『あ…』
朝、起きたその足でリビングに行くと、最近では珍しく、蔵ノ介さんがソファーで寝ていた。
ソファーで寝る事自体は今に始まった事ではないのだが、テーブルに朝食が用意されていないのはおかしい…
昨夜は吸血しに、夜中じゅう外に出ていたみたいだし、朝食くらい私だって適当に作れる。
私は、何も掛けずに眠る蔵ノ介さんに、毛布を掛けてやろうと近付いた。
『…』
しかし、昨日の協会前での話…
長太郎くんに聖水の事を訊かれ、返答に困った私の代わりに適当な言い訳をしてくれた蔵ノ介さん。
その会話に出てきた、蔵ノ介さんの左腕に巻かれた包帯の秘密…
それを思い出してしまっては、目の前で眠る蔵ノ介さんの左腕が気になって仕方ない。
(…少しだけ、)
心の中で謝りながら、左腕に巻かれた包帯に手を伸ばす…
人差し指が包帯に触れる。
(ん…?硬い…)
蔵ノ介さんは、怪我ではないと言った。
見たら驚くと言っていたので、物凄い柄のタトゥーか何かかと思っていた。
が、指先が触れた感じは人の体の硬さではなかった。
かと言って、義手だとしても包帯から出ている指は本物にしか見えない。
(吸血鬼の体質、かな…?)
蔵ノ介さんはスマートな体型をしているが、腕なんかは筋肉質で逞しい。
もしかして、吸血鬼になったら強靭な肉体になって、カチカチな筋肉になるのかと、もう片方も確かめようと右腕に手を伸ばした。
(…普通だ、)
左腕と同じ所を触ってみたが、普通の人間と同じ触り心地がした。
では、この硬さは何なんだろうと、包帯を少しめくってみようと、包帯の端を指で摘んだ。
蔵ノ介さんが起きないかと、チラッと顔を見ると目が合った。
『…』
「…」
『…おはようございます』
「うん、おはようさん」
私は包帯を摘む指を、そっと離した。
□□□□□□
『どこか行くんですか?』
朝食の後、二人で掃除や洗濯を終わらせると、蔵ノ介さんが自分の部屋から荷物を持って出てきた。
恰好もジャージ姿で、ソファーに座ってバッグの中身を確認をしているみたいだった。
「謙也達とテニスする事になってな」
『へぇ…吸血鬼でもスポーツするんですね』
「そら、健康の為にな」
『…つっこめばいいですか?』
「え、本気やったんやけど…」と言う蔵ノ介さん…こう言ってはあれだが、死んだ体で、健康も何も無いだろう…
でも、目の前で動いて会話している蔵ノ介さんに、そんな事を言うのは気が引けた。
「名前ちゃんも行かへん?」
『え?でも私、テニスなんて…』
「そんなん教えたるし、ただ見とるだけでもええし」
どうしようかと迷っていると、「な?行こうや」と誘ってくれる蔵ノ介さん。
『じゃあ…行ってみよう、かな』
□□□□□□
「あらぁ、名前ちゃんも来たのねっ☆」
『あれ?金色先生も来てたんですか?』
「当たり前やろ。テニス言うたら、俺と小春のお笑いテニスに決まっとるやん」
『お笑いテニス?』
やたらと金色先生とくっつく一氏くんの言葉に首を傾げると、「まあ、今にわかる」と謙也くんが教えてくれた。
「他のメンバーは?」
「千歳は妹のテニスの大会で、小石川は自分のボウリングの大会やて」
「ほな、光と金ちゃんは?」
「今に来るんちゃうか?」
蔵ノ介さんと謙也くんの会話に、みんな秘密だけでなく、テニスでも繋がりがあるのだとわかった。
「名字もテニスやるんか?」
『あ、私は出来ないので…』
「俺が手取り足取り教えたるんや」
『…ハァ、』
「蔵ノ介…名字、もう呆れとるで?」
「うーん…もっと他の口説き文句を考えなアカンな…」
『口説いてるつもりだったんですか…』
そんな事を言いながらストレッチを始める蔵ノ介さんに、更に呆れていると、何やら騒がしい声が遠くから近付いてきた。
「おー、来た来た」
「相変わらず喧しいなぁ…」
みんなが振り向く方を見てみると、はしゃぐ金太郎くんと疲れた様子の光くんが近付いてきた。
「みんなとテニスやなんて、久々や〜っ!」
「わかったから、もうちょい静かにでけへんのかお前は…」
そんな二人に謙也くんが「遅いで〜」と声を掛けた。
「あれ?名前ちゃんも来てたんや〜。久しぶり〜」
『久しぶり、金太郎くん』
「お前はいつになったら、時間通りに来れるようになれるんや?」
そう言って呆れる謙也くんに、金太郎くんと光くんは荷物を置きながら言った。
「ワイが上がろうとしたらな?店のおっちゃんが、材料足りひん言うてお使いに出されてん」
「俺はそれに無理矢理付き合わされたんスわ…ほんま迷惑やわ」
『お店?』
「ワイな、たこ焼き屋でバイトしてん!」
「今度、名前ちゃんも食べに来てや〜」と笑顔を見せる金太郎くんに、『今度行ってみるね』と笑顔を返した。
「ちゅーか、名前さんもテニスやるんスか?」
『私は…
「蔵ノ介先生の秘密の特訓やで」
「…全然ダメや」
『ですね…』
「うん、今のは俺もダメやと思うわ…」
堂々と言い放つ蔵ノ介さんと、それを聞いて顔を見合わせて首を傾げる私と謙也くん。
その光景に「何の話ッスか…」と眉をひそめた。
「まぁ、クラリンはシュールなタイプやからねぇ…」
「愛が足らへんのや!俺の小春への想いの深さを見習
「ああもうお前らうるさいわ。さっさと始めるで!」
蔵ノ介さんがそう言うと、みんなそれぞれにラケットを持った。
「俺は小春とのダブルスやないと嫌や。お前ら誰かダブルス組んでやろうや」と言う一氏くんに、謙也くんが光くんに声を掛けた。
「ほな光、組もうや」
「謙也さんとか…しゃーないッスわ」
「俺の何処が不満やねん!浪速のスピードスターやで!?」
「自分で"浪速のスピードスター"とか言うてる辺りがもう痛くて適いませんわ…不満言うより、寧ろ不安ですわ」
「なっ!?いっ、いい痛ないわ!!」
「失礼なやっちゃな…」と光くんを横目で睨む謙也くんを笑う蔵ノ介さんは、「ほな、俺は金ちゃんとやな」と金太郎くんの方を見た。
「白石とやるやなんて、むっちゃ久々やな!」
「せやな。まぁ、今日は勝たせて貰うけどな」
「ワイかて負けへんで!」
小さな子供の様に、わくわくした様子の金太郎くんと、それを上手く手懐ける蔵ノ介さん…そんな蔵ノ介さんが、いつもより大人に見えた気がした。
「名前ちゃんはそこに座っとき。飛んでくるボールに気を付けてな?」
『え?あ、はい…』
蔵ノ介さんに言われた通り、コート脇のベンチに座ると「寒いから、これ着とき」と、脱いだジャージを私の肩に羽織らせた。
□□□□□□
「名前ちゃん、体力無さ過ぎやで」
『昔から病弱だったので、運動とかあんまり進んでしてこなかったからなぁ…』
みんなと別れて、家路についた私と蔵ノ介さん。
みんながテニスをしている様子を見ていた私は、人間離れしたプレーに驚き、蔵ノ介さんの決め台詞(えくすたなんとか)に呆れたりしていた。
見るだけと思っていたが、結局、みんなからラケットの持ち方から始まり、色々教えて貰ったが…みんなが軽々と振っているラケットは、実際に振ってみると、握力も無い私には意外と重かった。
「健康の為には、適度な運動は必要やで?」
『わかってるんですけどね…自分でやりたいと思うスポーツも無いですし、第一、基礎的な体力も筋力も無いので、どうやって始めたらいいのかもわかんないです』
「そこやねんなぁ…興味があらへんと、続かんしなぁ」
『あ、でも今日は楽しかったです』
『体力続かなくて残念でしたけど』と思わず苦笑いが零れた。
「ほな、名前ちゃんもテニスやろうや」
『え?』
「テニスなら俺らで教えれるしな」
『でも、ラケットとかも持ってないし…』
「そんなん俺が揃えたるよ」
『そんな…悪いですよ』
一式揃えるとなると、なかなかの値段になるはずだが、蔵ノ介さんは簡単に「ええからええから」とノリノリだった。
「一緒に住まわせてもろてるお礼やと思って…な?」
『んー…じゃあ、安いのでいいですからね?』
「任しとき!」
満足そうな笑顔の蔵ノ介さんに、絶対安物なんか一つも買ってこないとわかってしまった。
『もう…あ、』
呆れたような、申し訳ないような、でも嬉しいような…そんな感情で顔が綻びそうになるのを、堪えようと視線を逸らすと、ポスターが目に入った。
『これ、長太郎くんから貰ったチラシの…』
「ん?ああ、ハロウィンのイベントな…」
『一緒に行きませんか?』と訊いてみると、さっきとは打って変わって微妙な顔の蔵ノ介さん…
「子ども達の集まる、楽しい楽しいハロウィンパーティーに、本物の吸血鬼が行くとかおかしいやろ」
『別に子ども達襲ったり、吸血鬼だってバラす訳じゃないし…そもそも、吸血鬼なんて誰も信じないだろうし、大丈夫ですよ』
「そう言うてもなぁ…それに、参加者は仮装せなアカンみたいやんか」
『それなら大丈夫ですよ。あの燕尾服とマントとシルクハットで吸血鬼の仮装すれば』
「…それ仮装やなくて、ガチやんか」
「名前ちゃんはどないするんや?」と、ポスターの前から立ち去ろうと歩き出す蔵ノ介さんに続く。
『私ですか?無難に魔女の恰好とかどうですか?』
「魔女…色気があらへんからアカン」
『色気って…じゃあ何がいいと思うんです?』
『子ども達も居るんですから、常識の範囲内でどうぞ』と言うと、蔵ノ介さんは笑顔で答えた。
「当日のお楽しみや」
吸血鬼の休日
『どういう事ですか?』
「俺が名前ちゃんの衣装作ったる」
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テニス要素皆無だったので。
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