1話/幽霊の声は誰にも届かないまぶたを開けると、目の前が白く明るくぼんやりしていた。
ずっとずっと眠っていたみたいに視界がはっきりしない。
《ここは……?》
……どこだろう。
体の感覚が無いから今は幽体離脱中?
目の前がぼんやりしていたけど、徐々に景色が戻ってくる。
視界いっぱいに溢れたのは桜の花だった。
《……えっ!!!?》
右を見ても左を見ても上を見ても全部桜だ。花畑にいるのかってぐらい。
そう言えば下を見てなかった。
視線を落とせば地面が見えて、自分がどこに居るかやっと気づいた。
《桜って木登りすればこんな景色になるんだ》
木から飛び降りてふわりと着地する。
学園の敷地内なのか、目の前にクラブハウスが広がっている。
自然と受け入れていたけど今なんで桜咲いてるの?
ゼロと騎士団が動いたあの日からどれだけ経っているんだろう。
《あ!! そうだナナリー!!》
ナナリーをイベント用品保管室に隠して廊下へ出たけど、それ以降が思い出せない。
《ナナリーが今いるところへ!!》
行きたい!!と思った。
思ったんだけど、景色は全然変わらない。
思う力が弱かったのかともう一度念じてみる。でも瞬間移動できなかった。
《まさかナナリーは》
死んでいるんじゃ……と頭によぎった考えにゾッとする。そんなわけあるか!
ルルーシュ、C.C.、スザク、カレン、ミレイリヴァルシャーリーニーナ、扇さん井上さん玉城南さん杉山さん吉田さん、ユフィ……は、今は彼女の所に行けない。あたしは日本人だから。
あとは藤堂さん、四聖剣、それから────
────頭に浮かぶ人全て試してみたけど、やっぱりどこにも跳べなかった。
しかも数メートル先にも瞬間移動できない。
それに自分の体にも戻れなかった。
《なんで? 故障?》
もしくは弱体化? これは自分で動いて進むしかなさそうだ。
ビュンと飛んでクラブハウスをすり抜け、中に入る。
ダイニングに行ったら無人だった。
時間は朝10時で、天井をすり抜けダイニングを出て、次はルルーシュの部屋に飛ぶ。
顔半分をヌッと出して部屋を覗いたけどルルーシュはいなかった。C.C.も。
多分いないだろうと思いながら次はあたしの部屋に移動する。
あれこれ置いていた家具がほとんど無くなってて驚いた。
《引っ越し!? なんでッ!?》
内装が住む前に逆戻りしてた。
買った時計だけは唯一残っているから、ここはあたしの部屋で間違いない。
めまいがしそうだ。
ふらふらしながらふわふわ飛び、生徒会室へ行く。授業中で誰もいないと思うけど念のため。
アーサーを驚かせないように天井端をすり抜けてそっと顔を出して覗き見れば、またしても目を疑った。
アーサーはいないし、猫用タワーもご飯皿も水飲み器すら無くなってる。
しかも視界の端に生徒会の活動写真が貼られたボード、そこにも覚えのない写真が貼ってあった。
生徒会室に侵入し、ボードの前まで飛んで行く。
一番大きいサイズのやつは生徒会室でみんなが並ぶ写真だ。
ひとり、知らない男の子が写っている。
背はシャーリーより少し低くて、髪と瞳の色が、過去で出会った少年と同じ色をしていた。
もしかしてあの時の少年? いやそんなまさか……。
写真にはナナリーがいないし、スザクもカレンもニーナもいない。
ルルーシュは柔らかく笑んで男の子の肩に手を置いている。
ナナリーがその場にいないのにこんな風に笑うなんて絶対おかしい。
違う世界に落とされたのかと思うくらい訳が分からない。状況が呑み込めなくてぶっ倒れてしまいそうだ。
《ルルーシュのところに……行かないと……》
この学園で今のあたしが見える人はルルーシュだけだ。
生徒会室を出て、まっすぐ校舎へ一直線に飛ぶ。
その道中、体操服姿で走る生徒達と遭遇した。反射的に木の影にビャッと隠れる。
何年生だろう? 知らない顔ばかりだ────と思っていたらリヴァルとシャーリーが走っているではないか!!
二人でなんか話してる。
飛び付きたくなるのをぐっと抑えて様子を見る。
さすがにこの姿でいきなり近づいて驚かせたくない。
シャーリーは髪を後ろでまとめて(めちゃくちゃかわいい)
リヴァルは少し疲れた顔をしている。
「ルルーシュのヤツ絶対走りたくないからサボってんだろ〜な……」
「前の体育もそうだよね。ルルもちょっとは運動したらいいのに」
「スザクの十分のイチも運動しないよなぁアイツ」
「ロロも一緒だね。すぐバテちゃうみたい」
「兄弟揃って体育苦手ってな」
ははっ、とリヴァルは明るく笑う。
そしてふたりは走って行ってしまった。
《……だ、誰かペンとノートくださいッ!! メモさせてーーーー!!!
情報理解が追い付かないんですけど!!》
衝撃すぎて思わず叫んでしまった。
どういうこと? 本当に意味が分からないんだけど? 写真の肩に手を置いてる意味分かったけど? え? あの少年が弟ってこと? ロロって名前? 弟って? ナナリーは? いみわかんないんだけど????
《取りあえず、取りあえず落ち着いて……》
雲ひとつ無い空を見て、風でさわさわ揺れる木々の葉を見て、心が何とか落ち着いた。
大体の事は理解できたけど、全然納得できなかった。
妹 じゃなくて
弟 がいる世界に飛ばされてしまったってこと?
それならあたしの部屋がゲストルームに戻ったのも当然だ。
ここはあたしがいない世界かもしれないから。
時計だけ残ってたのは謎だけど。
ルルーシュはどこかに出かけているみたいだから、まずは今のあたしが見える誰かを捜さなければ。
学園を離れ、騎士団の人がいそうなゲットーを飛び回る。
見慣れた団員服の人はどこにもいない。
次は富士山だ。
あそこなら桐原さんも神楽耶ちゃんもいる。
目指すは空。租界全景が見える高さまで上昇する。
こんな高いところまで昇ったのは初めてかも。租界がまるで精巧な模型だ。
《ここから富士山まで……》
行けるのだろうか。
地図もコンパスもナビも手元に無いのに。
すごいスピードで飛んでいけるけど、ここから静岡まで正確に行ける自信がない。
富士山目指して進んでも全然違う土地に行ってしまいそうだ。
《……やっぱりルルーシュと合流したほうが良さそうだな》
ゆっくりと降下し、学園へと戻る。
驚かせてもいいからミレイ達のところに顔を出そうかな。
昼を知らせる鐘が鳴り、校舎からぞろぞろと生徒達が出てくる。
ボケッと眺め続けていたらミレイとシャーリーとリヴァルが出てきた。
ベンチに座り、お弁当を広げ始めている。リヴァルはサンドイッチだ。
ゆっくりと地上まで降り、ふわふわと距離を縮めていく。
昼食終わった後のほうがいいかな?
みんなのところまで数メートルの地点で止まり、その場で座る。
真昼の明るい空の下、三角座りする幽霊ってどんな光景だ。
会話は聞こえないけどミレイ達は楽しそうに話している。
いいな。あたしも話したいな。寂しいなぁ。
そばを通っていく生徒達は誰も悲鳴を上げない。
ミレイ達はあたしが見えるかな? 見えないかもしれない。だって今まで一度もこの姿でミレイ達の前に出た事無かったから。
《寂しいなー……》
早くルルーシュ帰って来ないかな、と疲れた気持ちになった頃、やっとミレイ達は昼食を終えた。
そろりそろりと近寄り、名前を呼んでみる。
あたしの声は聞こえないのか無反応だ。
周りをぐるぐる飛び回りながら、
《ミレイ、シャーリー、リヴァル〜》
呼び掛けても気づいてくれない。
思いきって目の前に飛び込んだものの、ミレイ達は表情ひとつ変えない。
驚かれてもいいから見えてほしかった。
みんなの中心で三角座りして、なんだろうこの光景は、と思いながらジッとする。
だけど、長くは留まれなかった。
楽しそうな会話を聞く内に寂しさがより一層深まり、逃げるようにその場を離れる。
誰か見える人はいないか、そこらにいる生徒達を順々に巡っていく。
けどダメだった。見える人は誰もいない。
そうこうしていたら昼休みが終わり、授業になった。
ルルーシュのいる教室をこっそり覗く。
知らない先生が授業をしていた。
ルルーシュは窓際だ。後ろにリヴァルもいる。
さすがに授業の邪魔はできない。いきなり行って驚かせたくないし。
授業終わりのチャイムが鳴るまで、廊下に立たされる幽霊の図で待ち続けた。
チャイムが鳴った後、先生が退出してから、ドーーンと教室に顔を突っ込んだ。
「なぁルルーシュ〜今日どっか遊びに行かねぇ〜?」
「悪いな、リヴァル。この後ロロにケーキを焼くから」
「えっ? ルルケーキも作れるの!?」
「完璧超人かよ」
「だから今日は無理だ。
明日、みんなの分も生徒会室に持って行くから」
あぁ〜いいなぁ! わいわいしてて楽しそう!! あたしも混ざりたい!!
壁から顔をニュッと生やして会話を盗み聞きする幽霊の図で、あたしはひたすら待機する。
「じゃあな」
「バイバイ、ルル」
「また明日な〜」
教室を出ようとするルルーシュに、至近距離から手を大きく振ってみる。
場所が場所だからか、ルルーシュは気づかないフリで教室を出ていった。
すぐに後を追いかけ、廊下を歩くルルーシュの前に出る。
目線のひとつでも向けてくれるかと思いきや、全然視線がぶつからない。
一瞬戸惑ったけど、バッと両手を広げて通せんぼした。
ルルーシュはスピードを落とすことなく近づいてくる。
こっちを見てるけどあたしを見ていない瞳をしていた。
スッと通り抜け、スタスタと歩いていく。
《ルルーシュっ!!》
とっさに呼んで、内心、いけないと思った。
このルルーシュは“あたしを知らないルルーシュ”かもしれないから。
ピタリ、と足を止め、振り返る。
揺れる黒髪まで美しかった。
視界に入っているのに、そばにいるのに、こっちを少しも見てくれない。
やっぱりルルーシュは……
《……ルルーシュもあたしが見えないんだ》
ぽつりとこぼした呟きに、ルルーシュは周りをキョロキョロする。
怪訝そうに顔をしかめ、前を向いて歩き始める。
それを慌てて追いかけた。
姿は見えなくても、これはまさか。
まさか声だけは聞こえてるんじゃ……?
確定してないのにそわそわする。
もう一回声を掛けようかとドキドキしていたら、スポーツウェア着たヴィレッタがやって来た。
え!? ヴィレッタが!?
《なんでここにいるの!!》
「おい、ルルーシュ」
「……こんにちは。ヴィレッタ先生」
《先生ッ!? ヴィレッタ先生!?》
「おまえまた授業に出なかったな」
「……すみません」
「次は必ず授業に出ろ」
「はーい」
「分かってるのか? サボったら補習だからな」
「すみません先生、ロロにケーキを焼く約束してるんで。さよならっ」
ササッとヴィレッタを追い越し、ルルーシュは廊下を走る。
それにあたしも追走した。
「ルルーシュ!!」
プンプン怒った声は確かに先生そのもので。
《なんでヴィレッタが先生してるの!?》
驚きについ口走る。
ルルーシュはバッと後ろを見て、逃げるスピードをぐんと速めた。
『あたしの声が聞こえてるんじゃ』と思えるタイミングだった。
そばで大声を出したのはまずかった。驚かせてしまったかもしれない。
全力疾走で校舎を抜けたルルーシュはすぐに失速し、止まって膝に手をついた。
ゼハーッゼハーッと荒い呼吸を繰り返す姿は苦しそうだ。
あたしの姿は見えないけど、驚かせたことは謝らないと。
《ルルーシュ……そばで、大声で……大声でごめん……》
荒い呼吸をピタリと止め、苦しそうな顔が無表情になる。
スッと姿勢を正し、ルルーシュは歩き出す。
《ルルーシュ……》
名前を呼んでも無反応だった。
キョロキョロしない。
《ルルーシュ……!!》
足を止めてくれない。
《ルルーシュ!!》
一度も振り返ってくれない。
声だけは聞こえると思ってたのに。
絶望感がじわじわと湧き上がってくる。
《どうしよう……。
あたし……本物の幽霊になっちゃった……》
ルルーシュはもう足を止めることなく、クラブハウスへ行ってしまった。
***
クラブハウスの屋根で一夜を明かす。
きれいな星空をボケッと見ていたら、やっと気持ちが落ち着いてきた。
《……よく分からない何かに話しかけられたら、そりゃあ無視するに決まってるよね》
ちゃんと名乗って、自己紹介すれば良かった。
しっかり説明すれば少しぐらい話を聞いてくれたかもしれないのに……。
重いため息が出てしまう。
この世界ではヴィレッタが先生をしていて、ルルーシュには妹じゃなくて弟がいて、カレン達がいない。
知ってるけど全然知らない世界だ。ゾッとする。
こんなところまで飛ばされてしまうなんて思わなかった。
どうやって戻ればいいんだろう。
念じてもどこにも行けないのに。
『寂しい』の気持ちが膨らみすぎて、涙として溢れてきそうだ。
霊体なのに泣きたくてたまらない。
眠れないから夜明けまでがひどく長く感じてしまった。
空がうっすらと明るくなる。
ルルーシュは朝食を作っているかな?
屋根をすり抜け、下へ下へ。
ダイニングに行けば、エプロン姿のルルーシュがふたり分の朝食を準備していた。
テーブルに置いた目玉焼きはハート型で、鮮やかな色した温野菜とふわふわしたパンとオレンジジュースまである。
お腹は空かないけど、無性に食べたくなってしまう。
《いいなぁ……美味しそう……》
キッチンに戻ろうとしたルルーシュがビクッとした。
え?と思ったら、ルルーシュは何事も無かったようにキッチンに行く。
ふわふわ浮きながら後を追いかける。
ルルーシュは洗い物していた。
きれいな横顔はいつも通りだ。
《おはよう、ルルーシュ》
食器を洗い流していた水がピッと顔にかかり、ルルーシュは眉間にシワを寄せる。
不機嫌そうな表情だ。
恐る恐るルルーシュの前に顔を出す。
やっぱり見えないみたいで視線が合わない。
《ルルーシュはあたしの声……聞こえてる?》
シンクに食器が残ってるのにルルーシュは洗い物を中断した。
エプロンを外し、手早く畳んで片付け、あたしから逃げるようにキッチンを出る。
《ねぇルルーシュ》
廊下を早歩きする姿は、まるであたしから逃げてるようだった。
《声聞こえてるよね?
聞こえてるなら聞こえてるって教えてほしい。
せめてあたしに……》
『自己紹介させてほしい』と続けたかったけど、ルルーシュが花の模様が刻まれた扉の前で足を止めて言葉を失った。
そこナナリーの部屋じゃん!!
ルルーシュはノックする。
ノックして数秒待ち、ルルーシュは中に入った。
青いカーテンの部屋の主はベッドで眠っている。
えっロロこの部屋で寝てるの!?
あたしのいた世界のルルーシュが知ったらブッ倒れそうな情報だ。
「ロロ、ロロ」
ちょっと焦ったように言う。
やっぱりあたしの声が聞こえてるんじゃないの?
ベッドで眠るロロが「ん……? 兄さん?」とむにゃむにゃ言った。
「すまないロロ。ちょっと早いが起こしてしまって」
「どうしたの……?」
ムクッと起きたロロは、ピョコンと寝癖がついていた。
髪型や色、瞳の色、やっぱりあの時の少年に似ている。
すごい立派に成長して……!と近所のおばちゃんみたいな事を考えてしまう。
でも違う人だ。ここは別の世界なんだから。
「す、すまない本当に……。
朝食のジャムを切らして、それで、代用するものを聞こうとして……」
ロロの寝癖を直す手は震えていた。
細いけどしっかりした肩がいつもより弱々しい。
ぎこちない声のルルーシュに、ロロは心配そうに表情を曇らせた。
「あるものでいいよ。
……兄さん、何かあった? ジャムだけで早く起こすなんて今まで無かったでしょ?」
「何かあったって言うか、その……おまえは……」
後ろを伺う瞳は怯えきっていて、ロロを優しく撫でながら周囲を確認する姿は、大切な弟を必死で守ろうとする兄そのものだった。
《こんな所まで追いかけてごめんなさい……》
そっと話しかけたらまたビクッとした。
《ここにはもう来ない。
あたし、外行くね……》
すごく悪いことをしてしまった。
窓から外へ脱出する。
この世界のルルーシュはあたしを知らないルルーシュだ。
幽霊にしつこく声をかけられ、何回も名前を呼ばれて、どれだけ恐ろしかっただろう。
『しっかり説明すれば』なんて甘い考えだ。
あたしはもっと慎重に行動するべきだった。
後悔しても遅い。
もうルルーシュのそばには行かないでおこう、と強く誓った。
***
学園を去って3日経った。
情報収集で色んな所へ行き、分かったのは、知らないオッサンがエリア11の総督をしていて、たくさんの日本人が建物の建設でこき使われていて、政庁の地下の独房で扇さん達が捕まっていて、ゼロが死んだ、という情報だった。
あの戦いは『ブラックリベリオン』と呼ばれ、今の日付を見てゾッとする。
あたしはずっと眠り続けていたのか。
まさかあと数ヶ月で1年だなんて。
世界が同じでホッとしたけど、でも扇さん達もあたしが見えないし、声も届かなかった。
扇さん達が捕まっている所はチョウフ基地の刑務所と同じ内装だ。
みんな壁越しに会話していて、玉城があたしの安否を気にする話はそばで聞くのが辛かった。
一室ずつ確認すれば、全員捕まったわけじゃないことに気づく。
カレンや井上さん、吉田さんや卜部さん、ラクシャータさんとディートハルト、潜水艇で見かけた人も何人か、姿が見つからなかった。
世界が同じなら、どうしてルルーシュはあたしを忘れてるんだろう?
どうしてナナリーがいない場所で平然と暮らしているんだろう?
そばには行かないと誓ったけど、状況が状況だから最速で学園に戻る。
生徒会は花見パーティーでもしているのか、桜の木の下でカラフルなレジャーシートを広げている。
ルルーシュは柔らかい笑顔でお茶を飲んでいた。
「ほら、ロロ。
おまえも水分補給」
「ありがとう兄さん」
桜の花びらがはらはらと落ちている。
ナナリーと話しているみたいな顔でルルーシュはロロと一緒にいる。
本当に仲の良い兄弟だ。
ナナリーがそばにいないのにこんな顔できるわけがない。
ルルーシュの心の中に、ナナリーは存在してないんだ。
「兄さん、僕ヴィレッタ先生のところに行ってくるね。
提出するものがあるんだ」
「ああ」
ぱたぱたと走っていったロロを見送ったルルーシュは、桜の木にもたれてミレイ達をぼんやり眺めた。
ルルーシュの作ったお弁当を食べているみたいで、口々に美味しいと言い合ってきゃっきゃしてる。
青春だなぁと思える光景だった。
ルルーシュの隣に座る。
今喋ったらルルーシュはどんな反応するんだろう?
《ルルーシュ》
ぽつりと呟いた。
でもルルーシュはぴくりとも動かない。
表情も変わらない。
ミレイ達をぼんやり眺めるだけだ。
《ねぇ、ルルーシュ。
ナナリーは今どこにいるの?》
話しかけても無反応だ。
あの時はあんなにビクッてしたくせに。
ナナリーの名前を出したのに。
《桜、きれいだね。クラブハウスにこんなにたくさん植えられてるとは思わなかった》
もう一回話しかけたけどやっぱり無反応。
《ルルーシュ……》
全然表情が変わらない。
声が届いたと思ったけど、勘違いだったみたいだ。
ルルーシュはあたしの声が聞こえない。
《誰かがそばにいる時は話しかけない。
情報を、いろんな情報を持ってくるから……だから……。
誰もいない所で話しかけてもいい……?》
声が震える。
返事をもらえないそれはただの独り言だ。
霊体で涙なんて出ないはずなのに、目のあたりから何かが流れる感覚がした。
***
それからあたしは、ルルーシュがひとりになってから話しかけることにした。
休みをはさみながら週に5日。
話しかけるのはルルーシュがひとりの時だけ。短時間で。長話はしない。
移動中だったり、屋上でぼんやりしてる時だったり、買い物に出掛けている時だったり。
ダイニングやルルーシュの部屋、生活空間には入らないようにした。
世間で流行ってる事とか、特売情報とか、街頭モニターのニュースを詳しく調べて伝えたり、政庁で入手した未公開の情報を話したり。
外を飛び回り、学園じゃ掴めない情報を片っ端から。
ルルーシュはずっと無反応で、全部虚しい独り言だった。
気を抜けば襲ってくる寂しさを振り払い、がむしゃらに租界を飛ぶ。
ただの幽霊でいたくなかった。
ルルーシュに話しかけない休日はずっと休まず全国を飛び回った。
霊体じゃないと出来ない無茶だ。
カレン達も、C.C.も、目撃情報すら出てこないし掴めない。
軍に捕まらないように国外に逃げ延びたのかもしれない。
スザクの情報は政庁で知った。紛争地で戦っているそうだ。
『ブリタニアの白き死神様』なんて軍人に呼ばれている。
安否が確認できないのはナナリーだ。全ッ然情報が掴めない。
霊体だから少しも疲れないけど、気を抜けば嫌な考えばかり浮かぶようになった。
どれだけ声を張り上げても誰にも気づかれない。
どれだけ話しかけてもルルーシュは反応しない。
寂しいと思う度、自分がすり減っていくのを感じる。
満開の桜は散り、緑の葉っぱに色を変える。
雨が降る日もあった。
空を思いきり飛びたくなるほど晴れた日もあった。
意味のない独り言の日々がずっと続いた。
目が覚めてから1ヶ月経った。
寝なくても延々と活動できるから、体感時間はそれよりももっと長い。
《ルルーシュ……》
目からぼろぼろと溢れる感覚がして、もう限界だと思った。
《ルルーシュ……》
歴史のオールトン先生のところに資料を持って行くところだ。
廊下を歩くルルーシュの後ろで情けない声を出す。
いつまでも成仏できない背後霊みたいだ。
《ルルーシュ……》
ぐずぐずの声だ。号泣しているみたいな震えた声。
涙も出ない幽霊のくせに。
《寂しいよ……》
寂しい。返事してほしい。
ビクッてするだけで十分だから。
だから────
《泣くなッ!!!!!!》
────頭の中でものすごく大きい怒声が響いた。
それはまるで暴風みたいで、殴られたように吹っ飛ばされる。
心が追い付かない。
投げ出された後は、目の前を見つめるだけで精一杯だった。
ルルーシュは廊下の真ん中で直立不動している。
後ろ姿だけで『あ、怒ってるな』と察した。
《話を聞いてやる! だから泣くな!!》
ルルーシュの大声が頭にガンガン響く。
《な、泣いてないよ!!》
《それならなんだその声は!
幽霊のくせになんでそんな泣いてる声してるんだ!!》
《だって寂しかったんだもん!!
みんなあたしが見えないし声も聞こえないし!!》
《幽霊だからな!》
頭の中でずっとルルーシュの声がする。
念話でやり取りしてるってこと?
ルルーシュの怒声に気持ちが引っ張られてしまう。
《やっぱり聞こえてたんだねあたしの声!!
最初から聞こえてたんでしょ!? 最ッ初から!! ずっと無視してー!!》
《無視するに決まってるだろう! 気味悪い幻聴だったからな!》
《聞こえてるなら聞こえてるなりに言ってくれたら良かったじゃん!!》
《反応したらロロが怖がるだろう!! あの時の早朝のあれは本当に恐ろしかったんだぞ!!》
《あの時は本当にごめんなさい!!》
直立不動していたルルーシュがやっと動く。
資料を片手に持ち、腕を組んでため息を吐く。
《俺が望む情報を持って来い。
話を聞くのは今まで通り、俺がひとりきりの時だけだ。
対話する時刻と場所を指定するから従うこと。
話を聞けない時はその都度言うから沈黙を貫くこと。
それらを全て遵守しろ》
やっぱりルルーシュはルルーシュだ。
『寂しい』の声を無視しないでくれた。
《うん。全部守る。
ありがとう、ルルーシュ》
頷いた後、靴音を鳴らして歩き始めた。
すぐにふわりと追いかける。
隣に並び、改めてルルーシュを見る。
前を見据えて進む横顔も、紫の瞳も美しい。
窓から見える空よりキレイだった。
[Back][2話へ]