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穏やかな昼下がり、庭の大きな木の下でマナが読み聞かせてくれる絵本はいつもどれも素敵で楽しいものばかりだった。 けれど年齢を重ねるごとに、挿絵はどんどん少なくなって、文字ばかりになってきて、最後はとうとう、文字しかない、絵のない本になってしまった。
「つまんないよ。挿絵がないと」 「アレン、いいかい?大人になるためには、絵のない本を読めるようにならなくちゃいけない」 「だったら大人になんてなれなくてもいいよ……」
そんなことを言うんじゃないと言って、マナは僕に絵のない本をくれた。
「読んでごらん。私は今から仕事に行かなくちゃいけないから、おまえ一人で読むんだよ。できるね?」 「うん……できるよ」
多分、とポツリと呟いた頃には、マナはもう立ち上がって歩き去っていくところだった。 絵のない本を開いても、つらつらとアルファベットが並んでいるだけにしか見えない。つまらないなぁと溜息をついて、本を閉じた。マナには悪いけど、挿絵のたくさんある本の方が好きだ。そう思って立ち上がろうとしたとき、前方に人の気配を感じて前を向いた。
「間に合いそうにないなあ」
赤毛の青年が、そう言って頭を掻きながら手元の懐中時計を見つめている。もう片方の手には筒状に丸めた羊皮紙を持っていて、小洒落た黒いチョッキのポケットに時計をしまった。
「あ、あの」 「ん?誰?」 「懐中時計は、懐にしまわないと…」 「だって懐にポケットがないんだよ」
「ここは私有地ですよ」と言いたかったのに、出てきた言葉はそんな台詞だった。こちらを振り向いた彼の右目には黒い眼帯。垂れた左目は綺麗な翡翠色をしていて、こちらを見つめてくる。
「不法侵入ですよ」 「どういう意味?」 「ここは僕の家の庭ですよ。不法侵入です」 「君の家の庭?君のものなんかないよ。この世のすべては女王のものさ」 「何を言ってるんですか?」 「唯一、これは私物あれは私物と言えるのは、イカレ帽子屋くらいのものさ。奴の帽子と、ティーセットは、女王も奴の私物だと認めてる。まあ、さしづめ女王はそれらには興味がないんだろうね。帽子屋の野郎、可哀想なんだか、運がいいんだか…俺に言わせりゃ幸運だけど、でもあいつが言うには…」 「あの……お話中、すみませんけど」 「何?すまないことならしない方がいいとおもうけどね」 「だったら、あなたもそのお話やめたほうがいいですね」
彼は少し考えて、けれど皮肉は伝わらなかったようだ。
「君はなんだか不思議な子だね」 「子供なのに髪が白いから?」 「何色だっていいさ。そんなこと。十人十色って言葉は、おそらく髪の色のことだろうし。……子供なのに白い髪?」
ぺらぺらと喋っていたくせに、彼はふと何かに気付いたかのようにぴたりと動きを止めた。それから急に僕の両肩をガッと掴んできたので、驚いて声がひっくり返った。
「アリス!君、アリスだろう!」 「え?」 「何かおかしいと思ったんだ。庭を自分のものだと言ってみたり、子供なのに髪が白買ったり……」
髪の色なんて何色だっていいと言っていたくせに。とにかくわけがわからなくて、眉を潜めた。
「みんなが血眼になって探してるよ、お前のことを。こんなところにいたなんて夢にも思わなかった!だってまさか、アリスがお茶会も無断で欠席して、裁判にも出ないんだから。そりゃあもう、国中が大パニックになってたよ。わかる?人を混乱させるときはまず断りを入れてからじゃないと、淑女とは呼べないさ」 「何を仰ってるのか分かりませんけど、とりあえず僕が淑女になることはないでしょうね。なんたって、僕はコルセットをひとつも持ってないのでね!」
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