社畜飼育日記。 | ナノ





人間の脳というものは、一ヶ月もすれば覚えた事の大半を忘れてしまうらしい。

「叶絵、いい加減彼氏つくんないのー?」
「うるっさいなぁ、好きな人いるんだからしょうがないじゃん!今はその人しか見えないのー!」
華の金曜日、何度目かに訪れた居酒屋で、定例の女子会。二ヶ月に一度は集まるメンバーは、大学時代の同じ学科の友人だ。
「サークルの先輩だっけ?映画同好会?だかの」
「うん、2コ上」
「えー、彼女とかいるんじゃないの、さすがに」
私たちは所謂、結婚適齢期、ってやつで。今日集まった四人の中で恋人がいないのは私だけ。しかもそのうち二人は既にプロポーズを受けて、婚約中。
親もたまに、心配してそれとなく連絡してきたりする。だけど私には、意中の男性がいて。もしその人と付き合えたら、その先もずっと一緒にいれたらいいな、なんて思う程には好きな相手だ。
「うーん、正直超イケメン!って感じじゃないから、大丈夫だと思うんだよね。てか前のOB会で聞いたときはいないって言ってたし、ずっと喋れてて、自分でもいい感じだったと思うし」
「てかまたあるんでしょ?その集まり」
「そう、来月だけどね。……考えたんだけど、その時、私、」
「お、まさかついに?」
「…うん、告ろうと思う」
私の言葉に、歓声をあげて盛り上がる友人達。まるで学生の頃のようだ。だけど現実の私たちは、もう20代も後半で。しかも私だけは立場が違う。本当に、できればそろそろ、結婚を考えたお付き合いをするべきなんだと思う。
「結果ちゃんと教えてよー!?」
「わかってるよ、あーなんかもう緊張してきた!」
「よーし、叶絵の告白の景気付けに今日は飲むぞー!」
再度乾杯して、これでもかというくらいに盛り上がって、二軒目もハシゴして。それでも、彼氏と同棲している友人もいるため終電前には解散した。

終電に乗って、ちゃんと最寄りの駅で降りる。思考はしっかりしているが、千鳥足なのは否めない。金曜日というだけあって駅周辺はまだ人通りが多かった。明日は休みだし、1日ゆっくり寝ていよう。そう考えた瞬間気が抜けたのかふとよろけてしまい、前から歩いてきた男性にぶつかってしまった。少し年上ぐらいに見える二人組は、怖そうな雰囲気ではなかったがかなり酔っているようだった。
「すっ、すみません!」
「あー、いいよぉ、大丈夫〜。それよりお姉さん一人〜?この辺歩いてるってことはまだ飲みに行く感じでしょ?俺らと飲まないー?」
「あっ、えっと、別に…家がこの先で、通り道なだけで、」
「えー、そうなの!?俺お姉さんの家行きたーい」
面倒な人たちに捕まってしまった。ちらほらと人通りはあるが皆見ない振りだ。振り切って逃げようとすると腕を掴まれ、さらに人通りの少ない道へと引っ張られた。
「ちょ、ちょっと、離してくださいっ」
「えー、いいじゃーん。まだやってる飲み屋あるんだよね、とりあえずそこ行こうよ」
普段友人といる時であれば、ナンパも喜んでついて行く。だけど今日は一人だし、明らかに飲み過ぎて見境いのなさそうな人達だし。しかも彼らが歩いて行くのは、奇しくも私の住んでいるアパートへの方角だ。巻き辛い。
「あの、ほんとに私、今日はっ」
「なんだよー、相手してよー。ほら、」
「………あのー…」
狭い道で言い争っている私達の後ろから、小さな声が聞こえた。振り返ると、暗闇でよく見えないが、眼鏡をかけて、スーツを着た男の人が立っていた。
「あ?なに、お前、」
「…いや、……そっち、俺ん家なんで、通してもらわないと困る、んですけど」
酔っ払い達は何か癪に障ったのか、その彼に向かっていく。
「んだよ、いいとこだったのに、邪魔すんなよ!」
「い、や…明らかに、嫌がってるでしょ…その人」
私を見て、すぐ目を反らす。酔っ払い達は第三者の介入に怒ってしまったらしく、眼鏡の彼を突き飛ばした。押された体はゴミ収集場所にあったゴミ袋の上に崩れ落ちる。
「おいお前、やりすぎじゃ、」
「いーだろこんくらい…!」
「………俺の親父、警察官なんですよ」
倒れこんだ彼の口から飛び出した言葉に、二人組は目を見開いた。
「すぐこの場に呼んでもいいですよ。現役なんで…、飛んでくると思いますけど」
「っ、おい、行くぞ、」
「なんだよ、シラけたわ〜…」
一人が慌てた様子で、もう一人の男を引っ張って去って行った。…とにかく、助かった。
「あ、あのっ、ありがとう…、ございました!助かりました」
眼鏡の彼に深々と頭を下げるが、なんの言葉も返ってこない。それどころか、ゴミの山から起き上がる様子もない。
「……?もしかして、どこか痛めました!?」
突き飛ばされた時にどこかぶつけたのだろうか。この辺の地域は明日は可燃ゴミの日で、見たところ怪我をしそうな瓶やプラスチックの類いは置かれていない。
「…いや………、」

"ぐきゅるるるるるる"

ハッキリ聞こえたのは、お腹が鳴る音。勿論私からではない。見ると、気まずそうに顔を逸らした彼。
「腹……、減って、立てなくて」
そう小さく言ったと思ったら、また深くその場に体を預けた。先ほども言ったが、明日は可燃ゴミの日だ。ということは、彼が寝ているその袋の中身は、
「ちょっ…、とりあえず!立って、ください!スーツ汚れますから!匂いも!」
生ゴミに埋もれる恩人を放ってはおけない。思わず手を引くと、彼はゆらりと立ち上がった。
「…なんか、食わせてもらえませんか」
私を見下ろす彼は、思っていたより背が高い。眼鏡の奥は反射してよく見えないけれど、何となく自分より若そうにも感じる。ただ、肌の色は不健康そうだが。
「も、勿論、お礼します!
えっと、まだやってるとこだと、居酒屋ぐらいしか、」
「い、や……、煩いの、苦手なんで…。腹も限界、だし」

……え?
私は自分の中の先入観みたいなものを疑った。こんな真面目そうで、親が警察官で、困っている人を助けてくれるような人が、
「もしかして、…私の、家、とかですか?」
「…俺ん家、こっから20分くらいかかるんで…。できれば」
……ヤリ目、だなんて。
助けてくれたのは偶然だろうか。最初からこれが目的?色々考えて、逃げるべきかと後ずさると、また盛大に彼のお腹が音を立てた。
「…すみません、」
青白い頬が薄っすらと赤く染まったのが暗闇でも分かった。それを見て私は少し、可愛いと思ってしまったのだ。
元々何かしらお礼はしなければいけない。でも連絡先を交換して後日会うのも正直言って面倒だ。生憎昨日の仕事終わりに買い込んだ食材も家にある。
…それに、もしも先輩と付き合う事ができたら、この先他の人とする事は無いだろう。恥ずかしい話、ご無沙汰、だし。一晩限り、ってやつを経験しておいてもいいかも、だなんて。
ビールにワインにシャンパン。女子会で浮かされた熱が戻ってきたような気がして、私は大胆にも彼の手を取った。
「いいですよ、私の家、ここから5分くらいなんで。行きましょ」

細い彼の手首からは、なんの温度も感じなかった。ただ私に引き摺られるように歩く、冴えない男。きっと残業帰りのサラリーマンだ。
アパートの下の街灯に照らされて改めて見た彼は、横顔が綺麗で、何となく覚えがあるような気もしたけれど、人の記憶ほど不確かなものは無いといつか本で読んだことがある。
そうしているうちにまた彼のお腹が鳴った。
まずはスーツに消臭スプレーをかけて、何か食べさせて、…それから。変に気合いが入っているのは私の方だ。
アパートの階段を登る私、着いてくる眼鏡の男。
この関係が予想もしない方向へ行く未来を、この時の私はまだ知らない。


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新連載です。何年か振りに、育ててみたいキャラクターが生まれました。社畜くんです。変態彼氏くんみたいに度々甘い事を言ったりはしませんが、それでも皆様をキュンキュンさせる事が出来るように頑張ります。お付き合いください!いつか社畜くんも愛されキャラになりますように。
2017.06.20 emu
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