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春を迎え、受験を終えてスッキリとした面持ちで新入生がやって来たことに反比例して、最終学年である高校三年生となった僕はもともと血色のよくない顔色をより一層悪くしていた。
というのも、僕はそもそも高校を出たら働くつもりでいたから、進学のための準備などまったくして来なかった。僕は幼くしてマナという育ての親を亡くして以来、クロスという孤児院の院長に育てられてきたが、その人だって僕が高卒で働くことには…別段、賛成していたわけでもないが、否定もしてはこなかったんだ。好きにしろ、と。
それなのに、始業式の日の朝、その人はこともあろうに、こんなとんでもないことを言い出した。
「お前、進学しろ。俺の狙ってる女が理事長やってる大学があるんだが、どうにも堅くてな。彼女を堕とすにはキッカケがいる」
つまり僕は、院長の女を堕とすための道具になれと言われたのだ。もちろん断ったけれど、院長がお気に入りの『自称信心深いという彼は十字架と言い張るが、どうみても鉄製の金槌』を取り出したので、僕の断る勇気は一瞬にして萎んで消えた。
「無理だよー…」 「大丈夫よ。アレンくんの頭なら、この一年しっかり頑張れば大抵の大学は受かるよ。きっと間に合うわ」 「リナリー、励ましてくれるのは嬉しいんだけど…○○大学だよ?」 「…あー…」
偏差値が九十を超える大学といえばわかりやすいだろうか。つまりは超難関の大学なのだ。生まれつきの秀才が、何年も死ぬ気で勉強して入るような大学に、たったの一年死ぬ気で勉強したところで門前払いのレベルだ。でも入れなければ、例の鉄製の十字架が僕の 頭を容赦無くかち割るだろう。
「やるだけやってみたら?」 「そうだね。はぁ…」
暗い面持ちで始業式を終え、一人でとぼとぼと帰路につく。パリッとしたブレザーに身を包み笑顔をたずさえた新入生をちらりと見ると、あの頃に戻りたいなあと思う。まあ、あの頃に戻って勉強しても、あの大学に入れる可能性は今と同じくゼロに近いけれど。
「あ!よーっす、アレン」 「…ラビ」
もう家に着くというところで、背後から名を呼ばれて振り向くと、筋盛りにした赤毛と右目に眼帯が目立つ、垂れ目の男がへらへらと笑いながら隣まで駆けてきた。
「またこんな平日にフラフラして…僕の始業式の日に合わせて俺も仕事始めるーって言ってたじゃないですか」 「あーうん、やっぱ明日から頑張ろうかなーと思ってさ」 「それ毎日言ってません?」
気にすんなよ、とラビは笑って僕の肩に当たり前のように自然に腕を回してきた。昔からの知り合いだからそれくらいは別にいいんだけれど、最近ちょっと顔が近い気がして。
「なあ、今から俺んち遊びに来ない?新しいゲーム買ったんだよ」 「なんでニートのくせにそんな金があるんですか」 「パチンコで生計立ててんさぁ」
へへ、と笑って親指と人差し指で円を作って見せてくる。ダメ人間を絵に描いたような人だなあ…。
「僕、進学することになったんで遊んでる暇ないです」 「え?高校出たら働くって行ってなかった?」 「色々あって…」 「ふーん。差し詰め、あの院長に何か言われたんだろ。まあいいや。そんじゃあ俺が家庭教師してあげる。だから家に来てよ」 「はあ?」
思わず素っ頓狂な声を上げた。ニートで、こんな、ピアスつけて、髪の毛はまるでホストみたいに盛ってて、定職にも就かずパチンコで生計立ててるようなフワッとした男が、家庭教師?人を馬鹿にするのも大概にしてほしい。
「結構です。ラビに勉強教わるくらいなら塾行きます」 「えー、俺結構アタマいいよ?」 「じゃあ言いますけど、僕が行こうとしてるの、○○大学ですよ?!そんなレベルの学校行くための学問、あなたに教えられますか?!」
さあどうする、それでも家庭教師を名乗り出るか、といった意味を込めた眼差しで見つめると、ラビは一瞬、キョトンとした顔をして、そして。
「それ俺の出身校じゃん!アレン後輩になるかもしれないんだあ」
僕は目から鱗どころか、眼球が丸ごと飛び出した。
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