「ハァー…やっと帰ったか…」
そう言いながら、ソファーに大の字になって倒れ込む蔵ノ介さんは、テーブルの上を片付ける私に、「俺が後でやっとくからええで」と言った。
『片付けくらい出来ますよ…大体ここ、私の家ですし』
「ほな俺もやる」
『蔵ノ介さんは休んでてください』
食器をキッチンに運ぶ私に、「でも…」と体を起こした蔵ノ介さん。
『光くんと謙也くんが大体片付けてくれたから、後はお皿洗うだけなので』
「そうか?ほな…休ませてもらうわ」
案外簡単に私の言う事を聞いた蔵ノ介さんに、本当に具合が悪いのかと心配になる。
蔵ノ介さんはソファーに寛ぎながらテレビのチャンネルを適当に回す。
お皿を洗う私は、先程の事を思い出して話し掛ける。
『そうだ…小春先生からさっき貰ったドリンク、飲んでみたらどうですか?』
「ん?ああ、これな…」
蔵ノ介さんは小春先生から渡された茶色の瓶を取り出すと、部屋の明かりに透かすように瓶を見上げた。
「むっちゃ濃そうやなぁ…」
『吸血鬼が血を吸うのって、鉄分を摂取する為なんですか?』
「そういう、栄養素的な話は関係ない…っちゅーか、そもそも死んどるしな。せやから、別に食わへんでもええんや」
『その割に、料理も上手で、食材も贅沢ですよね…』
「そら味覚はあるからな、美味いもん食いたいに決まっとるやん。それに、人間の世界で生きていく為には、人間と同じ生活をせなあかんしな」
蔵ノ介さんはドリンクをローテーブルの上に置くと、またソファーに寝転んだ。
「吸血鬼が血を吸うんは…まあ、簡単に言うたら本能やろうな」
『本能ですか…本能なら、意味もあるんですよね?』
「意味か…吸血鬼の能力を使う為の、力の源みたいな感じちゃう?」
『ガソリンみたいな感じですか?』
「ガソリンて…俺は車か」
ソファーの背もたれで蔵ノ介さんの顔は見えないが、その声色から笑顔を見せたのがわかった。
『あ、ちょっと気になってたんですけど…』
「ん?」
『吸血鬼って、死んだから吸血鬼になるんですよね?』
「せや」
『じゃあ、蔵ノ介さんは今、死んでるんですか?生きてるんですか?』
「…そら、難しい質問やなぁ」
訊いてはいけない事かと気にしていたが、私が気にかけるから、蔵ノ介さんを悩ませるのではと感じ、寧ろそれが当たり前の様に接すればいいと思い、思い切って訊いてみた。
「よう"死と生の間の存在"とか、"死を越えた存在"とか言うけどなぁ…」
『ああ…イメージはその通りですね』
「その状態を表す言葉があらへん訳で…とりあえず、生きるっちゅー言葉使てるけどな」
吸血鬼の話を聞けば聞く程、不思議な事ばかりで、疑問が絶えない。
『…じゃあ、心臓って動いてるんですか?』
「一応な」
『じゃあ人間とそんなに変わらないじゃないですか』
「んー…何ちゅーか、生きてるから動いてるんや無くて、動く為に動かしてる、みたいな…」
『難しいですね…』と、水道を止める。
蔵ノ介さんは韓国映画を観ているみたいだった。
「結局、死んどるから魂と肉体は別々やねん」
『だから吸血鬼は鏡に映らないんでしたっけ?…あれ?でも、ハロウィンの時…』
「鏡に透けて映っとった話やろ?あれな、意外とコントロールできんねん。ちゅーても、あれが限界やねんけどな」
『鏡に映らないと、怪しまれますもんね』
「そうそう、防犯カメラとかにも映らんかったらヤバいやん?」
最初は驚いてばかりだった吸血鬼の能力だが、知っていく内に不便なようで意外と融通の利く事がわかっていき、少しだけ魅力的にさえ思えてきた。
「ちゅーか、名前ちゃん。そない俺に興味あったんやな」
『え?』
「なんや、普通に俺との生活に馴染んどるみたいやったから、ただの同居人としか見られてへんのかと…」
『い、いえ…吸血鬼退治について調べた時に、吸血鬼の生態なんかも読んでたので…普段の蔵ノ介さんの生活を見てると、いろいろ疑問が…』
濡れたお皿を拭きながらそう言うと、蔵ノ介さんはソファーの背もたれの向こうからひょっこりと顔を出した。
『なんですか?』
「いや…今まで、こない自分の事バラした事あらへんかったから…」
『そうなんですか?』
蔵ノ介さんはそのまま起き上がると、背もたれに腕を組んで、その上に顔を乗せた。
「謙也達以外には、吸血鬼の話は勿論やけど、私生活の事すらあんまり話した事ないねん」
『なんでですか?吸血鬼の能力を除けば、仕事もしてて、貯金もあって、料理も家事もできて…隠すような事無いじゃないですか』
私の言葉に、蔵ノ介さんはまた寂しそうな微笑みを含ませて言った。
「そうやって情が移ると、お別れの時がつらいやろ?」
□□□□□□
(お別れの時、か…)
昨夜の蔵ノ介さんの言葉と表情が頭から離れず、朝から何回溜息を吐いたかわからない。
いろいろと考えを巡らせては、どんな態度で蔵ノ介さんに接すればいいのかと、なかなか家に足が向かず、適当な喫茶店でぼんやりしていた。
そろそろ帰らなくてはと、店から出た途端、私に続いて店から出てきた見知らぬ男に声を掛けられた。
『何ですか?』
「この後、何か予定あるの?」
『…何か私に用ですか?』
「いやぁ、お店の中でも一人でぼーっとしてたからさ…」
「暇なのかなぁと思って」と笑顔で言う男に、またかとうんざりした。
何故うんざりしたかと言うと、ここ最近、やたらと見知らぬ男に声をかけられる様になったからだ。
私が『忙しいので』と歩きだそうとすると、男に腕を捕まれた。
「少しでいいから、俺に付き合ってくれない?」
『っ!や、やめてください』
「ほんと、少しだけだから…」
そう言い、半ば強引に引っ張ろうとする男に抵抗してみるが、私の力程度では振り払う事すらできない。
『何なんですか…やめっ』
「おいお前、何やってんだ」
これまた見知らぬ男が近付いてきて、私の腕を掴む男の手を掴んだ。
助けてくれる様な男の顔を見上げると、蔵ノ介さんに負けず劣らずの、綺麗で整った顔立ちをしていた。
「あんた、この子の知り合いか何か?」
「お前には関係ねぇよ。んな事より、他の女にあたるんだな」
「はぁ?な、何言って…」
「自分の身の程に合った女を選べと言ってるのがわからねぇのか?」
その言葉と眼力に、私の腕を掴む手の力が弱まり、解放されたかと思うと男はさっさと逃げる様に去っていった。
『あ、あの…ありがとうございます』
「礼なんていい。それより、変な事はされてねぇな?」
『大丈夫です』
助けてくれた男と向かい合って、よく見てみると、シンプルだけど高そうなコートや靴を身に付けていて、どことなく立ち振る舞いも気品を感じられる気がした。
何かお礼をと申し出ようとすると、「ん?」と、私の顔を見て何かに気付いた様子を見せた。
『どうかしましたか?』
「お前…匂うな」
『…えっ!?う、嘘…』
思いも寄らぬ言葉に、服の袖や肩の辺りを嗅いでみる。
そんな私に「そういう意味じゃねぇよ」と、呆れた顔で言った。
「いきなり匂うなんて言って悪かったな…」
『あ、あの…?』
「おお、跡部。もう来とったんか」
『えっ?ゆ、侑士くん?』
聞き慣れた声に振り向くと、そちらも驚いた顔で私を見る侑士くんが居た。
「なんや、名前ちゃんやんか」
「お前ら、知り合いか?」
「同じ大学でな、俺らの事も知っとるんや」
「道理でな…」
「で、なんで名前ちゃんと跡部が一緒に居るんや?」
その言葉に私が訳を説明した。
すると、侑士くんは携帯で時間を確認すると、「せっかくやし、一緒に飯でもどうや?」と私を誘った。
□□□□□□
『あの私…今、持ち合わせ無いんですけど…』
「大丈夫大丈夫。支払いは全部、景ちゃんが払てくれるから」
『えっ?でも…』
断る理由も見当たらず、二人に付いていくと、イタリアンのお店に着いた。
個室に通されメニューを開くと、そこまで高くは無いが、奢って貰うには申し訳無い数字が並んでいた。
侑士くんの言葉に、向かい側に座る跡部さんの顔を恐る恐る見ると「遠慮するな」と言われ、とりあえず好きな物を頼んだ。
ある程度料理が並んだ所で、跡部さんに気になっていた事を訊いた。
『あの、跡部さん』
「なんだ?」
『さっきの、匂うって何ですか?』
「は?跡部、そないな事言うたんか?」
「そら女の子に失礼やで」と笑う侑士くんに、跡部さんは顔をしかめた。
「それは悪かったと思ってるが、仕方ねぇだろうが」
『えと…』
「あのな、跡部は吸血鬼や狼男の類を見分ける事ができるんや」
『じゃあ、さっきの人って…吸血鬼だったんですか?』
跡部さんは頷くと、ワインを一口飲んで続けた。
「で、さっきお前に匂うと言ったのは、他の吸血鬼の匂いがしたからだ」
『匂いですか…』
「吸血鬼に噛まれると、吸血鬼との繋がりが出来る。匂いとはその繋がりの事だ」
『あ…』
その説明に、あの夜の事を思い出した。
蔵ノ介さんが侵入してきて、私の首筋を噛んだあの夜の事を。
「ただし、最近の吸血鬼は基本的に匂いを消すのがルールになっているはずが、お前からは匂いがした」
『匂いを消すって…どうするんですか?』
「血を吸った相手から、吸血鬼の記憶を消すんや」
ふと、昨夜の蔵ノ介さんの言葉を思い出した。
「まあ、名前ちゃんは白石と仲良うやっとるからなぁ」
「白石?白石蔵ノ介か?」
『そうですけど…』
「白石の奴、名前ちゃんちで主夫やってんねんで」
面白がる様に言う侑士くんの言葉に、跡部さんは「主夫って…」と呆れた顔をした。
『蔵ノ介さんとお知り合いなんですか?』
「知ってるも何も、あいつの会社と俺んちの会社は姉妹社みたいなもんだからな」
『えっ!?』
そう言えば、いつか謙也くんが教えてくれた、蔵ノ介さんの会社経営の話に出てきた大企業…そこまで思い出して、跡部と言う名前にハッとした。
『あ、あの、跡部さんてもしかして…』
「お察しの通り、泣く子も黙る大企業、跡部財閥の跡取り息子やで」
「なんでお前が自慢げなんだよ、忍足…」
蔵ノ介さんと出会ってからと言うもの…吸血鬼に狼男、魔女の子孫や魔女に呪われた一族の人間、狼男の薬を作る学者や吸血鬼を退治するハンター…遂には大企業の御曹子ときた。
もうこの世の中は、こういう普通ではない人達を通じて、全て繋がっている様な気がしてきた。
怪異を呼ぶ匂い
「そう言えば名前教えてなかったな。跡部景吾だ」
『え、えっと…名字名前です』
聞いた事のある名前に、正直怖じ気づいた。
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まとまりがない
繋がりとか匂いとかその他諸々、管理人の勝手な設定です
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