これは、何なんだろう…
一が行き交う街中で、まるで名前も知らない他人の様に、私に見向きもしないで擦れ違う吸血鬼さん…
後ろから忍足くんの声がして、振り返ってみると、忍足くんと吸血鬼さんが何か話してる。
忍足くんが私に気が付くと、吸血鬼さんと一言二言話して別れた。
私は、こちらに近付いてくる忍足くんより、去っていく吸血鬼さんに視線が行く。
けど…何故だろう、私は彼を知らない。
(いや…知ってる、)
知っているのに、わからない。
私の意思とは反対に、私の体は吸血鬼さんを見向きもしない。
(知ってる…待ってよ)
何故か胸騒ぎがして、追いかけたいのに動けない。
誰か他の人に、私の意識だけが乗り移ったように、体は忍足くんの方を向いている。
人混みの中、小さくなっていく彼の姿に、呼び止めたくても、叫びたくても、声が出ない…
(待って、待って…吸血鬼さん!)
『さん…きゅう…さ、』
「…、ちゃん…名前ちゃん」
『うぅ…待って、…吸血鬼さん!』
「うおっ!?」
苦しくて目が覚めた。
上がった息に、酷い動悸…目の前に広がる見慣れた寝室の天井に、今のは夢だった事がわかった。
ボーッと天井を見つめていると、目の前に吸血鬼さんの顔が…
「大丈夫か?」
『あ…』
「かなりうなされとったけど…」
『吸血鬼、さん…』
「何や?名前ちゃん」
優しい表情と声…それ以上に、その目が私を捉え、その口が私の名前を呼んでいる事に、酷く安心した。
吸血鬼さんは優しく私の頭を撫でると、「凄い汗や」と微笑みを見せた。
「なかなか起きてけえへんから覗いてみれば、寝ながら苦しんどるし…」
『すみません…』
「何ともなければええんや。ほれ、起きてシャワーでも浴びてき?」
そう言いながら立ち上がった吸血鬼さんは、ベランダのカーテンを開こうとした。
『っ!?だ、だめっ!!』
「え?っ!?」
私は無意識に吸血鬼さんに飛び付き、反射的にそれに気が付いた吸血鬼さんは私を支えきれず、私の体を受け止めたまま後ろに倒れた。
「いったぁ〜…いきなりどないし
『な、何やってるんですか!朝日なんか浴びたら、灰になっちゃうじゃないですか!!』
「へ?」
必死に叫ぶ私の顔を、目を丸くして、呆気にとられたかのような表情で見つめる吸血鬼さん…
すると、呆れたように笑った吸血鬼さんが、「見てみ」と指差した先を辿ると、そこにはカーテンの隙間から差した光が、吸血鬼さんの脚を照らしていた。
「心配してくれて嬉しいんやけど…」
『あ…』
「朝日も日光も平気なんや」
どうやら、今時の吸血鬼は日の光も大丈夫みたいだ。
言われてみれば、今まで普通に日中働いていたのだから、大丈夫なのは知っていた。
でも、あんな夢を見たばかりだからか、頭の片隅にあった"日の光を浴びると灰になる"という記憶に、咄嗟に体が動いた。
『そ、そういうのは最初に言っておいてくださいって言ってるじゃないですか…』
「ほな、俺の取扱い説明書作らなアカンな」
溜息を吐いてうなだれると、「この間までは俺の事、退治しようとしてたのに」と笑う吸血鬼さん。
「それとも、俺に消えられたら困るんかな?」
『…なっ!?』
意味あり気なその顔に、一気に顔が熱くなる。
『な、なな何言ってるんですか!?は、早く部屋から出てください…』
「出て行きたいのは山々なんやけど…」
私に押し倒された形の吸血鬼さんは、私の下で困ったような笑顔で言った。
「俺の上から、降りてくれるか?」
□□□□□□
『って言う事なんだけど…』
昨日、光くんに頼まれた新しい本の整理の途中で、散らかしたまま帰ってしまったお詫びに、ココットに入ったミニサイズのクレームブリュレを持ってお店に来た。
いつか好きな映画の話になった時に、光くんはアメリが好きだと言っていたのを思い出し、クレームブリュレにしたが、光くんはまだ来ておらず、店長である叔父さんしかいなかった。
『吸血鬼さんの言う、ルールって何?』
お客さんの居ない店内。
カウンターの椅子に座って、昨日の吸血鬼さんの話を説明した。
私の質問に、眺めていたスポーツ紙をカウンターに放った叔父さんは、くわえていた煙草の煙を吐いた。
「ルールっちゅうのは、吸血鬼がこの世の中を生きていく為の決まりや」
『生きていく為の決まり…』
「あいつが吸血鬼になって間もない頃、吸血鬼として生きていく事に悩んどった蔵ノ介に俺が教えた事やな」
一緒に暮らし始めてから一週間しか経っていないが、吸血鬼さんが悩んでいる所なんて見た事が無く、寧ろ悩み所か自由奔放に生きている様に見えていた。
そんな吸血鬼さんが、吸血鬼として生きていく事に悩んでいたなんて、とてもじゃないが想像がつかなかった。
「あの時は、あいつもかなり憔悴しきっててな…それで、俺が教えた事は"必要以上に人間と深く関わらん事"、"血を吸うたら相手の、自分に関する記憶を消す事"、"住所、名前を変えながら仕事をする事"そして…」
『…』
「"家族には、二度と会わへん事"」
その言葉に、やっと気付いた。
吸血鬼さんも、元は普通の人間だったという事に…
『じゃあ…吸血鬼さんは、吸血鬼になってからはずっと…一人、だったって言う事?』
「せやな…まぁ、他の吸血鬼やら狼男の仲間作って、一緒に住んだりとかもしとったけどな」
『…吸血鬼さんの家族は?』
「わからん。ただ、遺体が無くなったとか、そこら辺の記憶は操作されとるみたいやな」
『操作って…誰に?』
「そら…蔵ノ介を殺した、吸血鬼や」
思いも寄らない話に、血の気が引いていくのがわかった。
ドクドクと心臓が痛い程に脈打つ。
指先が、凍えたように冷たい。
『その、吸血鬼って…』
「…俺が言えるのは、その吸血鬼はもう居ないっちゅー事だけや」
『え…?』
不老不死のはずの吸血鬼がもう居ない…と言う事は、二つの理由しか見当たらなかった。
そして、叔父さんが知っていると言う事は、つまり…
「初めに言うたルールの話なんやが…今の時代に生きる吸血鬼のルールとして、繁殖以外の理由で人間を殺すのは御法度になっとる」
『吸血鬼が増えちゃうから?』
「せや。しかし、最近やと吸血鬼の生きにくさを案じて、吸血鬼同士の繁殖は少なくなってきとる。その例が財前クンや」
光くんは、血を吸わなくても生きていける、人間より老いるのが遅いだけ、と言っていた。
と言う事は、普通の人間よりは長生きするが、いずれは人間と同じ様に最期があると言う事…
確かに、吸血鬼の存在は迷信となった今の時代では、不老不死の身では生きづらい。
「それでも、人間を愛してしまう吸血鬼も居る訳で…同じ不老不死の体にする為に、恋人である人間を吸血鬼にしてしまう奴は後を絶たん」
『うん…』
「そこで、蔵ノ介は自分のルールを決めた」
『吸血鬼さんのルール?』
叔父さんはカウンターに置かれた、冷めてぬるくなったコーヒーを一口飲むと、物悲しげに言った。
「人を好きにならん事…そして、」
『…』
「人を殺さん事」
吸血鬼のルール
笑顔の裏の、悲しい背景。
================
吸血鬼ルール、適当なので穴や矛盾があるかも知れません。
_