来た理由を問う。


「ふふ、相変わらずつれませんね。いいでしょう、お話いたします」


睡眠時間を奪っておきながらいいでしょうと言う悪魔に少々思うところはあったが、セーレは彼女に問われたとおり話を始めた。


「この話は世界中に様々な話として伝わっております。頭上に川のようになっている星々がありますね?見えますでしょうか」

「ええ、見えるわ」

「では川を挟むように二つの大きく輝く星があるのはご確認出来ますでしょうか」

「ああ、あの星ね」


男に抱き寄せられながら星を見上げる、このような日が来るとは思ってもいなかった。
何故こんなにも満たされるような気持ちになるのか、ただそばにこの悪魔が契約通りにいるだけだと言うのに。


「あの星々は川に隔たれた男女の星なのです。男と女は仕事を怠けたせいで神に引き離され、あの様に川で自由に会うことができなくなりました」

「…それが?怒りを買って当然でしょう」

「お嬢ならそう仰ると思いました。そして神は二人が再び仕事熱心になれば一年に一度だけ逢瀬を許したのです。二人は会うために仕事熱心になり、今日一年に一度だけの逢瀬を楽しんでいるのですよ」


ふぅん、と神によって隔てられたという星々を眺めながら曖昧に相槌を打つ。
彼女がさほど興味を持って居ないことに気がついたのか、セーレは苦く笑い、一つ謝罪を述べる。


「お嬢はこのような話には胸を打たれない方でしたね」

「だって当然じゃない。…でも、まぁいいわ。貴方が居なければ私は一生この景色を見れなかったもの」

「喜んでいただけましたでしょうか」


テネルは小さく頷き、限られている時間の中目に焼き付けるように星空を見上げ続けた。
また願えばこの男はこの景色を見せてくれるのだろう、だが思い出というのは一度しかないから感動も嬉しさも胸に残るのだ。
もう二度とこのような景色を自ら見たいと望むことはないだろう。


「…綺麗だわ…本当に…」

「ふふ、お嬢が望めば星空をも差し上げますよ?」

「結構よ。でも、しばらく眺めていたい…」


目を細めため息すらも出る景色、やはり自分は朝よりも夜が好きだと改めて思う。
本でしか知らない世界はこんなにも素晴らしい。
もっと見たい、けれどそれは己の存在が許さない。
現実に心が冷めていくのを感じて俯くと、背後の悪魔がどうしました?と声をかけた。


「いいえ…少し欲深くなってしまっただけよ…」

「…お望みのこと叶えましょうか?例え、私との契約が露見しても私はお嬢をこの命に代えてもお守りいたします」


耳元で優しく悪魔が囁いた。
紛れもない、とても魅力的で甘美な悪魔の囁きである。
その言葉に縋りたいと思ってしまう、こんな綺麗な景色を、普通の人間の人生を送ることを許されて居ないこの運命を変えてしまいたいと思ってしまう。


「……黙りなさい。私には必要ないわ…」


頭を振って悪魔の囁きを振り切った。
この男は優しい顔をして稀にこのように振り切るのだって苦しいことを誘惑してくるのだ。
こんな時ばかりは素直に憎い。


「そうですか。…すみません、性のようなものでして。でもお嬢の望むものを全て差し上げたいのは本当ですよ」


いつの間にか緩んでいた腕が離され、思わず振り返ると肩を荒々しいとも思える力で掴まれる。
驚きで息をのんでいると、向かい合うように抱き寄せられていた。


「ちょ…ちょっと、なに…っ」

「だめですか?星ばかり見るのも良いと思いますがどちらかといえば私はお嬢の方が見たいので」

「…もう、眠いのだから本当に少しだけよ」


セーレは嬉しそうに口元を緩めると、恥ずかしそうにしながらも抵抗することなく抱きしめられているテネルを気が済むまで眺め続けていた。



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七夕だったのであまり七夕に触れられていないセレテネ

ただイチャイチャしているのを書きたかった













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