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 社会人になって4年目の冬。昨日俺は遂に、会社で大きなミスをした。してしまった。
 上の人は「お前もガキだな」と言った。昔はしなかったような馬鹿みたいなミス。ったく、何やってんだろうなあ。俺。
 そしてそのミスが、今日になって会社に多大な悪い影響を与えた。
 俺は今朝から会社で疫病神のような扱いを受け、今日のうちに、解雇された。だいたい午後の4時ころだった。
 当然、会社で俺の居場所はもう無いから、言い返す筈も無く、俺はその足で実家へ向かうことにした。
 会社の最寄り駅を午後5時くらいに出発して、山手線で約30分。真っ新なこれからのことを考えては絶望、を繰り返した。途中の大きい駅で人がたくさん降りてくれたお陰でだいたい10分くらいは座れた。
 そこで俺は降りて、地元を走る私鉄に乗り換える。さっき、立ってるのが辛かったし、特急で帰ることにした。
 「金だけは貯まる社会生活に嫌気がさしていたところだ、ちょうどいい」と自分に言い聞かせながら、切符と特急券を買って、ホームへと歩いた。小中と一緒だった、肉屋の息子の同級生を見かけたが、無視した。特に仲が良かったわけでもない。当然だ。
 いつもは乗らない特急列車は、暖房が効いているはずなのに少し、肌寒く感じた。



 午後6時30分頃、空はもう真っ暗だが、そんなことを忘れさせるかのように、周りには眩しい店が多く並んでいて、四方八方から照らされている駅前のこの空間も、とてつもなく眩しかった。
 実家のある地域は、特急列車も停まる大きな駅があり、駅前はとても栄えている。数年前から“駅ナカ”なんちゃらとかいう事業を始めてから、どんどんと駅も大きくなって、その周りにもどんどんお店が建って行って、もう今ではここが本当に俺の地元なのかと疑ってしまう程だ。
 マックや漫喫、ゲーセンからコンビニまで、遊びに来るにはもってこいの場所だ。
 が、今の俺にとってそれはただの見知らぬ栄えた土地でしかなかった。

 店店店…、を無視してどんどんと速足で歩く。一歩一歩足を進める度に、見慣れた風景が顔を覗かせる。
 駅に着いてからだいたい、6,7分は歩いただろうか。もうここは、庭だった。
 右手には昔からある、木造の住宅街。道路を挟んだ左手にはマンション街やスーパーなんかがあって…。他人が見たら、変に思うであろうこの感じが俺の地元なのだ。帰ってきたんだなァ。
 真っ黒の空の下なんとなく、伸びと欠伸をした。
 学生時代は何もないって思ってたけど、この何もないところが、俺の地元なんだ。
 毎日通っていた都心程濃くはない、程よい濃度の毒を吸って、俺は路地に入った。

 路地に入ってしばらくは、酒屋街が続く。俺には全く縁のないトコだから、なにも思うことはないんだけれど。
 ご老人たちのカラオケの声を流し聴きながら、これからどうしよう、なんて馬鹿みたいに大きな問題を考えながら、歩く。やっぱりもう一度、東京で…。それしかないよな。うん、それしかない。
 そんなことを考えていたら、目の前には友達の住んでいたアパート。そしてこの路地を出たところにあるのが友達が常連だったあの肉屋か。。。っと、思っていた時のことだった。
「おっ、あんちゃんじゃないかァ、今日はどうしたんだい?最近はずっと東京にいたんだろ」
 少し俯いていた顔を上げてみると、学生時代に通っていたラーメン屋の店主だった。そのラーメン屋は、肉屋の隣にある。今はどうやら、チャーシューが切れたらしく、そこの肉屋で買っていたらしい。
 肉屋は、友達が行きつけ過ぎて入りにくいけど、ここのラーメン屋は、高校時代に彼と二人で行きつけになったから、本当に入りやすい。
「あ、おじさん。買い出しでしたか。あ、俺はちょっと色々あって今日たまたま帰ってきたんですよ」
 するとおじさんがニコッと笑ってお店に入った。おじさんの後ろに続いて俺もお店に入る。
「へいらっしゃい」
 カウンターの中へと歩きながら言った。相変わらずのおじさんだ。
 そして彼がカウンターの中へ入ったら、俺は何も言わないのに
「醤油ラーメン味濃い目ね、学生価格で」
と言って笑い、勝手に作り始めた。相変わらず汚らしいお店。たまにここで大きなハエを見かけるんだが、大丈夫なんだろうか。
 正直ここのラーメンはたいしてうまくもないし、客だってきっと半分以上が常連の老人だろう。だけどなんだろうな、この感じ。すごく、すごく落ち着くんだよなァ。
 そんなことを考えながら、入り口から左手の方のカウンターに座る。
 入り口から見て右側には、何故だかすごい高い位置にあるテレビがある。俺はそれで午後のニュースをぼんやりと流しながら、右手で、曇った入り口の窓に落書きをする。
 ラーメンの絵と、それを指す矢印、その上には「まずい!!」の文字。まぁ、半分は事実だし。おじさん、いつ気づくだろう。
「ヘイお待ちっ」
 おじさんがラーメンを持ってきた。唐突だったモンだから結構慌てた。必死で落書きを隠した。
「フフン、何ぼーっとしてんだよ。はよ食え。ラーメンの一番の敵は“のび”なんだゾ?」
 おじさんはにやけている。
「それもそうっすね。んじゃ、いただきます!」
 全く期待せず、でも、お腹が空いていたから、思いっきり食らいついた。
 以前と変わらぬスープの味、以前と変わらぬ麺の味。
 何もかも昔と変わっていないのに、変わっていないはずなのに、ちがう。
 冷えた身体は、ラーメン屋独特の、やたら湿度の高い空気が温めてくれていたはずだ。
 なのにまだ、まだ温まる。まだまだ、温まるのだ。
 ずるずるっと、麺をすする。なんかわからないけど、沁みる。
 なんか、いい。なんでだかわからないけど、なんか、すごく、いいのだ。
 うまいとかまずいの問題ではなく、何かがぐっと、こうぐっと、心にくるのだ。
「おじさん、なにか作り方変えました?」
 わかっているのに、訊いてしまう。
「い〜や?なんにも」
 おじさんはやはり変わらず、少しにやけていて、なんだかすべてを見透かされているようで、勢いよくヤケになって麺をすすった。
「ハハ、そのイキだそのイキ!そんな風に勢いよく頬張ってくれたら、それ以上に嬉しいことなんてないぞ」
 昔みたいだ。おじさんも、ラーメンも変わってないんだ。駅の方は変わったって、こっちは全然変わってないんだ。俺の帰るべき場所はやっぱりここなんだ。
 なんか、こんなことよりも大事な気持ちやらなにやらが、やたらいっぱい込み上げてきて、それがいくつもの雫となって、目からたくさん、ラーメンに零れた。
 おじさんに見られるのは嫌だったから、かなりどんぶりに顔を近づけたけど、顔をあげるとおじさんはテレビの方を見ていて、少し安心して、少し残念だった。
 そのスキを見計らって、さっき書いた落書きの「まずい」の文字を「うまい」に変えたのは、誰にも言わない。



 そして帰りの道、両親に電話をした。今日、東京であったことを言った。
 両親は悲しんだが、これからのことを話したら、少し喜んでくれた。
 これから東京で借りているアパートの契約を切って、地元に帰り、地元で仕事をする。「仕事=東京に出る」という固定概念に縛られていたのだが、よくよく考えると、そんなこともない。俺は今日、地元が好きで、大好きでたまらないことを知った。その大好きな地元で暮らせれば。
 そんな内容だ。だからこれからは、家では両親の世話をしながら、仕事を探す。できるだけ、家から近いといい。
 失業した日の夜とは思えない、なんだかすごく、清々しい夜だった。

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