透明なこいごごろ1/4
真っ白で儚げで繊細でそれでいて嫋やかな…沖田ミツバ。その人は私の憧れだった──


ニヒリズム




武州──

「ミーツバちゃーーん!」

寒い冬が終わろうとしていた頃、沖田ミツバの結婚が決まり江戸に行く事になった。
名前は息急き切ってミツバの家に赴いた。

「名前ちゃん。」

古い家の縁側に座ってふわりと柔らかく微笑む彼女はいつまでたっても少女のような人だった。

「お嫁に行くって…!」
「ええ…そうなの。やっと決まったの。私みたいな病持ちでも貰ってくれる物好きな人いたのね。」

フフッと笑う顔は驚くほど白くて透明だ……。

「だってミツバちゃん…トシは……、」

ずっと好きだったの知ってる。置いてっちゃったけど、トシだって…トシだって本当は……。

「トシッてだあれ?」
「ミツバちゃん!」
「フフ、冗談よ。もう決めたの。いつまでもここに一人でいたらそーちゃんの足手まといになってしまうもの。今嫁がないとこの先貰い手もないわ。」

真っ直ぐな綺麗な目だった。決意した目。

「…総悟は足手まといにだなんて思ってないよ。」

知った風に言う。総悟とは近藤さんの道場で知り合った。歳も近く遊び仲間だった。その縁でミツバちゃんやトシの事も知っている。

「そうね。それが嫌なの。」
「ミツバちゃん……。」

穏やかに笑う。本当にそれでいいんだろうか。トシは知っているんだろうか。

「名前ちゃんも、そーちゃんが江戸に行ってしまってからこうしてよく遊びに来てくれてとても支えて貰ったわ。ありがとう。」
「そんな事……。」

そんな事はない。ミツバちゃんの所にいればもしかしたらトシに会えるかもと思っていたからだ。浮ついた下心があったのに。
トシへの思いが何なのかは正直自分でも分からなかった。ぶっきら棒な男だという事は分かっていた。近藤さんがいきなり拾ってきたボロボロの男は風呂に入ってそれなりの物を着ると実はとても綺麗な顔立ちをしていた。田舎で育った私は幼心に世の中にこんな綺麗な男がいるのかと驚愕した。総悟は気に入らなかったらしく、いつも喧嘩をふっかけていた。だから私も面白くて─この綺麗な顔の男がどんな表情をするのか見たくて─総悟と一緒にからかって遊んだ。
女だったからか総悟より手加減もしてくれていた様だ。ぶっきら棒なのにそういう所は優しい。ますます興味を持った。トシも子供相手だと多少気が緩んだ様に見え、ごく稀に見せる笑顔は私の心を引っ掻いた。一緒に遊ぶのはとても楽しく、だから江戸へ行ってしまった時酷く寂しかったんだ。

「おじさまとおばさまにもまた改めてお礼を伝えに行くわね。今回は顔見せも兼ねて逗留するだけだからすぐ帰ってくるの。」

そう言って笑った彼女が帰ってくる事はなかった。
否、帰って来るには帰って来たが、総悟の腕の中で小さな箱に入れられ、もうあの笑顔を見る事は叶わなかった。
総悟と近藤さんは葬儀の為帰って来たが、あの男は帰って来なかった。仕事が忙しいと。薄情な男だ。こんな薄情な男だとは思わなかった。
葬儀が終わり二人が江戸へ帰った後も、私は何かにつけてミツバちゃんのお墓に赴いた。彼女の結婚相手の事は少しだけ聞いた。実は武器を横流ししていたと村の人達が密やかに口にする。不幸な結婚だったんだ、やはり病持ちだからと口さがない事ばかり。
でも最期は笑っていたよ、と近藤さんが大きな体を震わせて言っていた。倖せだったと笑ったって……本当に?ミツバちゃんは倖せだったの?本当はまだトシの事……。


風が嫋やかに頬を撫でる初夏の夕暮れ──
その日もお墓に向かっていた。今日は畑仕事が長引いて遅くなってしまった。日も傾きかけて来ている。走って向かうとお墓の前に黒ずくめの人影──トシだった。
声を掛ければ良かったのだろうけどその雰囲気に咄嗟に大きな木の陰に隠れてしまった。そっと後ろから盗み見る。何年ぶりだろう…。髪の毛を短くしていて、でも面影はそのまま残っていた。煙草を咥えている。

泣いているのかと思った──

煙草を咥えてポケットに手を突っ込んだままただじっとお墓の前で佇む。
もしかしてやっぱりトシもミツバちゃんの事…。
大人の事はよく分からないけど、好きだったらどうして気持ちを伝えないのだろう。何の為に言葉があると思っているんだろう。
そのむず痒さに苛立ちを覚えた。

トシは泣いていなかった。良かったと思う。彼の泣いている所は見たくない。でも少し見てみたいっていう欲もない事はない…。色んな思いを頭で巡らせているがさてこの隠れた身をどうしよう。そっと帰った方がいいのか。でも動いたら絶対気づかれる。会わないで帰る事もしたくない。ああ、あのまま普通に声を掛ければ良かった。
どれぐらい一人で押し問答していたのか、煙草を消したトシがゆっくり振り返った。

「オイ、いつまでそこでそうしているつもりだクソガキが。」

ドスの聞いた低い声に体が固まる。バレていた。それでもしばらく動けなかったが観念して木の陰から顔だけひょっこり出した。




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