恋愛は、なんてくだらないものだろうと思っていた。野球をやる俺にとって、愛だの恋だの言っている奴らは、つまらない人間としか思えなかった。だから、清水薫という女との出会いは衝撃的で、俺のこれまでの考え方を一瞬にして変えた。

俺は一瞬で彼女に心を奪われた。

こんな言い方は恥ずかしいが、そうとしか言いようがなかった。胸が締め付けられるような感覚。彼女から目が離せなかった。吸い込まれそうなくらいまっすぐな瞳が俺の瞳を捕らえる。ああ、もう逃げられない。

「ねえ、ここに本田吾郎っている?」

彼女の第一声はそれだった。今更だが、何で女子禁制の海堂高校に女がいるのかが不思議だ。けれど、そんなことを聞くよりも先に彼女の質問に答えてしまった。彼女はふわりと優しく微笑んで、ありがとうと一言だけ言うと、どこかへ向かって去って行ってしまった。

あっという間の出来事に俺は頭の中が混乱していた。どうにかして、頭を整理して、彼女の後を追ってみると、彼女は茂野の部屋で静かに泣いていた。俺が口を挟んでいいことじゃないとは思ったが、それよりも彼女を抱きしめてやりたくなった。

震えながら、必死で声を押し殺して泣く彼女の背中はあまりにも寂しそうだった。

「大丈夫、か?」
「…、ぅっく、だい、じょうぶです。ごめ、っなさい、今すぐ、でていきまっ」

俺が抱きしめた瞬間、彼女はひどく驚いた顔をしていた。当り前だろう、見ず知らずの男に抱きしめられて動じない女なんていない。俺は抵抗されるのを覚悟で抱きしめたが、彼女は抵抗など何もせず、俺の胸に泣きついてきた。俺の服をぎゅっと強く握りしめ、泣く彼女の背中を俺はさらに力を込めて抱きしめた。

これが、俺たちの出会いだった。

***

そして数年経った今、俺たちは一緒に住んでいる。あのときの出来事は今もまだ彼女は忘れていないだろう。けれど、今は俺のことを大切に思ってくれている。彼女は今は泣くことはなくなり、笑顔が増えた。俺も彼女のことを大切に思っているし、これからも傍にいてやりたいと思う。だが、彼女がふとした瞬間に、あのときのことを思い出す度に、辛そうな表情をするのが俺も辛い。

だから、彼女の傍を絶対に離れたりはしない。

「薫、今日は大学どうだった?」
「うん?今日も練習がすごく楽しかったよ!先輩たちともだいぶ打ち解けれたし」
「そうか、それなら良かった」

楽しそうに喋る彼女に俺は少しほっとする。こうやって毎日少しずつ傷が癒えればいいと思う。すぐには忘れられなくても、少しずつ…忘れていければ。そんなことを思っていたら彼女は小さく笑って、俺に言った。

「あのときのことなら、もう私大丈夫だよ?」
「、あの、とき?」
「…健、ずっと数年前のあのときのこと気にしてくれていたんだろ?だから、私に気を遣って本田の話題はしないようにしたりとか、さ」

彼女は気づいていた。茂野の話題をしないようにしていたことに。

「私すごく嬉しかった。想われてるんだな、って感じることができたから」
「かお、る」
「うん、私はもう大丈夫。だって、今は健が好きだから。私が傍にいてあげたいって思えるのは、健だけだから」

彼女はそう言って、俺の頬に手を添えて、キスをしてきた。そして、綺麗な笑顔を浮かべて俺を見つめてきた。彼女の指先から、感じる彼女の体温。俺は今日も彼女に浸食されていく。ものすごいスピードで俺の頭の中は彼女でいっぱいになっていく。


指先から触れて、君に浸食されていく

title by 31D

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▽15万打:nanaさん
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