悲しみの向こう側
「とーさんおかえり!」
任務から帰還した神田が科学班フロアへの道すがらたまたま通った食堂前。
数名の団員とティータイムを楽しんでいた一人の子どもが、神田を見つけるなり走ってきた。
「ただいま。そんな慌てんなよ、転ぶぞ」
神田が言って、小さく手を広げてしゃがむと、タイミングよく勢いそのままに飛び込んでくる。
それを受け止め、一度抱きしめてから抱き上げる。
「やっと帰ったのね」
「あぁ。 ちょうど迎えに行くとこだった。いつも悪いな」
「いいのよ。最近はみんなの手伝いもしてくれるし、兄さんたちも楽しみにしてるの」
「へー、そうか」
子どもの後を追うように小走りでこっちに来たリナリーに礼を言って、子どもを片腕で抱っこしたまま並んで歩き始める。目的地は同じだ。
着いたのは指令室。任務の報告だ。
「コムイ、入るぞ」
「あ、神田くんおかえりーん。どうだったー?」
「AKUMAは全機破壊、死傷者0イノセンスの反応もなし。以上だ」
「短っ! まぁいっか。お疲れ様でした。レンちゃんいい子にしてたから誉めてあげてね。しばらく任務はないから」
抱っこしていたのは神田の実子。無論、リナリーとの子ではない。そんなことがあれば本部内で殺人事件が起こるだろう。
報告をして席を立ち、久しぶりの父の温もりで安心したのか寝てしまった愛娘を抱き直して、頭を撫でてやりながら部屋を出た。
一瞬、レンを抱く側の手をキラリと光らせて。
「……立派になったもんだねー…」
「そうね。すっかり良いお父さんだもん。アレンくんも安心ね。
…はい兄さんっ、コーヒー」
「…そうだね。ありがとう」
―・・・
神田が向かったのは自室。結婚する前にコムイに無理を言って、部屋三つに相当する部分を改築した神田一家の居住区だ。
自室に戻った神田はまず以前より広くなった部屋の扉の一つを開け、そこにあるベッドにレンを寝かせると、静かに部屋を出て自身の寝室に行く。
そこには相変わらず必要最低限の物しかなく、大きめのベッドとサイドテーブル、クローゼットと小さな箪笥があるのみ。しかし、殺風景に見えてそうでないのはセンスの良い明るい色調だからだろう。
団服を脱いでベッドに腰掛けると、一息吐いてからサイドテーブルにいくつかあるうちの1つの写真立てを手に取った。
「……ただいま、…アレン」
愛おしさと少しの悲しみの混ざる微笑みでいつもの仏頂面を歪めた。
写っているのは今より少しだけ若い神田と生まれたばかりのレン。
そしてもう一人。
出会った頃より伸びた白銀の髪を左下でゆるく結い、レンを抱っこして神田に寄り添うアレンだった。
レンが生まれたのは5年前。
聖戦と言われる戦争が終結してからすぐに二人は結婚した。1年後にはレンが生まれてその時に撮ったのが先の写真。
しかし、神は残酷だった。
レンを妊娠した頃からアレンは体調を崩しだし、出産から数ヶ月後にはベッドから出ることの方が少なくなった。
帰る故郷のない二人は教団に残留していたため、体調の良い日は三人で教団の外の森で過ごしたりもした。しかしそれも少なく、レンが一歳を迎えるのを見届けることなく、アレンは天に召された。
“寄生型エクソシストは短命”
その通りだったのだ。
一度“命”のリミッターを振り切ったはずの神田よりも先に、アレンの命の灯火が消えた。
戦争が終わっても消滅しなかったAKUMAを狩るのが、現在のエクソシストたちの仕事であり、黒の教団に残された最後の責務だった。
アレンの死の直後、神田は涙ひとつ見せなかった。感情と言うものに蓋をし、棄てて、レンすら放ってその任務に明け暮れた。
そしてある時、大怪我を負い、現役時代のような回復力がすでに無かった神田は教団の医務室で目を覚ました。
横たわる神田の横で看護師に与えられたであろうおもちゃで遊んでいたレンが、神田と目があった時ふにゃりと笑って「ぱぁー」と言ったのだ。
アレンが死に現実から目を背け、ほとんど育児なんてことはしてこなかった。レンどころか寝食も忘れて、アレンに出会う前の自分に戻り任務に勤しんでいた。それでも自分は父親で、生きて、守るべきものがある。
その事実をやっと理解し受け入れた時、神田はアレンの死後初めて涙を流した。
そこにいたレンを抱き寄せ抱きしめ、もれる声を押さえること無く泣いた。
その後自室やリビングにあたる部屋には、アレンや神田の写真、少ない家族写真を飾っている。
任務から戻ると「ただいま」と言って、寝る前はその日あったこと、レンとしたことを話して眠りにつく。
そうしてこの日も同じことをして、一人で寝るには大きいベッドに久しぶりに一人で入り眠りについた。
〈2に続く〉
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