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次の日、学校がなんだか騒がしかった。僕の下駄箱も机も、何も被害がなくて、いったい何が起こったのかと思った。

どうやら、僕の二つの学年、つまり三年生で、転入生がきたらしく、その人はどうやら芸能人なのだとか。

なかなか有名らしいが、テレビも見なければ音楽もさほど聴かないし、学校以外で家を出ることもせず、さらにインターネットをも使わない僕に芸能人なんて知る由もない。だから興味がまったくない。たとえスポーツ選手だろうがピアニストだろうが、アイドルや芸能人でも、僕の唯一の趣味といえば読書だけだから、まったくわからない。

「最高。この学校でよかった!」
「ほんとよね。あんな気持ち悪い奴と同じクラスなの最悪だと思ってたけど、やっぱ神様に見捨てられたわけじゃなかったのね」

アレンは黙って鞄に教科書を押し込んだ。毎日毎日気持ち悪いと言われては、もはやゲシュタルト崩壊を起こしてしまい、言葉の意味すらわからない。

授業中は、お気に入りの本をこっそり読んで一日が終わるのを待つだけ。

アレンは早く帰りたくて、支度をするとそそくさと教室を飛び出した。いつものことだ。

教師に発言を求められることがなかった日は、一言も言葉を発することなく一日を終えるのが通常で、今日もそうだった。

幼い頃に捨てられ、拾ってくれた育ての親と二人で暮らしていたのだがその義父が仕事で海外出張となり、今ではもう家ですら言葉を発することがなくなっていた。

家に帰ると、お気に入りの作家の本を読むのが唯一の楽しみだ。赤井孔明という作家で、すごく素敵な恋愛小説を書く。ただ、いつもヒロインは、最後には死んでしまうという結末になるけれど。それでも人を魅了する作品で、新作の前編だけで、すでに発行部数は世界でなんと二千万部を消えたそうだ。

そんな読書生活が長くなると、会話というものの仕方を忘れてしまうもので。


「あっ、あなた、もしかしてアレンくん?」


道端でたまたま出会った、小学校のときの友達となんて、どう会話すればいいかなど到底わかりはしないのだ。

「あ…り、リナ、り…?」
「やっぱりアレンくんだ。元気にしてた?」
「あ、あの、その…うん…」
「そう。よかった!私ね、久しぶりにこの町に用事があって来たの」

昔からいじめられていた僕を、唯一味方して庇ってくれていたのが彼女だった。そんな心強い彼女は小学校を卒業する間近で親の仕事の関係で、二つか三つ隣の町へと転校していってしまったのだ。

あの時の心細さといったら。

悪魔の住む樹海に、たったひとり取り残されたかのような気分だった。

「な…何の用事で、その…」
「ん?友達の荷ほどきの手伝いよ。一人暮らしだから手伝ってほしいって頼まれたの」

この流れだと、じゃあねと手を振り去って行かれる。そう思ったアレンは少し焦った。久しぶりに自分と仲良くしてくれる人間に会ったのだから、もう少し一緒にいたかったのだ。けれどそんなことを言い出す勇気があるはずもなく。

「ああ、あ、あの…っ」
「なあに?」
「…あ、ええと…えと…」

緊張しすぎて呂律がまわらない。オドオドとしていると、リナリーが笑った。恥ずかしくなって、赤くなって俯くアレン。

「良かったらアレン君も手伝いにきてくれない?」
「え?」
「もちろん暇だったらでいいんだけどね。久しぶりに会えたから、もう少しお話してたくて」

本当に天使に見えると、アレンは内心そう思った。何度も頷くと、リナリーの白くしなやかな指が、皆から忌み嫌われている原因である赤黒い手を掴んだ。

久しぶりに他人にこの手に触れられ、少しドキンとした。リナリーの手はとても温かく、アレンは自然と笑みを浮かべた。

他愛もない昔話をしながら、リナリーの友人の家に向けて歩くうち、空は夕焼けの赤よりも、夜の闇のほうが強くなってきた。

翌日は土曜日だから、特に気にならなかったが、彼女が手伝いを終えた後どうするのか気になった。荷解きを終えるおおよその想定の時刻を計算してみようかと腕時計を見ると、リナリーは焦ったように前方を指差した。

「ごめんね、ちょっと遠くて。そこのマンションよ、友達の家」
「うわ…高級マンションだ…」
「いいとこに住んでるよね。ちょっと有名だからって調子のってる!」

ね、と笑うリナリーが可愛くて、こんな可愛い子が彼女だったら毎日幸せだろうなぁと頭の隅で考える。でも、彼女になってくださいといえる勇気はあいにくながら持ち合わせていない。

高層マンションの、なんと部屋は最上階だった。

金文字で「3705」と書かれた扉の前でリナリーは足を止めた。インターホンを鳴らす。

がちゃり、と金のドアノブが動いて、静かに扉が開かれた。



中から現れたその男性に、僕は釘付けになった。

赤い髪に、翡翠色の垂れ目、背は高く、鼻筋が通っており、ドアノブにかけられた指は長くて骨張っている。

「よっ、リナリー」
「もう荷物全部届いてるの?」
「うん。つい先刻全部揃ったさ。…って、そこの子は?」
「ああ、私の幼馴染よ。アレン君。途中で会ったの。彼も手伝ってくれるの」
「え、いいん?ごめんねいきなり」

いいえ、と言いたいのに、究極の人見知りが発動してしまって、言葉が出てこなかった。

とりあえず入ってと言われて、二人は家の中へと入る。

ただただ広い部屋で、リビングと寝室は一面がガラス張りになっており、夜景が一望できる。アレンは言葉こそ発さないものの、感動のあまり目をキラキラさせて窓ガラスにへばりついた。

「この街の夜景、綺麗だよね」
「!」

夜景に夢中になっていたら、背後から急に声をかけられた。アレンは大袈裟なほどにびくりと飛び跳ねてから振り返ると、何度も頭を下げる。

「ご、ご、ごめ、ごめん、なさ…っ。あの…すいませ…」
「なんで謝んの?」

リナリーの友人はおかしそうに笑った。少し恥ずかしくなって、アレンは赤面して俯く。

「あはは、可愛いね。アレンって呼んでいいかな?俺はラビ。呼び捨てでいいからね」
「あ、あ…はい…よ、よろしく…お願いしま…す」

あまりに端整な顔で、直視できない。ラビが何か言おうと再び口を開いたが、そこでリナリーの声が飛んできた。

「ラビー、書斎はどこにするの?書物卓から配置しておかないと」
「そんな重いもの女の子が動かさなくていいさ!」

ラビは少し慌てたようにそう言った。

「書物卓?」

そう尋ねたのはアレンだ。

「ん?そうだよ」
「いまどき珍しいですね…。若いのに書斎と書物卓って」
「まあ、そうかもね。でも仕事柄、必要なんさ」

ラビはリナリーに軽い荷物の仕分けを頼むと、僕に書物卓を運ぶのを手伝って欲しいと頼んできた。

「そっち持って、せーので持ち上げるよ」
「はい」

書物卓を書斎へ運び込む。指示された通りに動いて、卓を下ろすと、ありがとうと言って微笑まれた。その顔がまた素敵なものだから、アレンは再び赤くなる。なんとなく気を紛らわしたくて、適当に話題をふる。

「あ、あの」
「ん?」
「お仕事って何をされてるんですか? 」
「本をね。書いてるよ」
「えっ、作家さんなんですか?」
「うん。良かったら今度読んでみてほしいな。本が好きならね」
「ぼ、僕、本を読むの大好きなんです。ぜひ…」
「ホント?それは良かった。本持って帰ってよ、確かね…あのダンボールに…」

ラビはそう言ってダンボールのひとつを開封して、中から取り出した本を二冊、脇にかかえた。
そして差し出された本を見て、僕は目を丸くする。

「あ、赤井孔明…?!」
「?嗚呼、ごめん、それペンネームだよ、俺の。赤井孔明って名前で書いてて…」
「わ、わ…っ、ぼぼ、僕、ファンなんです、とっても!この本も、もう読みました、何度も何度も…。あなたの本は全部持ってます!」

ラビもまた目を丸くしていた。それから笑って、嬉しいと言って僕の頭を撫でてくれた。
その手はとても優しくて。


「アレン、ときどき俺の家に遊びにおいでよ。本の感想聞かせてほしい」
「いいんですか?!」
「もちろんだよ」

ラビはとても優しくて、すぐに僕らはメールアドレスと電話番号を交換した。
夢を見ているかのようだ、大好きな作家さんと知り合いになれるなんて!


それからというもの、アレンは頻繁にラビの家に通うようになった。
アレンが押しかけるというよりも、ラビが自らアレンを呼んでいたのだが。







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