社畜飼育日記。 | ナノ





「…えっと、じゃあ、この…高崎、くん、?も…映画同好会ってこと、ですよね」
恐る恐る尋ねた私の言葉に、笑いが起きる。
廊下で話した後、私は幹事の先輩に首根っこを掴まれ元いた宴会場へと連れ戻された。勿論、例の彼も後をついてきて、部屋に入った瞬間どよめきと歓声が上がった。「珍しい」とか「久しぶり」とか、サークルの皆は盛り上がって普通に彼の事を受け入れている。どうやら本当に、彼の事が記憶にないのは私ぐらいのようだ。
「えー……その、…ごめん、なさい」
「……別に、マジで接点なかったですし、俺も、…すぐ、気付かなかったし」
ジョッキを持ちながら視線を彷徨わせる彼、もとい高崎くんは、なぜかそのまま私の横へ座った。帰るつもりだった私にも、どこからかお酒の入ったグラスが回ってくる。
「でも、叶絵さんって、案外、……」
何か言いかけて口を噤んだ彼は、分厚い眼鏡のレンズ越しにこちらを見ている。
「な、何…?」
「……いや、言ったら絶対怒るんで」
「はぁ?何よ、余計気になる、」
そんなやり取りをしていると、なんと不意にやってきたヤスハル先輩が私の隣に腰を下ろした。思わず身構えてしまう。だって、私の一方通行だけれど、大好きだった人だ。婚約を聞かされたからと言って急に想いが消えてくれるわけでもない。
「高崎、すげー久々じゃん!俺卒業してから会ってないよな?」
「お久し振りです、ヤスハルさん。そうっすね、ずっと顔出せなくて」
「忙しそうだもんなー。てか叶絵ちゃんと仲良かったんだな、意外だわ」
「えっ、違いますよ、仲良くなんか!」
ヤスハル先輩の最悪な勘違いに私が間髪を入れず否定すると、高崎くんの表情が少し変わった、気がした。そうなの?と困ったように笑うヤスハル先輩に、ナツエ先輩が声をかけた。目の前で並んだ二人に、やはり胸がチクリと痛む。
「高崎くん、本当に久し振りだね。私の事、分かるかな、」
「お久し振りです。…ナツエさん、ですよね。勿論です」
柔らかく笑うナツエ先輩は、女の私から見てもやっぱり可愛い。独特のふんわりとした雰囲気があって、私とは違う。
「高崎、さっきみんなには報告したんだけどな、俺たち、結婚するんだ」
「……!まじすか、おめでとうございます」
高崎くん、驚いたような顔もできるんだ。私と話す時は無表情ばかりのくせに。なるだけヤスハル先輩の事を見ないように、考えないように。3人の会話を聞きながら手元にあったグラスを煽る。自分で頼んだ訳ではないそれは何のお酒か分からないけれど、結構美味しかった。





「…ーーー、さん、…叶絵、さん、」
名前を呼ばれて、揺り起こされる。気付けばテーブルに突っ伏して少し眠っていたようで、目の前には相変わらずの分厚い眼鏡。ちゃんと会うのは今日でたった二度目なのに、見飽きてしまったような気がした。
「ん、……あれ、」
「飲み過ぎですよ。店移動するみたいですよ」
完全にヤケ酒のつもりで近くにあったグラスを片っ端からあけた結果、時間が過ぎてしまっていたらしい。広い宴会場を出て行くみんなの後ろ姿、そして、
「叶絵ちゃん、大丈夫?」
高崎くんの肩越しには、こちらを心配そうに見るヤスハル先輩と、横にはナツエ先輩。…優しい人だから、私はヤスハル先輩を好きになった。だけど今は、その優しさが、苦しい。
「……ヤスハル、先輩、」
ずっとずっと思っていた言葉が、心臓からせり上がってきた。この空間には、ナツエ先輩もいて、二人は愛し合っている。これを言ってしまったら、困らせることは酔った頭でも分かる。それでも、私は、

「ヤスハル先輩、わたし、先輩のこと、ずっと、…、っ!」
…言いかけた私の口を、急に何かが塞いだ。それは、高崎くんの大きな手のひらだった。

「……ヤスハルさん、ナツエさん。叶絵さん結構ヤバいみたいなんで俺送って帰ります。二次会不参加で、すみませんけど、また次の機会にも行けたら顔出すんで」
「……お、おう、わかった。…てかお前らやっぱり、」
「いや、そういうんじゃ、ないんで。出来れば他の人にも上手く誤魔化しといて貰ってもいいですか」
淡々と話す高崎くんに、戸惑いながらもヤスハル先輩は頷いてナツエ先輩と部屋を出て行った。漸く高崎くんの手が離れる。
「な、なにすんの、いきなりっ」
「……すいません。
でも、叶絵さん、…それは、言っちゃいけないやつです。多分」
真剣な顔で私の目を見て言った高崎くんの言葉にハッとなる。気付かれていた。私の浅ましい思いは全部、見透かされていたんだ。
「…だって、わたし、…っ、」
口を開くと同時に涙が溢れて、頬を伝った。こんな所で、この人の前で、泣いても仕方がないのに。そう思えば思うほど、止まらなかった。暫く黙って聞いてくれた高崎くんだったけれど、お店の人に声をかけられたので私の手を引いて外へ連れて行ってくれた。
「差し支えなければ家まで送りますけど、」
「……飲み足りない」
「は、?」
この人の驚いた顔を見るのは本日二回目だ。初対面の印象であまり感情が無いように見えたけれど、案外そうでもないらしい。皺のついたスーツの裾を掴んで、言った。
「…飲み足りないの。付き合ってよ、もう一軒くらい」
眼鏡の奥が、揺れた気がした。
「俺、飲み屋とかあんま好きじゃないって、前に言いましたよね」
高崎くんは通りかかったタクシーを止めると、私の手を引いて乗り込んだ。運転手さんに告げたのは私が住む隣町の住所。…何だか、私、今日はどうなってもいいや、だなんて。




「で、俺ん家、貰いもんの焼酎か日本酒しかないけど、いいですか」
一言で表せば、ボロいアパートだ。
聞けば大学時代からずっと住んでいるらしい。踏む度に軋む階段を登ってすぐ先の角部屋に通された。
室内には、彼が本当に何年も住んでいるのか疑うくらい物がなかった。生活感が感じられない。しかしそんな様子と対照的に、壁際に敷かれた布団だけは起きてからそのままのようで、しかも彼はそれを片付けようともしなかった。
「テレビ、あんまり見ないんで…、何年か前に売っちゃって。つまんなくてすみません」
低いテーブルに高崎くんは数本の瓶を置いた。どれもお店で普通に飲んだら高そうなラベルばかりだ。私はその中から一番アルコール度数の高いものを選んで二人分のグラスに注いだ。高崎くんは一瞬驚いた顔をしたものの止めることはなく、一緒に乾杯してくれた。

「ずっと、好きだったんだよ。いい感じだって、勝手に思ってたの。なのに、」
アルコールが回れば、悲しさや悔しさが止まることなく出てくる。返ってくるのは「はい」とか「そうですね」とか当たり障りのないものばかりだったけれど、それでも私は話し続けた。お酒が進む。それにつれて「悲しさや悔しさ」が「怒り」に変わっていった。泣いたような気がする。高崎くんの慌てたような顔を見た。
……私が何となく覚えているのは、そこまでだ。
この日ここで飲み直さなければ。せめて自分を抑える事が出来ていれば。え、ついにワンナイトラブかって?…そんな可愛いものだったなら、どんなによかっただろう。


「……で、…どう責任取ってくれるんですかね、叶絵先輩、?」
翌朝、ボロボロになった彼の部屋を見て、呆然とした。私自身も正直把握しきれていないことの詳細は、また次の話で説明するとしよう。



next…

亀更新で本当に申し訳ございません…!プライベートで良いことも悪いことも沢山ありまして…というのは言い訳なので止めておきます。お話の展開自体は最初から決まっているので思うように文字に起こす時間がないことがもどかしいですorz
8月は少しお仕事が忙しいのですが、頑張ります!皆様も熱中症など体調には気を付けてくださいね。
2017.08.07 emu
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